大津市の神社を紹介します。(その2)

近江神宮大伴黒主神社福王子神社
祭神 天智天皇祭神 大伴黒主卿祭神 紀貫之公
境内社 境内社 境内社 
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 波桜神紋 左三ツ巴神紋 五三桐
鎮座地 大津市神宮町鎮座地 大津市南志賀二丁目鎮座地 大津市南志賀二丁目
由緒
昭和十五年鎮座
由緒
近江輿地志略に大伴明神社と記され、新在家村の
民家の西、松樹茂りたる山際に在り、祭る所大伴
黒主の霊なり。
淡海録に黒主は晩年志賀山中に幽栖し、天暦七年
没したので、土地の人が尊崇して同地に祀った。
由緒
近江輿地志略に承応六年再興とある。
紀貫之は、大和守文幹の二男で元慶八年生れ、
天慶九年比叡山の裳立山にて没す。
村人たちは歌神として尊崇し同地に祀った。

宇佐八幡神社新羅善神堂大津大神宮
祭神 應神天皇祭神 祭神 天照皇大神 豊受大神
境内社 若宮八幡宮 丹後宮 蛭子社 高良社
境外社 稲荷社
境内社 境内社 
本殿 一間社流造本殿 本殿 
神紋 三ツ巴水紋神紋 神紋 
鎮座地 大津市錦織一丁目鎮座地 大津市山上町鎮座地 大津市小関町
由緒
治暦元年源頼義が当山に祠を建て、
豊前国宇佐神宮を勧請した。
この山を宇佐山という。
由緒
堂は三間四方の流れ造り、屋根は桧皮葺きの
美しい建物で、国宝に指定されている。
暦応三年(1339)足利尊氏が再建した。
新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、
本尊新羅明神像も国宝。
源頼義の子義光がここで元服し新羅三郎義光と
名のったのは有名である。
由緒
明治11年、社殿を創建し天照大神を創祀する。
明治31年、豊受大神を合祀する。

小関天満宮樹下神社蝉丸神社
祭神 祭神 鴨多々須玉依姫命祭神 蝉丸大神 猿田彦命
境内社 境内社 皇大神宮 春日神社 八坂神社 男山神社境内社 皇大神宮社
本殿 本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 神紋 三ツ巴神紋 
鎮座地 大津市小関町鎮座地 大津市山中町鎮座地 大津市大谷町
由緒                            .       由緒
坂本日吉八王子の宮を勧請した。
由緒
天慶九年、蝉丸を祀る。
蝉丸は、盲目の琵琶法師で、音曲芸道の祖神として
平安末期の芸能にたずさわる人々に崇敬され、当社
の免許により興行したものである。
後、万治三年、猿田彦命を合祀する。

藤尾神社三尾神社早尾神社
祭神 国常立尊
配祀神 應神天皇 神功皇后 玉依日売命
祭神 伊弉諾尊
配祀神 白尾神 黒尾神
祭神 武速素盞嗚命 猿田彦命
境内社 諏訪神社 稲荷神社 石清水神社境内社 坂下稲荷神社 日御前神社 天満宮
夷子神社・白鬚神社(相殿)
白山神社・愛宕神社(相殿)
境内社 八幡神社 蛭子神社 児太友社
境外社 稲荷神社
本殿 一間社流造本殿 三間社流造本殿 入母屋造
神紋 神紋 真向きのうさぎ神紋 十六菊 輪ぼう
鎮座地 大津市藤尾奥町鎮座地 大津市園城寺町鎮座地 大津市山上町
由緒
寺門伝記に仁明天皇承和年中、園城寺西南の
守護神として江州滋賀郡如意嶽南麓藤尾谷に
鎮座す、とある。
由緒
三尾明神とは、伊弉諾尊がこの地に降臨し、長等
山の地主神となった。
常に三つの腰帯をつけていた。その腰帯が赤尾神
白尾神・黒尾神となった。三尾と称された。

・・・
「近江国高島郡に神あり、三尾明神と号す。その所
を名付けて三尾が崎という。養老年間に、道明、徳
道の二僧あり。はじめて長谷寺の観音像をつくる。
その像材は三尾が崎より流出す。漂いて大津の浜
に至る時、材木の上に三つの小蛇ありしが忽然と
はい出て、陸に上り西の山を望んでいる。これ即ち
三尾明神なり。」
この故事により、一月に藁で蛇形をつくり悪疫退治
を祈る蛇打ち神事がある。
由緒
貞観元年、智澄大師が三井寺の復興に当り
坂本日吉大社の早尾大神を分霊してこの地
に祀り、寺門宗の守護神とした。

