倭神社 しどり

大津市滋賀里三丁目

祭神は、天智天皇の皇后である倭姫と伝えるが、おそらくこの小丘上の本殿の改築の際、朱の痕跡が認められる花崗岩の板石が

5〜6枚発見されたことなどから古墳と考えられ、その被葬者が倭姫だとする伝承によるものであろう。

江戸時代の記録によりと、天正十九年(1591)及び宝永七年(1710)に赤塚大明神として再興されたという。

この古墳は「赤塚古墳」と命名され、地籍図等の復元による東向きの前方後円墳か、もしくは近年の測量調査による

直径30〜40m、高さ2.5〜4.0mを測る円墳と思われる。

築造年代は、古墳時代中期の5世紀前半頃と推定されている。

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村の鎮守さま 倭神社

万葉集を携えて

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