出庭神社  で ば

滋賀県栗東市出庭

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葉山村大字出庭に鎮座す、祭神宇賀魂命、彦太忍信神なり。

社伝によれば、寛治六年四月八日創祀する所なりと、始め出羽の郡司国松出羽介藤原宣幸此地を領し開墾を進むる時、

故国の遠賀神社を当地に勧請し、土地を出庭といひ、社を出庭大明神と号すと見ゆ。

国史を按するに平安期の始め陸奥出羽人を諸国に移して開墾を奨めたること少からず、されば社記の国松宣幸等はその

一人にてあるべき歟。されど、社記は地名出庭によりて付会せられたる後年の編纂物にあらざるやを思はしむ。

寛治六年は堀河天皇の御代にして僅かに八百三十余年なり、出庭の地所々に古墳あり少くとも一千数百年前のものたるは

遺物より見て明なり。一千数百年前に既に此地に貴族若くは豪族の葬らるるあり、然るに僅かに八百年前に出羽国より

移住して土地を開墾せしといふはその晩きに過ぐ。姓氏録に、

出庭臣、孝元天皇皇子、彦太忍信命之後也、と見ゆ。

而して当社に彦太忍信命を祭神とするは乃ち姓氏録に符合して、当社が寛治年代に祭祀されたる新しい神社に非ざるを証す。

地名を出庭といふは出庭氏の封地となりしによりてなり。故に祖神彦太忍信命を祀り出庭神社と称する其所以も自ら明ならずや。

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当社に一の奇伝説あり、栗太志に次の如く記す。

此神に一の奇異あり田螺を以て使令とす。氏子等田螺を恐れ敬すること神を敬するが如し。

若し他村に行き田螺を烹たる火を不知して誤てたばこなど薫すれば忽戦慄を生し数日に至る。況や田螺に触或は食ふ者をや。

故に耕作の時田中に田螺あれば拝して其故をことはり社地に移して後耕作するなり。

余也奇を好まず故に謂らく、田螺に霊あるに非ず氏子より霊とするが故に如斯奇異あるなるべしと云き。

然るに余が縁者矢島村某の女此村某に嫁す翌年の頃より病て労症の如し。諸医萬方にすれとも不癒。

因て此神に祷とす。巫祝曰、田螺の相火なりと。此村の方言に田螺を烹る家に入ることを相火と云ふ。

此婦嫁して幾年もあらざれば田螺の霊威なることを不知。又田螺烹る家に行きたることを覚えずと云。

然れども猶深く穿鑿すれば帰省の日下部の者共烹て之を食ふ、其火を以て飯を炊き及ひ茶を煎したり、

これを食するに依りてなるべしなり。直に此事を罪として此神に祈りければ次第に全快す。嗚呼奇中の奇なるかな。

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村の鎮守さま 出庭神社

万葉集を携えて

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