天満宮

滋賀県守山市守山町

 

神社前は中山道が通り、ここは守山宿

寛永十九年(1642)守山宿として制札が与えられてから350年余になる。

当時、江戸日本橋から守山まで67の宿が定められたが、守山は東下りの一番目の宿場で、

「京立ち守山泊り」として旅人に知れわたっていた。

宿場の西端にある「市神社」

その前に道標があり、

この道標が建てられているこの地点はかつて掟書などが掲げられた高札場の一角であった。

道標は

「右 中山道 并 美濃路」

その左側面には

「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」

右が美濃(岐阜)へと続く中山道で、左の道を行くと、人々の信仰を集めた真宗木部派本山である錦織寺に至る4キロの道程であり、

「こ乃者満ミち」とは、琵琶湖の津として賑わっていた木浜港へも通じる道筋であることを示している。

背面には、延享元年(1744)霜月の銘があり、大津市の西念寺講中によって建立されたことがうかがえる。

・・・

東の分岐点にも道標があり、

この道標は、守山宿の東端から分れて栗太郡葉山村や東海道に向かう人々に対して案内したものである。

一面に「すぐいしべ道」、もう一面に「高野郷新善光寺道」と刻まれている。

新善光寺は栗東市高野にあり、彼岸には門前に市がたつ賑わいをみせる寺院であり、守山方面からも大勢の人々が参拝したと思われる。

この道は守山道と呼ばれ、中山道から東海道へ入る道として多くの人々に利用された道と思われる。

・・・・・・・

村の鎮守さま 天満宮

万葉集を携えて

inserted by FC2 system