三大神社

滋賀県草津市志那町

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国指定重要文化財  石灯籠

当社は天智天皇四年(665)創祀されたと伝えられ、吉田条里二十六坪「伊吹の里」に鎮座する神社である。            .

社前の石灯篭は総高2.3mの花崗岩製で、笠まで六角形に作られた珍しいものである。基礎の側面は輪郭をまき格狭間を入れ、

上部は反花を刻んでいる。竿は中央に三本上下に一本の節をもうけ、二面に「正応四年辛卯三月日僧永□敬白」(1291)と陰刻の

銘文があり、制作年を明示している。火袋の四面には蓮華座の上に月輪をつけ、内部には地蔵菩薩の種子「力」を刻み、笠には大

きな「ワラヒ手」を設けるなど極めて細かくていねいな造りで、鎌倉時代の石造美術を代表する貴重な文化財である。        .

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老藤由来記

古老の伝説に曰く、聖徳太子十七条憲法を御創立し給へり。是より後、中大兄皇子(天智天皇)と和州中臣鎌足等と蘇我入鹿を

誅する事を謀り給ひ、蘇我氏滅亡せる後、内大臣藤原鎌足公薨去せられ飛鳥に葬りたりしが其長子定恵墓として大和の談峯に

改め葬りたり。然して後、天武天皇の勅を拝して談峯の藤花に因み、藤原の隆盛を祈念として彼の倉橋山の藤の苗を移植せるが

年を追って成木し巨大の藤樹となりしを、織田信長の兵火に罹り巨藤亦焼失、後、株元から芽生え次第に繁茂せり。今に藤樹は

即ち是なり。                                                                    .

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境内に、大江匡房の歌碑

時雨せぬ吉田の村の秋をさめ刈り干す稲のはかりなきかな

歌碑紹介で終ればいいのに、ちょっと余計ごと。

この歌は、大江匡房『江帥集』に見られ、「鳥羽院大嘗会悠紀方和歌 近江国 天仁元年十一月二十一日」と題が付く。

『歌枕大観・近江篇』(森本茂編著・大学堂書店)によれば、

近江の「吉田」というのは、犬上郡と栗太郡にある。栗太郡の吉田は栗太郡吉田村であるが、『栗太郡志』によれば、そこは

中世に六角氏の支流の吉田氏が領布してから「吉田」という地名がついたという。

ところで、この歌の天仁元年という年号は西暦1108年、平安後期の頃の歌で、

作者の大江匡房も1041〜1111年と、平安後期の人。

この三大神社の辺りが吉田と呼ばれたのが中世になってからとすれば・・・。

なお、犬上郡の吉田は、現在の豊郷町吉田のことといわれる。

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村の鎮守さま 三大神社

万葉集を携えて

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