長等神社関蝉丸神社(上社)関蝉丸神社(下社)
祭神 建速須佐之男大神 大山咋大神
配祀神 市杵島姫神 三尾大神 八幡大神
祭神 上社 猿田彦命 下社 豊玉姫命
配祀神 上下社 蝉丸霊
境内社 稲荷神社 馬神神社 両御前神社 笠森社境内社 下社 貴船神社 中臣稲荷神社
大神宮神社 関清水神社 天満宮
境外社 貴船神社
本殿 入母屋造向拝付本殿 上社 一間社流造正面千鳥破風唐破風付
下社 一間社流造
神紋 桜花 左三ツ巴神紋 十六弁単菊 裏菊
鎮座地 大津市三井寺町鎮座地 大津市逢坂一丁目鎮座地 大津市逢坂一丁目
由緒
天智天皇の代、都の鎮護として長等山岩倉の地に
須佐之男命を祀る。
清和天皇貞観二年、園城寺の開祖智証大師が
日吉大神を勧請合祀し、園城寺の鎮護神とした。
由緒
当社は上下社をもって一社とする。創祀は嵯峨天皇の弘仁十三年と伝える。しかし、
逢坂山は京都と近江の国境で交通の要所であり、古くより国境神、坂神、手向の神
(道祖神)また逢坂越の関の守護神として崇敬され、また王城の疫神として斎行さ
れたこともあり、これらの神徳が集まって関明神上下社が創祀されたものであろう。
その後、関明神は後撰集の歌人で琵琶の名手である蝉丸だとする信仰がひろまり、
歌管絃の名手鴨長明もその一人で無名抄にそのことを書いている。蝉丸が合祀さ
れたのは、天慶九年とも平安時代末ともいわれ詳でない。けれども蝉丸伝承は時代
と共にたかまり、次第に歌舞音曲その他諸芸にかかわる人々の信仰厚くなって、江
戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許を受ける人々が全国規模で増
加した。

若宮八幡神社蛭子神社天孫神社
祭神 應神天皇祭神 蛭子尊祭神 彦火火出見尊 国常立尊 大名牟遅尊
帯中津子尊
境内社 稲荷神社 天満宮 榊下神社境内社 境内社 天満宮社 日若宮社 輻輳神社
八幡神社 蛭子神社 福富稲荷神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 三間社流造
神紋 菊花神紋 神紋 鷲丸
鎮座地 大津市逢坂一丁目鎮座地 大津市中央二丁目鎮座地 大津市京町三丁目
由緒
村上天皇天徳三年に豊前国から宇佐八幡宮を
勧請し祀る。
由緒
創祀年代不詳
日吉山王祭の大榊神事に、天孫神社に榊渡御の
途中当社に立寄り祈祷する。

・・・
「此附近露國皇太子遭難之地」碑              .
由緒
延暦年間の創祀と伝わる。
社号はもと四宮神社、天孫四宮大明神と称された。
十月の曳山祭は慶長年中に始まり、元禄年中に
大体現町名が整って神輿二基山鉾十四基による
優美な巡幸が行なわれている。

彦田稲荷神社八幡神社石坐神社
祭神 彦田稲荷大神
配祀神 彦丸稲荷大神
祭神 應神天皇祭神 天命開別尊(天智天皇) 弘文天皇
伊賀采女宅子媛命
豊玉比古命
 彦坐王命 海津見神
境内社 境内社 境内社 稲荷神社 石神社
本殿 一間社流造千鳥破風唐破風向拝付本殿 一間社流造本殿 三間社流造
神紋 左三ツ巴神紋 向かい鳩神紋 左三ツ巴
鎮座地 大津市浜大津一丁目鎮座地 大津市中央二丁目鎮座地 大津市西ノ庄
由緒
社伝に、彦根藩蔵屋敷「佐和倉」の庭内に
祀られていた稲荷社が、廃藩後も引続き鎮座する。
由緒
創祀年代不詳
由緒
近江国府の初代国造治田連が四代前の祖
彦坐王を祀ったのが始まり。
壬申の乱後、滋賀寺の僧尊良法師が密かに
近江朝三神霊を祀る。

