敦煌

敦煌空港

私が最初に訪ねたのは20年も前のことで、ここで紹介するのは一昔前の敦煌であろう。
懐かしく御覧いただきたい。
今はりっぱな陽関博物館ができ、王維の像も立つという。いつかもう一度訪ねたいと思っている。(別頁、遙かなるシルクロードの旅をご覧ください。)

西安から敦煌に飛んだ。機内からは「月面」が見える。地球とは思えない。砂漠の真ん中に降りた。敦煌空港だ。

陽関

 送元二使安西     (げん)()(あん)西(せい)使(つか)いするを(おく)る  王維

  渭城朝雨?輕塵     渭城(いじょう)朝雨(ちょうう) (けい)(じん)?(うるお)
  客舎柳色新     (かく)(しゃ)(せい)(せい)として柳色(りゅうしょく)(あら)たなり
  勸君更盡一杯酒     (きみ)(すす)む (さら)()くせ(いつ)(はい)(さけ)
  
西出陽關無故人     西(にし)のかた (よう)(かん)()づれば故人(こじん)()からん

古代シルクロードの重要な関門、それは軍事のため、また通商のための通過点であった。
この砂漠の下に当時の遺跡は眠るという。そして、10年前はこのように、小さな楼閣が建つのみの静かな遺跡であった。

烽火台跡

敦煌故城

中国と日本の合作で作られた映画「敦煌」のセットらしい。砂漠の中に姿を現すと、本物の城かなと思ってしまう。
今回の旅はすばらしい女性が同行してくれた。ビデオカメラ屋さんで、もちろん商売で同行だが、とても綺麗な人で3日間いっしょに旅ができる、大歓迎だ。敦煌の人、白さん。

ときどきモデルさん役もやってくれる。

鳴沙山

砂礫が堆積してできた砂山で、強風に舞う砂の音が管弦や太鼓のように響くという。
日中は砂が熱くてとても登れない。夕食後、7時から9時頃まで出かけた。

月牙泉

砂漠の真中に、泉が湧く。三日月形の池になり、この名がつく。

莫高窟

鳴沙山の東壁に、4世紀から元の時代までの1000年間に築かれた石窟があり、仏教芸術の集大成ともいえる仏像・仏画が納めれている。
暗い石窟の中の観賞になるため、それぞれに懐中電灯を手にして窟内に入る。

カメラもバッグも取り上げられての観賞。莫高窟の概観しか写真がない。

1000年の間、石窟は彫り続けられ、約1000の石窟があったとされるが、現在約500が保存されている。
貸衣装があり、王子さまとお姫さまの衣装で観賞する人がいる。ふたりは新婚旅行?もちろん地元の人でしょう。

敦煌を日本に紹介した平山郁夫画伯の石碑が立つ。

仏画・仏像

第57窟「樹下説法図」
  双樹・宝蓋の下、左右に脇侍菩薩、背後に二比丘八菩薩を従え、八角形の須弥座上に結跏趺坐した仏の説法姿を 描いている。
  右の拡大は右脇侍菩薩。きれいな観音菩薩やろ。「美人菩薩」と呼んで、人気の57窟。
  この菩薩を見ていると、釈迦が教える「執着」ばかりで、とても「中道」の心にはなれない。
     「執着」とは、自分の欲望にこだわり自分の愚かさに苦しむこと、
     「中道」とは、その欲望をもつ自分の心を理解しそれを抑制する心
  仏の世界にお連れいただけるなら、是非この菩薩のおられるところにいたいものだ。
  この菩薩の模写仏画は人気で、私も求めて、今部屋に掛けている。

第428窟「サッタ太子本生図」
  法隆寺の玉虫厨子にも「捨身飼虎」として描かれていることで知られる物語。本生図とは釈迦の前生の姿を描いたもの。
  ここではサッタ太子がそれで、太子は狩猟に出かけた山中で飢餓に苦しむ虎の母子に出会い、哀れに思い、自らの身を虎の前に横たえて自分の肉を食わせようとした。

立像

  左:第45窟「脇侍菩薩」  この方もきれいな菩薩。「執着」しますねん。
  右:第412窟「菩薩立像」 柔和なお顔。


敦煌市場ぶらぶら

白さんともお別れ、昨夜はカラオケスナックで一緒に飲んで歌って踊って楽しいひと時でした。「遊旅平安」という歌を歌ってくれました。
空港で、いつの間にか、今里君(当時は独身でした)、白さんに参考書を見ながらお別れの挨拶と「お手紙ください」と「写真を送ります」と中国語で伝えていました。

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中国の旅

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