毛知比神社

大津市上田上里5丁目

毛知比神社は大字里に鎮座す、祀る所日本武尊保食命なり。創祀年代詳ならず。

社伝に、天平宝字二年三月に鎮座、五十四村の大宮なりと見ゆ。

『姓氏録』に、小野臣、大春日朝臣同祖、彦姥津五世孫、米餅搗大使主命之後也。

と見へ、餅居は米餅搗大使主命に縁由あるやに聞ゆ。

『建部神社記』に、「郷人等為神供奉餅依号餅宮」とあり、毛知比は神供の餅より出つといふは如何にや。

鎌倉時代歌人源俊頼の所領田上庄に在り、俊頼父子は京塵を避けて時々田上に来遊したり。散木集に、

田上に侍ける頃、上の里と云ける所に、湯わかして人のむかひければ。まかりけるに、鳥居の有ける前に、

道しるべの者おろしえれば、いかなる神のおはしますぞと尋ければ、

もちゐの宮と申神のおはしますと云を聞て、俊重が戯れてよめる、

あれこそはもちゐの宮と聞からにつくつくと思ふ事をこそ祈れ

と云ふを聞て和し侍りけり。

あれとみはさしてそれともまいらましよそにもちひの宮仕へして  俊頼

とあり。俊頼が里人に迎へられて此地に来り、鳥居の前に輿を降り、社を毛知比宮といふを聞きて

父子が詠歌したるにて里村と餅居宮との史料とす。

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山の神神社   田上里6丁目

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村の鎮守さま 毛知比神社 山の神神社

万葉集を携えて

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