高野神社

滋賀県栗東市高野

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『新撰姓氏録』右京諸蕃下に、

高野造、百済国人佐平余自信之後也。

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『日本書紀』天智天皇の条に、

(天智二年九月)甲戌に、日本の船師、及び佐平余自信・達率木素貴子・谷那晋首・憶礼福留、并て国民等、弖礼城に至る。明日、船発ちて始めて日本に向ふ。

(天智八年)是歳、…中略… 又佐平余自信・佐平鬼室集斯等、男女七百余人を以て近江国の蒲生郡に遷し居く。

(天智十年春正月)是の月に、大錦下を以て、佐平余自信・沙宅紹明(法官大輔ぞ。)に授く。小錦下を以て、鬼室集斯(学職頭ぞ。)に授く。

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百済が滅び、日本に亡命した余自信の後裔が高野造(みやつこ)と、『新撰姓氏録』は記す。

天智八年、余自信は蒲生郡に移り居住したとされる。同じく蒲生郡に居住した鬼室集斯の墓碑が、蒲生郡日野町小野の鬼室神社にある。

後世、この余自信の一族がこの高野の地に移り住み、祖神を祀ったのが、この高野神社だろうか。

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『近江栗太郡志』巻四に、

『和名類聚鈔』の高野郷は此地一帯に亘る称なり、当社は即ち其郷の惣社依て高野神社と称す。

『姓氏録』にいう高野氏によりて開墾せられ依て祖神を祀る所なるべし。

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村の鎮守さま 高野神社

万葉集を携えて

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