平野神社和田神社膳所神社
祭神 大鷦鷯皇命 猿田彦命祭神 U祭神 豊受比売命
境内社 天満宮 愛宕神社 常世神社 稲荷神社境内社 稲荷神社 五社ノ社 山神社境内社 愛宕神社 松尾神社 稲荷神社
本殿 春日造本殿 一間社流造軒唐破風付本殿 一間社流造
神紋 桜花の中央に「平」の字の紋 けまりの紋神紋 五七桐神紋 上り藤 橘
鎮座地 大津市松本一丁目鎮座地 大津市木下町鎮座地 大津市膳所一丁目
由緒
社伝に、天智天皇が志賀の大津の宮に遷都
されたとき、都の三里以内に守護神を祀ったと
伝えられ、白鳳元年に鎮座した。
藤原鎌足の創立と伝えられる京都西洞院家の
官領の社である。
「精大明神」(蹴鞠の神様)は、猿田彦命で皇極
天皇の代、京都西洞院滋野井に鎮座する精大
明神を奉遷した。
「蹴鞠之社」の碑。相殿が蹴鞠神社(猿田彦命)

由緒
白鳳四年創祀とされる。
持統帝の朱鳥年の頃から元天皇社あるいは
八大龍王社と呼ばれ、仁明帝の承和年から
正霊天王社とも称さていた。
現在の本殿は鎌倉建築様式を代表するもので、
蛙又の彫刻は有名(重文)。
樹齢650年の銀杏があり、石田光成がつなが
れたという。

由緒
天智天皇が大津宮遷都に際し、この地を御厨地と
定めた。
天武天皇六年大和より御食津神を奉還して、
大膳職の御厨神とした。
現在の表門は元膳所城の城門で、重文である。

篠津神社粟津神社丹保宮
祭神 素盞嗚命祭神 大国主命
配祀神 大導寺田端端之介 田中恒世
祭神 保田正経他十三柱
境内社 少彦名社 高U
六柱神社(稲荷大明神外五柱)
六柱神社(菊理姫命外五柱)
境内社 境内社 
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 瓜紋 左三ツ巴神紋 神紋 十六菊
鎮座地 大津市中庄一丁目鎮座地 大津市中庄一丁目鎮座地 大津市御殿浜
由緒
古くは大梵天王と号し天王社と称されていたが、
牛頭天王社と改称された。
膳所中庄の産土神である。
現在の表門は元膳所城の北大手門で、重文
である。
由緒
古くは粟津山王権現と呼ばれていたが、
後に膳所開発の祖と云われる配祀神を合祀。
由緒
慶応元年の膳所城事件の関係者を祀る。

本多神社若宮八幡神社秋葉神社
祭神 本多家中興の四柱祭神 仁徳天皇
配祀神 應神天皇 武内宿禰
祭神 加具都智命 大国主命
境内社 稲荷神社境内社 皇太神宮 金比羅社 新羅社
天満宮社 多賀社 白山社 稲荷社
境外社 八坂神社
境内社 粟島神社 稲荷神社
本殿 一間社流造本殿 三間社流造本殿 一間社流造
神紋 三ツ葉葵神紋 五三桐 左三ツ巴神紋 三本杉
鎮座地 大津市御殿浜鎮座地 大津市杉浦町鎮座地 大津市膳所平尾町
由緒
旧膳所城瓦ヶ浜御殿の跡に鎮座。
本多家家臣等が明治十六年創祀。
由緒
白鳳四年、天武天皇が宇佐八幡の神託により
この粟津に行幸したところ、紫の雲が立ち、
金色の鳩が飛来して粟津の森の大木に止まった。
その処に社造営を勅され、仁徳天皇の木像を
下賜された。次いで、この浦(湖辺)の殺生を禁じた。
漁夫等これを恐れて特別の浦、別浦と云い、
後に別保と呼び地名として残っている。
由緒
江戸時代、膳所藩は京都御所の禁裏火の御番
となり、よって先ず膳所城下の防火に力を注ぎ、
前任地の三河国より秋葉大明神の分霊を勧請し、
城下を一望できる茶臼山に社殿を築いた。
寛文の頃である。

菅原神社御霊神社御霊神社
祭神 菅原道真公祭神 弘文天皇祭神 弘文天皇
境内社 境内社 奥神社 八幡神社 大土神社
綿津見神社 稲荷神社
境内社 八幡神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 梅鉢神紋 三ツ割の菊神紋 三ツ割の菊
鎮座地 大津市膳所平尾町鎮座地 大津市鳥居川町鎮座地 大津市北大路一丁目
由緒
寛永、延宝の二度の大旱魃を機に、藩は水利の
確保のため亀ヶ池の修築を始め、平尾新田の
開墾工事を起した。開墾は享保元年に完成し、
百姓移住を命じ、氏神として菅原天満宮を祀った。
由緒
社伝に、壬申の乱後三年目の白鳳四年大友皇子
の第二子與多王の指示により隠山に皇子の神霊
を奉祀し、大友宮または御霊宮と称した。
由緒
創祀年代不詳
幾多の戦乱で社殿、古文書など兵火で失い、
往古を知ることは難しい。
鳥居川の御霊神社といづれか分祀の関係であろう。

