大宝神社

滋賀県栗東市綣

四脚門 両築地付 由緒

総欅造り本瓦葺き南向きで左右に築地付きの門である。                                          .

享保三年(1718)京都の宝鏡寺(宝鏡寺宮 百々御所 比丘尼御所)第111代後西天皇の理豊皇女から徳厳親王の病気が、

当神社の祈祷にて全快されたお礼に寄進建立され、徳厳親王の書による「今宮応天神宮」の扁額も寄進された。        .

宮中からの寄進であるため、築地塀に5本の白い線が横に入っている。                                 .

本殿

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そうもく(相撲祭)

室町時代から続くとされている神事すもうは、北中小路に伝わる「三枝草井」という由緒書に基づくもので、このことは野尻の池から

二町の地先を経て北中小路に引く用水において、北中小路の「おとな」が長老に委託し、権限を持って采配していた。この慣習は中

世後期までに成立機能し、関連として現在までずっと古式どおり厳粛に引継ぎ斎行されている神事である。             .

絶えない二町と北中小路の水利権争いに端を発し、当時の大宝神社の神主が仲裁し、両村の子どもに相撲を取らせ、各一勝の後

三番勝負の途中で行事が待ったを掛け、「勝負は来年に預けおく」と発して引き分けとし終了する。勝負がつくまでの間は両村が仲

良くしているということで、互いを勝たせ最後に勝負を持ち越す方法は、決着をつけずに遺恨を後に残さない先人の知恵の表れと言

えるのではないだろうか。                                                             .

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式内 追来神社 (意布伎神社)

稲田姫神社

(左)八幡・蛭子神社  (右)大国主神社

伊勢両大神宮

稲荷神社

市杵島神社

日吉神社

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芭蕉句碑

へそむらのまだ麦青し春のくれ  はせを

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村の鎮守さま 大宝神社

万葉集を携えて

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