瀬田橋龍宮

大津市瀬田二丁目

百足退治の伝説

秀郷、京都・宇治田原郷に住し、俵藤太と称す。天資剛勇にして弓術に長す。

鎮守将軍藤原秀郷公、勢多橋を過るとき、橋上に大蛇横たわる。公、恐れず跨ぎ通る。暫く行きたるところ、呼び止める者あり。

青衣を着せる女人、「我れは勢多橋水底に棲む龍神である。大蛇の姿になり橋上に横臥せり。未だ御仁ほど豪勇の人を見ず。

年来、我れに仇する百足(ムカデ)あり。願わくは我が為に寇を討て」、秀郷諾し、相共に橋へ戻る。                .

日没し、東方より巨大な両眼を光らせ、百足山(三上山)を七巻半する巨百足迫り来る。公、一矢二矢更に効なし。ムカデは人の

ツバキをきらうと云う。三射目の矢尻に唾液を附して左眼を射抜き之を討せり。                             .

龍神大いに喜び、公に砂金俵、巻絹、鐘、種々宝物を賜う。秀郷、衣装身に余り、財宝庫に満ちたり。これ広く人口に云われた伝

説である。                                                                       .

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瀬田橋の右岸(西側)には、橋姫龍神の祠がある。

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村の鎮守さま 瀬田橋龍宮

万葉集を携えて

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