近津尾神社新宮神社戸隠神社
祭神 誉田別尊祭神 伊弉諾尊 伊弉冉尊祭神 天手力男神
境内社 山神神社 洞神社 雨壷神社境内社 大将軍社 福明神社 一木神社
天満神社
境内社 多度神社 宇気母智神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 左三ツ巴神紋 十六菊神紋 立葵(右割れ)
鎮座地 大津市国分二丁目鎮座地 大津市石山寺二丁目鎮座地 大津市平津二丁目
由緒
石山寺記録に、承安三年後白河院石山寺に
行幸した際、石山寺座主公祐僧都命をうけて勧請、
石山寺祈願寺と奉崇すとある。
境内地に元禄年間俳聖芭蕉が移り住み、
俳句を詠んだゆかりの幻住庵が昭和十五年
再興された。
由緒
紀州熊野新宮社の分霊とも伝わるが、不詳。
村に残る伝説に、壬申の乱で敗れた大友皇子が、
今の石山寺の境内地内で果てられ、悲運の皇子と
その一族を祀るため社殿が造られ三十八社五明
神と称された。
奈良時代に石山寺が創建されたため、寺領の
山林に社殿を移し祀ったのが当社である、という。
由緒
口碑に、後冷泉天皇康平年間に信濃国
上水内郡戸隠山鎮座の戸隠大明神を
勧請したと伝わる。

御霊神社春日神社貴船御霊神社
祭神 右大臣吉備公祭神 建御雷男神 経津主神 天児屋根神
大神 別雷命
祭神 罔象女命 秦武智麿公
大山祇命 誉田別命 高
境内社 宇賀神社 日吉神社 白山神社
産霊神社 佐久那太理神社 山神社
境内社 八幡神社 稲荷神社境内社 稲荷神社 三女神社
本殿 一間社流造本殿 入母屋造本殿 一間社流造
神紋 下り藤神紋 下り藤神紋 沢瀉
鎮座地 大津市南郷五丁目鎮座地 大津市石山内畑町鎮座地 大津市大石曽束町
由緒
京都市上京鎮座下御霊神社の分霊を勧請し
御霊八所大明神と称した。
由緒
元久二年大和国春日大明神を勧請という。
由緒
貴船神社は大石曽束町の守護神として鎮座し
古くから御霊神社と相殿であった。
社伝に、この地は古、秦川勝の裔武智麿の食邑で
あったため、祭神とする。

八幡神社八幡神社山神社
祭神 誉田別命 天照皇大神祭神 應神天皇
配祀神 須佐之男命 大山祇命 八重言代主神
祭神 
境内社 正王神社境内社 椋本神社境内社 
本殿 一間社流造本殿 三間社流造千鳥破風唐破風付本殿 
神紋 左三ツ巴神紋 左三ツ巴神紋 
鎮座地 大津市大石小田原町鎮座地 大津市大石龍門町鎮座地 大津市大石中5丁目
由緒 不詳由緒
当社は天暦二年に創立し椋本神社と称して
瀬織津姫命、宇賀魂命、大地主命を産土神として
崇拝してきたが、文亀元年應神天皇を勧請して
八幡神社と改称した。
由緒 不詳

佐久奈度神社春日神社琴平神社
祭神 瀬織津姫命 速秋津姫命
気吹戸主命 速佐須良姫命 大山咋神
祭神 建御雷之男神 経津主神 天児屋根命
天照大日
祭神 大己貴尊
境内社 焼鎌神社 敏鎌神社 稲荷神社
八幡神社
境内社 若宮八幡神社 八王子神社 恵比須神社
蔵王神社 正八幡宮 貴布禰神社 天満宮
境内社 
本殿 三間社流造本殿 二間社入母屋造向拝一間本殿 一間社流造
神紋 心桜十六菊神紋 上り藤神紋 笹龍胆
鎮座地 大津市大石中町鎮座地 大津市大石富川町鎮座地 大津市大石富川町
由緒
天智天皇八年勅願により中臣朝臣金連が当地に
おいて祓を創し神殿を造営して祓戸神三神(現在四柱)
を祀った。
当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として
著名で、大七瀬の祓所の一つである。
忠臣蔵で有名な大石良雄の曽祖父良勝が武運長久を
祈って奉納した絵馬が残っている
由緒
社記に、久寿元年に大和国漆上郡二条の
二条蔵人助藤原重友が創祀。
本殿形式では日本最古の二間社入母屋造と
呼ぶ特異な構造をもつ。
由緒
社伝に、正暦三年の鎮座で、古くは日吉権現社と称した

