龍谷大学で仏 教 を学ぶ学生6名、比丘尼1名、仏徒3名、計10名が入唐、長安をめざす。 そして玄蔵三蔵が経典を求めて天竺へ歩んだ道、そのほんの一部であるがシルクロードを歩む。 |
西安 興慶宮公園 西安の朝は早い。6:30、あちこちの公園などでは大勢の人たちの体操や太極拳が始まっていた。
大雁塔(慈恩寺)
秦始皇兵馬俑博物館 なんといっても今回の旅の圧巻はこの「秦始皇兵馬俑」だ。
華清池 時代は下って唐、8世紀の中頃、ここ驪山の北麓の温泉地に華清宮が造られた。 温泉水滑洗凝脂 温泉の湯はなめらかに 白くつややかな肌を洗う その楊貴妃のお風呂がある(左)。右は玄宗皇帝のお風呂、どちらも泳げそうである。玄宗皇帝はきっと、「今日はこっちで一緒に入ろうや」と楊貴妃を誘ったと思う。私が皇帝ならそうする。 いまでも温泉が湧いていて、5角(8円くらい)で手や顔を温められる。 西安から空路敦煌へ 夕刻、西安を発ち敦煌に向った。昔の人たちはラクダに乗り、あるいは徒歩で長い道のりを敦煌に向った。私たちは2時間半の飛行である。西に太陽が沈む。上弦の月が顔を見せる。 敦煌 莫高窟 中国三大石窟のひとつ、鳴沙山の東壁に4世紀中葉から元代にいたる1000年間の仏像・仏画が石窟の中に保存されている。残念ながらカメラ持込み禁止のため、外観の写真しかない。
鳴沙山・月牙泉 鳴沙山、まさに砂でできた山だ。強風に舞う砂の音は、どこか管弦の音のように響くという。鳴沙山である。 敦煌の街 敦煌で果物を買うときは「1斤・いくら」のはかり売り、懐かしい天秤で重さを量ってくれる。西瓜が1個5元(80円くらい)だ。食料雑貨店ではビールを買い求める。安い。缶ビールは2.5〜3元、4〜50円というところだ。ワインも買った。白酒も買った。 陽関 送元二使安西 王維 渭城朝雨?輕塵 渭城の朝雨 輕塵を?し 客舎柳色新 客舎として柳色 新たなり 勸君更盡一杯酒 君に勸む 更に盡くせ一杯の酒 西出陽關無故人 西のかた 陽關を出づれば故人無からん 陽関、かなり観光化されていた。その昔はただ烽火台がポツンとあるだけであったが、今日は違った。 ところでこの敦煌で予想もしなかったことが起きた。年間雨量が40_という、日本では一日の降雨量、そんな少雨の砂漠で雨に降られた。ほんの少しだったけど、貴重な体験と思った。 玉門関 涼州詞 王之渙 黄河遠上白雲間 黄河 遠く上る 白雲の間 一片孤城萬仞山 一片の孤城 萬仞の山 羌笛何須怨楊柳 羌笛 何ぞ須ゐん 楊柳を 怨むを 春風不渡玉門關 春光度らず 玉門關 陽関と並び西域へ通じる重要な軍事通商の関門である。ここは未だ観光化されておらず、広い荒地にポツリと遺跡が残る。 空はたちまちに晴れ、夏の太陽が輝いた。 敦煌からトルファンへ 敦煌駅20:16発の寝台列車に乗った。明日の朝8:22着である。「軟臥」という4人一組の寝室である。 トルファン 砂漠と荒野を走り続けて(真っ暗でしかもぐっすり眠っていましたからホントはなにも分りません)、トルファンに着いた。 高昌故城 漢族の麹文泰が491年に建てた高昌国の城跡で、歴史的には、漢代の武帝が置いた郡が独立したことに始まる。628年ころには、玄奘三蔵がこの高昌国に立ち寄り講義をしたといわれる。しかし、その直後には、唐によって滅亡の途をたどった。 アスターナ古墳群 漢民族国家、高昌国時代の貴族の古墳群で、その数は数百という。荒地のあちこちに土まんじゅうの盛り土があるだけだ。 火焔山 孫悟空にも登場する火焔山、トルファン盆地の北端に100`にわたって連なる山脈である。木々はまったく無く、ただ赤色の山肌を見せるだけである。 ベゼクリク千仏洞 石窟寺院はムルトク河沿いの断崖にある。 龍谷大学 誓願図「デイーパンカラ佛授記」 かつて第4号窟に描かれていた仏教壁画をデジタル復元したものである。 この壁画は、1905年ドイツ隊によって持ち去られた後、第2次世界大戦の戦火で破壊され、ほとんど現存しない。龍谷大学古典籍デジタルアーカイブ研究センターでは、唯一残された図録の白黒写真をもとに、発掘当時の記録や他の仏画を参考にしながら、最新のCG技術を駆使し、2003年デジタル復元に成功した。さらに原寸大の陶板画に仕上げ、現在2枚の誓願図は大宮図書館の正面玄関ホール左右に飾られている。 トルファンの市場 今夜も私の部屋ではパーティ、ハミウリと蟠桃の果物パーティ ウルムチ 天池 天山山脈の主峰ボグダ峰の山中に天池はある。標高が2000bの高地にあり、とても神秘的な池である。池というよりは湖であろう。 登山道の途中には小さな池があった。西王母がこの池で足を洗った伝説の池という。この天池には西の国を治める西王母の霊が宿るという伝説もある。 中国人の観光客は、みんな駐車場からてくてく歩いて登るのに、私たちは電気自動車で池のそばまで連れてくれた。年寄りグループと見られたのかもしれない。 新疆ウイグル自治区博物館 今回の旅の最後に訪ねたのがこの博物館である。 紹介します。私の恋人「楼蘭の美女」は左端のちょっと日焼けしたような女性です。中央は2800歳になるこの人もきれいな女性です。右端は1400歳になる高昌国の軍人さんです。いまにも眠りから覚めて「えらい遠いところから来ていただいたんですね」と声をかけられそうです。 この博物館を最後に、日本への帰路に着いた。ウルムチ空港から北京へ、1泊して関空に向う。 水口さんが機内での楽しい写真を撮ってくれていた。
楽しい旅、みなさんどうもありがとう。 結 Photo by Hiroaki Takahashi,Keiko Mizuguchi,Noriyuki Shiomi and Hisamitsu Tanaka. |
高橋さんの写真集から 先ずは兵馬俑いっぱい 敦煌の舞踏 逸品
佐竹さんの写真集から
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