関蝉丸神社 下社

大津市逢坂一丁目

逢坂の「関」ではない、電車の踏切。現在は京阪電車の踏切を渡らぬと境内には入れない。気をつけて。

拝殿

本殿

「関の清水」

「関の清水」 涸れてます

重要文化財 「時雨燈籠」

これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬも逢坂の関  蝉丸   (百人一首)

逢坂の関の清水に影みえて今やひくらん望月の駒  紀貫之   (拾遺和歌集)

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謡曲「蝉丸」

幼少から盲目の延喜帝第四皇子蝉丸の宮を、帝は侍臣に頼み僧形にして逢坂山にお捨てになった。この世で前世の罪業の償いを

する事が未来への扶けになるとあきらめた宮も、孤独の身の上を琵琶で慰めていた。                           .

一方、延喜帝第3皇女逆髪の宮も前世の業因強く、遠くの果てまで歩き回る狂人となって逢坂山まで来てしまった。美しい琵琶の音

に引かれて偶然にも弟の君蝉丸と再会し、二人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は心を残しながら別れて行く。

という、今昔物語集を出典とした名曲が、謡曲「蝉丸」である。                                          .

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『平家物語』巻第十 海路下

四宮河原になりぬれば、ここはむかし、延喜第四の王子蝉丸の関の嵐に心をすまし、琵琶をひき給ひしに、博雅の三位と云し人、風の

ふく日もふかぬ日も、雨のふる夜もふらぬ夜も、三とせがあひだ、あゆみをはこび、たちききて、彼の三曲をつたへけんわや屋のとこの

いにしへも、おもひやられてあはれ也。逢坂山をうちこえて、勢田の唐橋駒もとどろにふみならし、・・・・・                  .

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『今昔物語集』巻第二十四

源博雅朝臣行会坂盲許語第二十三

 

今昔、源博雅朝臣ト云フ人有ケリ、延喜ノ御子ノ兵部卿ノ親王ト申ス人ノ子也。万ノ事、止事无カリケル中ニモ、管絃ノ道ニナム極タリケル。琵琶ヲモ微妙ニ弾ケリ、笛ヲモ艶ズ吹ケリ。此人、村上ノ御時ニ、□ノ殿上人ニテ有ケル。其時ニ会坂ノ関ニ一人ノ盲、庵ヲ造テ住ケリ、名ヲバ蝉丸トゾ云ケル。此レハ敦実ト申ケル式部卿ノ宮ノ雑色ニテナム有ケル。其ノ宮ハ宇多法皇ノ御子ニテ、管絃ノ道ニ極リケル人也。年来、琵琶ヲ弾給ケルヲ常ニ聞テ、蝉丸、琵琶ヲナム微妙ニ弾ク。而ル間、此ノ博雅、此道ヲ強ニ好テ求ケルニ、彼ノ会坂ノ関ノ盲琵琶ノ上手ナル由ヲ聞テ、彼ノ琵琶ヲ極テ聞マ欲ク思ケレドモ、盲ノ家異様ナレバ不行シテ、人ヲ以テ内々ニ蝉丸ニ云セケル様、「何ド不思懸ス所ニハ住ゾ。京ニ来テモ住カシ」ト。盲、此レヲ聞テ、其荅ヘヲバ不為シテ云ク、