須賀神社白山神社八幡神社
祭神 建速素盞嗚命祭神 伊邪那美命祭神 應神天皇 建御名方命 中筒男命
境内社 春日神社 天孫神社境内社 境内社 諏訪神社 住吉神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 大瓜に剣片喰神紋 うさぎ神紋 右三ツ巴
鎮座地 大津市田上羽栗町鎮座地 大津市田上森町鎮座地 大津市田上森町
由緒
創祀年代は不詳、
古来羽栗村、森村堂村の総社であった。
由緒
慶安三年大津円満院宮より勧請した社で、
社伝に栗太郡下田上村大字森字新田に鎮座とある。
由緒
仁和三年山城国石清水八幡宮を勧請、
明治以前は現在の境内社諏訪神社と相殿であった。

天満宮毛知比神社神立神社
祭神 菅原道真公
配祀神 大山咋命 豊玉彦命 伊邪那美命
祭神 日本武尊
配祀神 保食命
祭神 天押立尊
境内社 竈神社 水神社境内社 神里神社 大君神社 琴平神社
愛宕神社 水神社 大神宮
境内社 赤山神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 星梅鉢神紋 揚羽蝶神紋 揚羽蝶
鎮座地 大津市田上枝町鎮座地 大津市田上里町鎮座地 大津市田上石居町
由緒
天治元年の創祀という。
相殿祭神三柱は明治四十二年合祀。
由緒
奈良時代天平宝宇元年瀬田建部大社の別宮
として田上杣之庄里村に創祀。
藤原時代の歌人源俊頼はその子俊重とこの
「もちゐの宮」に参詣し共に歌を詠んだことを
その著書散水集に記す。

由緒
寛文八年創立。
神社旧跡碑

大将軍神社上津神社上津神社
祭神 大将軍大神祭神 素盞嗚尊祭神 素盞嗚尊
配祀神 稲田比売命 八王子神
境内社 境内社 境内社 三大神社 京極神社 山王神社 春日神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 木瓜神紋 木瓜神紋 木瓜
鎮座地 大津市田上石居町鎮座地 大津市田上稲津町鎮座地 大津市田上太子町
由緒
寛永四年創立。
由緒
文政三年太子村と分離し社殿を造営、
牛頭天王社の分霊を祀り独立社に。
由緒
正安二年の創祀という。
古くは牛頭天王社と称する。

山神社新茂智神社白山神社
祭神 大山津見神祭神 稲依別命 少彦名命
配祀神 大己貴神
祭神 伊弉冉尊
境内社 境内社 若宮八幡神社 長船神社 十明神社
三十万里神社 西宮神社 金刀比羅神社
境内社 
本殿 一間社流造本殿 三間社流造向拝一間本殿 切妻造
神紋 折れ松葉神紋 三本杉神紋 水玉
鎮座地 大津市田上太子町鎮座地 大津市田上関津町鎮座地 大津市田上関津町
由緒
元農地の中央に鎮座していたが、
農耕に支障あるため、
上津神社境内に移祀した。
由緒
天平宝宇五年勅をもって稲依別命と少名彦命の
二神を創祀、新餅大明神と号し、建部若宮と
称した。
由緒
創祀年代不詳、
笹間が岳の山頂に鎮座、水分神としての信仰が強い。
参道が峻険であるため、年一回田植終了後に
村人たちが集団で参拝している。

諏訪神社稲荷神社八幡神社
祭神 建御名方神祭神 倉稲魂神 伊弉冉尊祭神 
境内社 金刀毘羅神社境内社 境内社 
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 
神紋 箭違い神紋 稲穂神紋 
鎮座地 大津市田上関津町鎮座地 大津市上田大鳥居町鎮座地 大津市上田大鳥居町
由緒
創祀年代不詳
奈良時代、交通の要所としてこの地に関所が
設けられ、これが地名になった瀬田川を眼下に
見下ろす高台に鎮座し、旅人の憩いの場ともなり
参詣者が後をたたずと社記にもある。

由緒
平成9年、大戸川ダム建設事業のため、村落とともに現在地に遷宮。
平成21年、国土交通省はダム建設計画の凍結を決定。
故郷を捨てた住民の心は悲しい。

旧稲荷神社

 

神社八幡神社天満宮
祭神 天児屋根命祭神 誉田別命祭神 菅原道真公
境内社 八幡社 稲荷社 天満宮境内社 境内社 愛宕神社 山神神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 下り藤内交叉矢神紋 向い鳩神紋 梅鉢
鎮座地 大津市上田上桐生町鎮座地 大津市上田上牧町鎮座地 大津市上田上平野町
由緒
創祀年代不詳であるが、社伝に明治維新までは
矢野大明神と称し、京都の吉田神社よりの勧請
という。

