上笠天満宮

滋賀県草津市上笠町

笠縫村大字上笠に鎮座す、祭神伊勢津彦神、菅原道真の二座なり。

社伝に、天智天皇九年笠朝臣の勧請する所にして伊勢津彦神と称したり。後に観応二年菅原道真を相殿とし、

爾後、天満天神社と称するに至ると。按するに、天ッ神の天神社が南北朝の頃より天満天神となり、

明治以後天満宮と変化せしものなり。その伊勢津彦といふものは古へを伝ふるものならん。

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足利時代、兵乱の時当社所蔵の大般若経六百巻は奪はれて京都に移され店頭の売物となり、依て鹿苑寺蔭凉軒の僧

集證が之を八貫文にて買請たり。然るに江州上笠天満宮云々と記しあれば、是れ乱妨者の所為により社有の古経転伝

するを云へり。当社の為に惜しむべきなり。

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上笠天満宮講踊

上笠天満宮講踊は、今日ではここ上笠天満宮の秋祭に奉納される芸術である。古くは江戸初期の頃より、祭礼の際に奉納され、

旱魃の時の雨乞いおよびそのお礼踊りとして演じられたものと思われる。                                 .

踊りは近江一帯に伝わる「風流踊り」の系統になるものである。踊り子は多彩で、役付、心棒打、太鼓打、中踊り、外踊りなどが

あって、服装もそれぞれ異なる。心棒打、太鼓打は、裁付袴に花笠を着けて軍配を手に持ち、締め太鼓を胸の前に着ける。中踊り

外踊りは、浴衣に花笠を被り、手に梅鉢の紋の入った団扇を持つ。                                    .

踊り歌は、越前道行、小原木踊、飛騨踊、綾の踊など二十九番を伝えている。これらの歌は、褒め歌や物語歌、叙情歌などに分類

され、通常小歌と称される中世末頃の民衆の間に広まった流行歌謡である。                               .

この踊りの合間には、鳥や鯛、鉦などの採物を持って簡単に舞う鳥指し所望がある。この舞いを残しているのは近畿ではここ上笠

のみとされている。                                                                 .

永らく途絶えていたが、昭和49年5月保存会を設立して現在に伝えている。                               .

昭和53年 草津市指定無形民族文化財に指定                                               .

昭和54年 滋賀県選択無形民族文化財に選択                                               .

(境内 上笠天満宮講踊略記より)

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村の鎮守さま 上笠天満宮

万葉集を携えて

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