栗東市の神社を紹介します。


小槻大社五百井神社菌神社
祭神 落別命祭神 木俣神(亦名 御井神)祭神 意富斗能地神 意富斗乃辨神
境内社 八坂社 日吉社 稲荷社 龍王社
境外社 十二将神社 八幡神社
境内社 八幡社境内社 八幡神社 春日神社
境外社 厳島神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 下り藤 真向の兎神紋 下り藤神紋 
鎮座地 栗東市下戸山鎮座地 栗東市下戸山鎮座地 栗東市中沢
由緒
創祀年代不詳
この地の古代豪族小槻山君の祖神落別命を祀る。
小槻氏は奈良時代宮廷に采女を貢進し、平安時代
から明治の維新に至るまで千年に近い歳月を宮廷
社会に官務家として確固たる地位を維持した。
由緒
創祀年代不詳古代豪族蘆井造の祖を祀るとも
いうが明らかでない。
神社は安養寺山の麓にあり、山頂に古木に
囲まれた山王社と龍王社の小祠がある。山王社が、
蘆井に坐す神が降臨した場所であろう。

由緒
社伝に、舒明天皇九年勧請するとあり、口狭比良
大明神と称えたが、後に草平大明神と称し、安土
桃山時代からは菌大明神となっている。

菌とは、キノコのことである。

壽泉神社岩上神社白鬚神社
祭神 瓊々杵尊祭神 事代主神祭神 猿田彦大神
境内社 祓戸社 坂田山神社境内社 境内社 
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 神紋 神紋 丸橘真向兎
鎮座地 栗東市伊勢落鎮座地 栗東市伊勢落鎮座地 栗東市小野
由緒
もと十禅師社と称し、十禅師大権現と崇めた。
村上天皇天暦七年左大史小槻宿禰が金名山再建
にあたり、その護法神として日吉十禅師を勧請した
と伝える。
由緒
社伝に、天正六年日向山の山頂に屹立した霊岩が、
豪雨のため東の谷底へ墜落した。伊勢大路村の
村人等この霊石を崇め、慶長十六年にこの岩上に
小祠を建立し、事代主神を祀り、岩上社と尊崇した。
更に永正五年に現在地に遷祀したと伝える。
由緒
社伝に、承和二年僧安交小野寺開基の時鎮守と
して勧請したとある。
伝説に、この地の土民が湖西鵜川村の白鬚明神を
勧請せんとして湖に舟を漕ぎ出したところ、湖中より
青石が飛びあがり舟に落ちた、土民これ明神の霊石
なりと持ち帰って御神体としたという。

稲荷神社三輪神社天満宮
祭神 倉稲魂命祭神 大国主命祭神 罔象比賣神 菅原道真公
境内社 天満宮境内社 大神宮 天満宮 稲荷神社境内社 大神宮
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 神紋 左三ツ巴神紋 梅鉢
鎮座地 栗東市手原鎮座地 栗東市大橋鎮座地 栗東市出庭
由緒
社伝に、寛元三年馬渕広政がこの地を領し当社を
勧請したとある。広政の子孫手原氏も代々崇敬した。
当社は里中稲荷大明神とも笠松の宮とも称した。
東海道名所記に「左の方に稲荷の祠あり老松ありて
傘の如し、傘松の宮といふ」と記され、街道に沿って
いたため江戸時代には傘松の名も高かったと思わ
れる。
由緒
創祀年代不詳であるが、社記に、天平十六年に
勧請とも伝わる。
鰌鮨献供が有名。
由緒
一説に、寛治六年出羽介橘宣幸が野洲川より
田用水路を開き、守護神として罔象比賣神を
勧請し、菅原道真公を配祀して崇敬したと伝わる。

天満宮出庭神社井口天神社
祭神 菅原道真公祭神 宇迦之御魂神 彦太忍信命祭神 罔象比賣神
配祀神 菅原道真公
境内社 稲荷神社境内社 蛭子神社 野倉神社境内社 中将神社 宰相神社
本殿 一間社流造本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 梅鉢神紋 梅鉢神紋 梅鉢
鎮座地 栗東市出庭鎮座地 栗東市出庭鎮座地 栗東市辻
由緒
創祀は天正十一年と伝わる。
由緒堀河院の代、羽洲主出羽介橘宣幸が
宇迦之御魂神、彦太忍信命の二座を勧請し、
守護神としたと伝える。
由緒
堀川天皇寛治六年に出羽介橘宣幸がこの地に
来て、久保郷高野荘を拝領し、田地を開拓し、
野洲川より用水を引き、その守護神として罔象
比賣神を勧請したのに始まる。              .

高野神社日吉神社春日神社
祭神 大名草彦命祭神 瓊々杵尊
配祀神 木之花佐久夜毘売
祭神 経津主神 武甕槌神 天児屋根命 比賣神
境内社 八重釜神社 敏鎌神社 稲荷神社
大神宮 祖霊社
境内社 得広神社 野上神社境内社 稲荷社
本殿 三間社流造一間向拝付本殿 一間社流造本殿 一間社流造
神紋 五七ノ桐神紋 左三ツ巴神紋 下り藤
鎮座地 栗東市高野鎮座地 栗東市上砥山鎮座地 栗東市荒張
由緒
創祀年代不詳
社伝によると元明天皇和銅元年勧請とされ、
高野庄の惣社でありその地名が神社名と
なっている。又、この社は由岐志呂宮とも称され、
その由来は大同元年大嘗会のとき悠紀地方とし
て新稲三束を進貢したためと伝る。
由緒
創祀は嵯峨天皇弘仁四年と伝えられるが定かで
ない。
また、最初は金勝寺の守護神として日吉神を勧請
して新宮野に祀ってあったのを、明応六年現在地
に遷祀してこの地の氏神としたと伝える。
由緒
創祀年代不詳であるが、弘仁年間との記録がある。
本殿棟札には奈良神社金勝寺の鎮守と記されて
いる。また、於野宮(現大野神社)の若宮社とある。