由緒
社伝に、貞観二年の鎮座。

由緒
伝記に、寛平九年菅公勅使として金勝寺の参詣の
途中、大雷雨があり当地に雨宿りしたが、住民の
ために雷除けの祈願をした。その徳を偲んで天暦
年間に当社を建立したと伝える。

荒戸神社波穂神社若宮八幡神社
祭神 天児屋根命 素盞嗚命祭神 日本武尊 天照大神祭神 天若彦命
境内社 八幡神社 太神社 萱尾神社境内社 境内社 牛尾神社 春日神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 神紋 神紋 向い鳩の下に下り藤
鎮座地 大津市上田上中野町鎮座地 大津市上田上芝原町鎮座地 大津市上田上堂町
由緒
田上山北麓に鎮座し、創建は天智天皇の代という。
本殿二宇あり、西殿に天児屋根命を祀り荒戸大明神
と称し、東殿に素盞嗚命を祀り牛頭天王社と称した。
由緒
当社はもと浪尾明神と称し、
建部大社の分祀と伝わる。
由緒
社記に、建久元年天皇元服のため源頼朝
上洛の際、社殿を造営して鶴岡八幡宮を勧請した
という。

新宮神社建部大社檜山神社
祭神 速玉男命祭神 日本武尊
配祀神 天明玉命
祭神 
境内社 樹下神社 野神神社境内社 聖宮神社 大政所神社 藤宮神社
若宮神社 行事神社 弓取神社 箭取神社
蔵人頭神社 大野神社 稲荷神社 八柱神社
境外社 檜山神社
境内社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 
神紋 十六弁菊花神紋 三本杉神紋 
鎮座地 大津市田上新免町鎮座地 大津市神領鎮座地 大津市神領
由緒
社伝に、平安時代保延三年日吉山王の憲覚法眠が
日吉十禅師社を分祀したとある。

由緒
景行
天皇四十六年神勅により妃・布多遅比賣命が
子・稲依別王と共に住んだ神崎郡建部の郷に、
日本武尊を祀ったのが社の草創であり、その後
天武天皇白鳳四年近江国府の所在地である
瀬田の地に遷祀した。
『古事記』 倭建命、近淡海の安国造の祖、
意富多牟和気の女、布多遅比賣を娶して生みま
しし御子、稲依別王。
稲依別王は、犬上君・建部君等の祖。

由緒
建部大社の境外社

瀬田橋龍宮御霊神社若松神社
祭神 瀬田川龍神 俵藤太秀郷

祭神 本殿 弘文天皇(大友皇子命)
    相殿 住野大明神 権殿 白鬚大明神

祭神 経津主尊
配祀神 宇賀大明神
境内社 境内社 野上神社 稲荷神社境内社 市杵島姫神社 出雲神社 宇賀神社
白玉神社 日吉神社 小坂神社 不動神社
本殿 本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 神紋 三ツ巴神紋 左三ツ巴
鎮座地 大津市瀬田二丁目鎮座地 大津市大江六丁目鎮座地 大津市大江二丁目
由緒
伝説・俵藤太百足(ムカデ)退治の勢多橋龍宮秀郷社
社伝に、神代の古からこの大川に鎮り座す龍神で
瀬田川と唐橋の守り神。
俵藤太が龍神の頼みにより大百足を平らげた
伝説は広く知られている。

むかで射し 昔語りを 旅人の
     いいつつ渡る 勢多の長橋
                 大江 匡房
由緒
治田連の子孫が祖霊を祀った。
由緒
創立は欽明天皇の代とされ、社伝に称徳天皇
神護景雲元年に下総国香取神宮の祭神を奈良
春日神社に勧請の際、当地に滞在とある。
また、宝亀八年湖水の水絶えた時、光仁天皇が
湖辺の神社に祈願し満珠を得られたことから
祭神を若松大明神と改め、勅願で奉祀したのが
当社の始まりとも伝える。

