天満宮

滋賀県栗東市手原

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むかしばなし

斉明天皇の御代、村造(むらのみやつこ)に布佐という人があった。

八人の子どもがいたが、八人とも女の子だった。一人でもよいから男の子が欲しいと思った。

どうか男の子を欲しいと念じ、懐妊したので、こんどこそ男の子であろうと思っていたら、また女の子だった。

そこで、陰陽の神を祀る手原の天神さんに祈ったら叶えられるであろうと、手を腹の上に当てて、毎日男の子を授かるよう祈った。

こんどは一念が神に通じたのか、男の子が生まれた。

世間では手孕児(てはらこ)だといい、神の不思議な力をたたえた。

手腹ともいったが、やがて手原という地名になり、天満神社は安産の神さまとなった。

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村の鎮守さま 天満宮

万葉集を携えて

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