大野神社宇和宮神社日吉神社
祭神 菅原道真公祭神 倉稲魂神祭神 大山咋神
境内社 出雲神社 八幡神社 恵比須神社
水分神社
境外社 松倉神社 中山神社 春日神社白山神社
八大龍王社
境内社 大神宮社 八幡社 稲荷社 住吉社 春日社境内社 大神宮 八幡宮 稲荷神社 大将軍神社
本殿 三間社流造本殿 三間社流造本殿 一間社流造
神紋 梅鉢神紋 神紋 三ツ蔓葵の丸
鎮座地 栗東市荒張鎮座地 栗東市蜂屋鎮座地 栗東市野尻
由緒
社伝に、天徳三年勧請とあり、又所伝によると、
元慶六年以前と見える。
『三代実録』に「元慶六年近江国授柏坂神従五位上」
とあり、この柏坂神は狛坂神の誤記と考えられ、
嵯峨天皇の勅願により僧願安が当地の金勝山に
狛坂寺を建立した時、当社はその守護神となって
狛坂天神と称された。寛平九年菅原道真が金勝寺
に勅使として参向した縁由をもって於野宮天満宮と
称され、天満天神を祭神とするに至った。
由緒
社伝に、養老元年玉岡宿禰広国の勧請とする。
由緒
創祀年代不詳
明治以前は十禅師権現と称し、坂本日吉十禅師社
の分霊社である。

大宝神社大宝神社境内社追来神社小安羅神社 こやすら
祭神 素盞嗚尊祭神 多々美彦命祭神 惶根尊 かしこねのみこと
境内社 追来神社 稲田姫神社 伊勢両大神宮
八幡蛭子神社 大国主神社 稲荷神社
市杵島神社 日吉神社 他二十四社
境外社 三十八社
境内社 境内社 
本殿 三間社流造本殿 本殿 
神紋 左三ツ巴神紋 神紋 
鎮座地 栗東市綣鎮座地 栗東市綣鎮座地 栗東市十里
由緒
栗太郡小平井村信濃堂に降臨、大宝元年疫病
流行のとき当地に鎮座し大宝天王の神号を勅定
された。
由緒
式内社「意布伎神社」に比定される。
祭神は多々美彦命で伊吹山に坐す神。社殿は
弘安六年(鎌倉中期)に建立され、国指定の
重要文化財。鎌倉初期の狛犬の台座裏に「意布
伎里惣中」と墨書されている。
由緒
『近江栗太郡志』に、
大寳村大字十里に鎮座す 祭神惶惶根命なり
小安羅は一に小安良の字を用ふ 安良郷は
元暦の注進風土記に近江名所の一に数えられし
古地なり 大字穴に安羅神社の鎮座あるに徴し
安良郷の所在を断ずべし 当社を小安羅といふ
安羅に対して小の字を附したるにて由あるやに
覚ゆ 社伝には永正十年に勧請せしといふ

八王子神社天満宮額田部神社
祭神 祭神 菅原道真祭神 
境内社 境内社 境内社 
本殿 本殿 本殿 
神紋 神紋 神紋 
鎮座地 栗東市御園鎮座地 栗東市手原鎮座地 栗東市下釣
由緒由緒由緒

泊瀬部神社天王神社稲荷神社
祭神 小泊瀬稚鷦鷯天皇(武烈天皇)祭神 素戔鳴尊 稲田姫命祭神 
境内社 境内社 境内社 
本殿 本殿 本殿 
神紋 神紋 神紋 
鎮座地 栗東市下釣鎮座地 栗東市上釣鎮座地 栗東市笠川
由緒

由緒
長享元年、上釣に陣を築いた九代将軍足利義尚が
佐々木高頼を近江に親征し、遥拝所として大宝神社
(旧名大宝天王宮)の末社を建立させた。これがこの
天王神社である。

由緒

蛭子神社八幡宮八幡宮
祭神 祭神 祭神 
境内社 境内社 境内社 
本殿 本殿 本殿 
神紋 神紋 神紋 
鎮座地 栗東市小平井鎮座地 栗東市霊仙寺鎮座地 栗東市北中小路
由緒                     .                  由緒由緒

一杵神社日吉神社八幡宮
祭神 祭神 大山咋命祭神 
境内社 境内社 境内社 
本殿 本殿 本殿 
神紋 神紋 神紋 
鎮座地 栗東市安養寺5丁目鎮座地 栗東市下釣鎮座地 栗東市綣4丁目
由緒 大宝神社飛地境内社由緒 大宝神社 末社由緒

部令田神社春日神社岩 神
祭神 祭神 祭神 
境内社 境内社 境内社 
本殿 本殿 本殿 
神紋 神紋 神紋 
鎮座地 栗東市下釣鎮座地 栗東市東坂鎮座地 栗東市井上
由緒 由緒 由緒

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村の鎮守さま

滋賀県 近江国 神社 栗東市

万葉集を携えて

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