萱野神社八坂神社龍王神社
祭神 開化天皇祭神 素盞嗚尊祭神 龍神 
境内社 市杵島姫神社 西浦神社 天満宮
水天宮 金刀比羅神社 稲荷神社 大将軍神社
境外社 藤ヶ森神社 東浦神社 西浦神社
貴船神社 大山祇神社
境内社 多賀大社 稲荷大社 龍王神社 山之神社
境外社 龍王神社
境内社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 
神紋 蓑亀神紋 祇園木瓜神紋 
鎮座地 大津市大萱二丁目鎮座地 大津市月輪一丁目鎮座地 大津市月輪
由緒
彦坐王の四世にあたる治田連が、淡海の国造と
してこの地に居住し、栗太一円の墾田開拓にあ
たり、雄略天皇六年治田一族の遠祖となる開化
天皇の神霊を祀ったのが始まりという。
社号は古来九帝王宮、または九帝王神社と
称せられていた。
神紋「蓑亀」の由来は、和銅八年天下旱魃にて
作物成長せず、農民皆雨乞祈願をした。その時、
里の山中の洞穴より霊亀這い出して大雨が降り
作物は蘇生した。この亀は左目白く首赤く背三つ
に分れ、七星の紋ありという、亀のいでたるところを
大亀川又は老上川、現在の狼川という。
由緒
領主代官が開発させた新開発地で、大萱村の
一帯の山林原野を、京都役人が延宝三年に
溜池を築き、用水路や農道を作ると共に、水田、
畑、屋敷等の開墾を成し終え、京都祇園社より
「牛頭天王」を勧請し祀った。
当初大萱新田、または月輪新田と称し、四十五
戸で発足する。明治七年月輪村となる。
由緒
八坂神社由緒に記された溜池の一つ、
龍王神社はある。水の神龍神を祀る。

山ノ神社
祭神 大山祇命祭神 祭神 
境内社 境内社 境内社 
本殿 本殿 本殿 
神紋 神紋 神紋 
鎮座地 大津市月輪3丁目鎮座地 鎮座地 

由緒
延宝年間、新田開発の現場基地を
後に五穀豊穣、
村中安全を祈願して祭祀する。

由緒由緒

小野神社小野篁神社小野道風神社
祭神 天足彦国押人命 米餅搗大使主命祭神 小野 篁命祭神 小野匠守道風命
境内社 小野篁神社 八幡神社 松尾神社
境外社 小野道風神社 樹下神社 八坂神社
岡宮神社
 
境内社 境内社 八坂神社 樹下神社 文殊神社
本殿 神明造本殿 三間社流造本殿 三間社流造
神紋 三ツ目神紋 神紋 
鎮座地 大津市小野鎮座地 大津市小野鎮座地 大津市小野
由緒
祭神天足彦国押人命は孝昭天皇の第一皇子で、
近江国造の祖である。
また米餅搗大使主命はその七世の孫で元の名を
日布礼大使主命と呼んだ。応神天皇の時代に
初めて餅を作ったことから、日本餅造の始祖と
される。

由緒
参議小野岑守の子。淳仁天皇の承和五年
遣唐副使として出かける時、正使藤原常嗣と争い、
嵯峨上皇の怒りにふれ隠岐に流された。
同七年召還され、同十四年参議となり仁寿二年
五十一歳で没。世に野宰相と称され、漢詩文では
当代随一といわれた。

  わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと
     人には告げよ あまの釣舟  『古今集』

由緒
興国二年鎮座
平安中期の書家、三蹟のひとりである。篁の孫
になる。平安初期の雄渾な唐様書風に対し、
典雅な和様の基礎を作る。青蓮院流など後代の
書道に与えた影響は大きい。

小野妹子神社天皇神社木元神社
祭神 小野妹子祭神 素盞嗚尊祭神 句句廼馳神
境内社境内社 樹下神社 若宮神社 三之宮神社
松尾神社 大国主神社
境内社 蛭子神社 八幡神社 護国神社
本殿 本殿 三間社切妻造向拝一間本殿 一間社流造
神紋 神紋 梅鉢神紋 左三ツ巴
鎮座地 大津市小野水明鎮座地 大津市和邇中鎮座地 大津市和邇南浜
由緒
推古15年、「日出づる処の天子、書を日没する処の
天子に致す」という国書を持って、遣隋使として
中国に渡る。
由緒
社伝に、村上天皇康保三年和邇荘が崇福寺領で
あった時に、京都八坂の祇園牛頭天王を勧請して
和邇牛頭天王社と称したと伝える。
由緒
天暦八年小野道風朝臣が和邇の湖汀にこの神を
祀り、社殿を造営して木之元社と称した。

文殊神社石上神社貴船神社
祭神 祭神 祭神 
境内社 境内社 境内社 
本殿 本殿 本殿 
神紋 神紋 神紋 
鎮座地 大津市小野鎮座地 大津市小野鎮座地 大津市和邇今宿