世ノ中ハトテモカクテモスゴシテム、ミヤモワラヤモハテシナケレバ

ト。使返テ此由ヲ語ケレバ、博雅、此レヲ聞テ、極ク心■(ニク)ク思ヘテ、心ニ思フ様、「我レ、強ニ此ノ道ヲ好ムニ依テ、必ズ此盲ニ会ハムト思フ心深ク、其レニ盲命有ラム事モ難シ、亦我モ命ヲ不知ラ。琵琶ニ流泉・啄木ト云フ曲有リ。此レハ世ニ絶ヌベキ事也。只此ノ盲ノミコソ此レヲ知タルナレ。構テ此レガ弾ヲ聞カムト思テ、夜、彼ノ会坂ノ関ニ行ニケリ。然レドモ、蝉丸、其ノ曲ヲ弾ク事无カリケレバ、其後、三年ノ間、夜々会坂ノ盲ガ庵ノ辺ニ行テ、其曲ヲ今ヤ弾ク、今ヤ弾ト竊ニ立聞ケレドモ、更ニ不弾リケルニ、三年ト云フ八月ノ十五日ノ夜、月少シ上陰テ、風少シ打吹タリケルニ、博雅、哀レ、今夜ハ興有ガ、会坂ノ盲、今夜コソ流泉・啄木ハ弾ラメト思テ、会坂ニ行テ立聞ケルニ、盲、琵琶ヲ掻鳴シテ、物哀ニ思ヘル気色也。博雅、此レヲ極テ喜ク思テ聞ク程ニ、盲、独リ心ヲ遣テ詠ジテ云ク、

アフサカノセキノアラシノハゲシキニシヒテゾヰタル、ヨヲスゴストテ

トテ琵琶ヲ鳴スニ、博雅、コレヲ聞テ、涙ヲ流シテ哀レト思フ事无限シ。盲、独言ニ云ク、「哀レ興有ル夜カナ。若シ、我レニ非ズ□者ヤ世ニ有ラム。今夜心得タラム人ノ来カシ。物語セム」ト云ヲ、博雅聞テ、音ヲ出シテ、王城ニ有ル博雅ト云者コソ、此ニ来タレト云ケレバ、盲ノ云ク、此ク申スハ誰ニカ御座スト。博雅ノ云ク、我ハ然々ノ人也。強ニ此道ヲ好ムニ依テ、此ノ三年、此庵ノ辺ニ来ツルニ、幸ニ今夜汝ニ会ヌ。盲、此ヲ聞テ喜ブ。其時ニ、博雅モ喜ビ乍ラ、奄ノ内ニ入テ、互ニ物語ナドシテ、博雅、流泉・啄木ノ手ヲ聞カムト云フ、盲、故宮ハ此ナム弾給ヒシトテ、件ノ手ヲ博雅ニ令伝テケル。博雅、琵琶ヲ不具リケレバ、只口伝ヲ以テ此レヲ習テ、返々ス喜ケリ、暁ニ返ニケリ。此レヲ思フニ、諸ノ道ハ只如此可好キ也。其レニ、近代ハ実ニ不然ズ。然レバ、末代ニハ諸道ニ達者ハ少キ也。実ニ此レ、哀ナル事也カシ。蝉丸賎キ者也ト云ヘドモ、年来、宮ノ弾給ヒケル琵琶ヲ聞キ、此極タル上手ニテ有ケル也。其レガ盲ニ成ニケレバ、会坂ニハ居タル也ケリ。其ヨリ後、盲琵琶ハ世ニ始ル也トナム語リ伝ヘタルトヤ。

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鴨長明 『無名抄』

逢坂の関の明神と申すは、昔の蝉丸なり。彼の藁屋の跡を失はずしてそこに神となり住み給ふべし

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「小町塚」

小町冢  花のいろハうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

と刻すが、いつごろ建てられたかは不詳。

小野小町が年老いて、この辺りに隠棲したというのだが・・・。

そのような小町伝説は、能の「関寺小町」や「鸚鵡小町」によって広まったようだ。

「関寺小町」は、百歳の老女小町が関寺の僧に昔を語る話であり、

「鸚鵡小町」も、百歳の小町が関寺辺りに隠棲し、その小町に陽成天皇が歌を贈ったところ、一字だけ変えて返歌とした話である。

小町伝説は全国各地にあるようだが、京都・補陀落寺は小町寺ともいわれ、その寺には小町老衰像がある。

やっぱり見てはいけないものを見てしまった感じだ。

初恋といっしょ。青いレモンのままで胸にそっとしまっておくもので、

小町も絶世の美女のままでずうっといてほしい。

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境内社 貴船神社

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正岡子規の句碑もあり、

木の間もる月あをし杉十五丈   子規

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村の鎮守さま 関蝉丸神社 下社

万葉集を携えて

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