中国・漢の時代、四代元帝は北の匈奴を攻め降伏させた。匈奴王、呼韓邪単于は自ら長安に出向き臣礼をとった。 元帝の後宮には宮女が多い。元帝は画工に宮女を描かせ、その似顔絵でその日の女性を指名していた。皇帝の寵愛を得ようと宮女は画工に賄賂を贈り美しく描いてもらったが、王昭君は容貌に自信があったので賄賂は贈らなかった。画工は王昭君を実際より醜く描いたため、皇帝から召されることがなかった。 皇帝は匈奴王にいろいろの珍宝を与え、宮中の美女を与えると約束したが、本当は美女を与えるのは惜しいので、一番醜い女を選んだ。 匈奴王は帰国にあたり、与えられた王昭君を伴って参内、皇帝に別れの挨拶、面をあげた女の顔を見て皇帝は絶句した。 醜く描いた画工は死刑になったが、さすがに「やっぱり返して」とは言えなかった。 匈奴王は、この贈り物を絶賛し、ますます元帝と親交を深めたという。 王昭君が匈奴に来て3年目、呼韓邪単于は死んだ。別の妻に生ませた息子が王になった。匈奴の風習では、父の跡目を継ぐ息子は、自分の実母を除いて、父の妻妾は全部そのまま自分のものにする。王昭君は中国の風習を理由に抵抗した。匈奴は漢に臣属しているため、漢に問合せをしたところ、匈奴の風習のままにという返事、やむなく息子の妻になったという。 王昭君は中国華南の出身、暖かい南国の女性が北の寒い匈奴の地にという同情があった。なまじ美人であったばかりにそんな辛い目に遭ったのだ。彼女の故郷では、女の子が生まれると焼火箸でその顔を焼いて傷をつけるようになった。「醜女さえ面を焼く」という言葉がその地方にはあるという。 ・・・・・・ 王昭君の墓は、内蒙古自治区呼和浩特市にある。「青塚」という。辺りは草も生えない荒地なのに墓の近くだけは青い草が生えたという。 「一たび紫台を去れば 朔漠連なり 独り青塚に留まり 黄昏に向う」 杜甫は王昭君の墓をこのように詠んだ。 原詩は、 詠懐古跡 五首 其三
羣山萬壑赴刑門 羣山萬壑 刑門に赴く 生長明妃尚有邨 明妃を生長して尚ほ邨有り 一去紫臺連朔漠 一たび紫臺を去って朔漠に連り 獨留塚向黄昏 獨り塚を留めて黄昏に向ふ 畫圖省識春風面 畫圖に省識せらる春風の面 環珮空歸夜月魂 環珮 空しく歸る夜月の魂 千載琵琶作胡語 千載 琵琶 胡語を作し 分明怨恨曲中論 分明に怨恨を曲中に論ず 白楽天も王昭君を詠む。
王昭君 二首
満面胡沙満鬢風 面に満つる胡沙 鬢に満つる風 眉銷殘黛臉銷紅 眉は殘黛を銷し臉は紅を銷す 愁苦辛勤??盡 愁苦辛勤して??し盡き 如今却似畫圖中 如今却って 畫圖の中に似たり 漢使却迴憑寄語 漢使却迴す憑りて語を寄す 黄金何日贖蛾眉 黄金何れの日か蛾眉を贖はんと 君王若問妾顔色 君王若し妾が顔色を問ひたまはば 莫道不如宮裏時 道ふ莫かれ宮裏の時に如かずと
五塔寺 正式名称は金剛座舎利宝塔、清代1732年に創建、チベット様式で建てられたラマ教の寺院である。 5基の塔には1563体の仏像が描かれている。
大召 中国語の名称は無量寺、明代1579年に建てられた。
中国将棋 街角で子どもが将棋の相手をさがしている。日本の子どもはTVゲームばかりしているけど。 残念だけど、中国将棋、おじさん知らないんだ。君は強そうだね! 大召門前街散策 荒物屋さん | 日用雑貨屋さん | 煮豚屋さん | 靴屋さん | 薬屋さん | スイカ屋さん | 肉屋さん | ねぎ屋さん | 下着屋さん |
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