由緒

由緒 石神古墳群由緒

大将軍神社住吉神社水分神社
祭神 中浜神祭神 底筒男命 中筒男命 表筒男命祭神 天水分神
境内社 若宮神社 護国神社境内社 八幡神社 貴船神社境内社
天満神社 小星神社 八幡神社 大将軍神社
峰神社 松尾神社 神明神社 今宮神社
大川神社 岩上神社 稲荷神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 神紋 神紋 左三ツ巴
鎮座地 大津市和邇中浜鎮座地 大津市和邇北浜鎮座地 大津市栗原
由緒
創祀年代不詳
由緒
寛弘七年花山天皇の皇子清仁親王が比良山
最勝寺へ参詣の帰路、湖上が荒れて乗船が
危うくなった時、親王が舳先に立ち住吉大神に
祈願すると忽ち浪静まって恙なく志賀浦に着いた。
この為この地に住吉三神を勧請したのが当社である。
由緒
康元元年の創祀と伝えられ、元八大龍王社と
称して、和邇荘全域の祈雨場であった。

八所神社若宮神社八所神社
祭神 八所大神 住吉大神祭神 八柱御子神祭神 大己貴命 白山菊理姫命
境内社 境外社 金刀比羅神社境内社 神明社 日吉神社 得元社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 三ツ巴神紋 神紋 
鎮座地 大津市南船路鎮座地 大津市八屋戸鎮座地 大津市八屋戸
由緒
創祀年代不詳
由緒
創祀年代不詳
木戸樹下神社の境内社牛尾神社の遥拝所で
あったが、後その若宮となったと云われる。
由緒
創祀年代不詳
元亀の変で坂本の日吉神社が焼亡の際、
同社禰宜が神霊を捧持して当社に逃れ、山王祭も
行われた。この由縁で日吉七社の分霊を相殿に
勧請して八所大明神と称した。

樹下神社湯島神社樹下神社
祭神 玉依姫命祭神 市杵島姫命祭神 玉依姫命
境内社 地主神社 牛尾神社 宇佐神社
峰神社 有徳神社 稲荷神社 八幡神社
十二社神社
境外社 木元神社
境内社 境内社 八百万神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 左三ツ巴神紋 神紋 右三ツ巴
鎮座地 大津市木戸鎮座地 大津市荒川鎮座地 大津市南比良
由緒
正平三年に日吉山王を勧請して十禅師権現社と
称したが、それ以前には古代より比良神を産土神
として祭祀していたと考えられる。境内社峰神社の
祭神が比良神で、奥宮が比良山頂にあったので
峰権現と云われる
由緒
創祀年代不詳
大谷川の川淵の字湯島に古くから祀られた
水分神であった。ところが江戸時代末に暴水の
ため流失し、明治八年竹生島より市杵島姫命を
勧請して湯島神社と称した。
由緒
社伝に、開化天皇四十二年比良大峰に降臨霊跡を
垂れ山上に社を建てこれを祀った、とあり。また、
文徳天皇仁寿二年創立とも、比良大明神の招請
により山王十禅師を勧請したとも伝える。これを
按ずるに、往古は比良神を産土神と祀っていたが、
平安時代に延暦寺の勢力により日吉山王の神を
祀ったものと考えられる。

天満神社八幡神社樹下神社
祭神 菅原道真公祭神 應神天皇祭神 鴨玉依姫命
境内社 比良神社境内社 境内社 天満宮 金比羅宮 大髭神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造千鳥破風唐破風向拝付本殿 一間社流造
神紋 梅鉢神紋 左三ツ巴神紋 丸桔梗
鎮座地 大津市北比良鎮座地 大津市南小松鎮座地 大津市北小松
由緒
天慶三年に右京に住む多治比文子に「山城国
北野に鎮座の地を構えよ」と託宣があったが、
身貧賤にして社を営むことが出来ず、家辺に
瑞籬を設けて祀った。ところが同九年に近江国
比良宮の禰宜三和良種の子太郎丸に神託あり
「前に西ノ京の文子と云う者によって示すといえ
ども人々信ぜず、我居せむ処には松の種を植う
べし」と。良種この為文子を呼び、朝日寺の僧
最鎮等と力をあわせて社を営んだ。その夜北野
に千株の松が生え、また比良村にも生えたので
帰郷して当社を創立したとある。
由緒
創祀年代不詳
古来、南小松の産土神である。往古より日吉大神と
白鬚大神の両神使が往復ごとに当社の林中にて
休憩したと云われ、当社と日吉・白鬚三神の
幽契のある所と畏敬されている。
由緒
創祀年代不詳
佐々木兵庫佐成頼が蒲生郡佐々木庄に移り
近江を領した当時、岡島の渡合と称する処に
妖怪が出没し旅人を害したので成頼はこれを
憂い坂本村日吉十禅師を深く祈念してこの
妖怪を退治した。この由縁により天元五年
この地に日吉十禅師を分祀したと伝える。

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村の鎮守さま

滋賀県 近江国 神社 大津市

万葉集を携えて

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