補陀落渡海は、観音浄土を現世に求め、あえて生身のままで海を渡っていく点に本義があるだろう。現実的には死の形態をとりながらも実は生に裏打ちされた実践行であった。

 生きながら観音浄土へ、観音菩薩の浄土・補陀落世界に魅せられて、多くの修行者や人々が小舟を仕立て、太平洋の南方海上の彼方に消えていった。これが日本宗教史上における希有な現象として知られる補陀落渡海である。

                                               根井浄著『観音浄土に船出した人々』より抜粋

・・・・・

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜の宮に、「補陀洛山寺ふだらくさんじ」がある。


仁徳天皇の治世、インドからこの地に漂着した裸形上人によって開山されたと伝える。
平安時代から江戸時代に、観音浄土である補陀落山に小舟で寺前の浜から旅立った補陀落渡海の寺である。


 

補陀落とは、古代インドの文語(梵語)「ポータラカ」の音写を漢訳したもので、観音菩薩が住む浄土、南方浄土の思想である。その補陀落世界に往生を願って、この那智の海から生身の人が船出したという。入水行為なのであるが、浄土で生まれ変わると信じた宗教の実践行なのである。

本尊は、秘仏「三貌十一面千手千眼観音立像」、平安時代の作といわれる。一説に、この本尊が補陀落世界からこの地に漂着渡来した仏であるという伝承があり、渡海の拠点になった因ともされる。

境内に、復元された「渡海船」がある。
和船の上に、入母屋造りの屋形を設置し、四方に四つの鳥居をつける。発心門、修行門、菩薩門、涅槃門、死出の四門を表している。舟には、艪、櫂、帆などの動力装置は搭載されておらず、海流にまかせて漂流するだけの小舟である。

渡海は、北風の吹き始める11月に行われた。渡海時、わずかばかりの水と食料を積み、屋形に入りこむと出入り口を釘付けにして閉じ、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送ったという。

 

『熊野年代記』や古文書などによると、貞観十年(868)に初めての渡海が行われたと記し、以後20数回の記録が残る。実際にはもっと多くの人々が渡海しただろうといわれる。

境内に、25名の渡海上人等の名を刻した記念碑がある。

 

名簿の17番目に、天正六年(1565)金光坊という名が刻されている。

井上靖の短篇小説『補陀落渡海記』にこの金光坊が描かれているが、

その当時、寺の住職は61歳の11月になれば補陀落渡海に出帆するという慣わしになっていたが、金光坊は渡海に疑念を持ち、決意が定まらぬままに周囲から追い詰められて渡海を迎えた。

いざ出帆すると孤独と恐怖に襲われ、もともと納得の船出ではなかったから、釘板をはずし舟から脱出して逃れようとした。

ところがそれを見つけた民衆は、再び金光坊を舟の中に押し込めて固く閉ざし、浄土へと送った。

酷い渡海浄土という印象を持ったのであろう、以後、生身のままの渡海は中止されたようで、江戸時代には既に亡くなった僧を小舟に乗せて水葬するという形になったという。
 
・・・・・
 
名簿の5番目、寿永三年(1184)平維盛の名が刻されている。
 
平維盛は、清盛の孫、重盛の長男である。平家の維盛たちは源平の戦いに敗れ都落ち、讃岐国屋島に逃れて再興を期した。しかし、維盛は京の都に留めおいた妻子が偲ばれて、屋島から秘かに離脱した。わずかな家臣とともに紀州に渡ったが、敵の兵多く京に戻ることは出来ず、高野山に向い、そこで出家し、その後熊野道を辿って熊野三山に参詣した。
そしてここ、那智海岸に鎮座する浜の宮王子(補陀洛山寺に隣接)に詣でた後、小舟に乗り入水したのである。
この維盛の船出も渡海浄土の作法を実践したものと考えられる。
 
補陀洛山寺の裏山には、維盛の供養塔がある。6基の供養塔が並ぶが、いずれが維盛供養塔なのか案内はない。
 
 

『平家物語』巻第十、維盛入水の段に、

三の山の参詣事ゆへなくとげ給ひしかば、浜の宮と申王子の御まへより、一葉の舟に棹さして、万里の蒼海にうかび給ふ。はるかのおきに山なりの嶋といふ所あり。それに舟をこぎよせさせ、岸にあがり、大なる松の木けづて、中将銘跡をかきつけらる。「・・・中略・・・三位中将維盛、法名浄圓、生年二十七歳、寿永三年三月二十八日、那智の奥にて入水す」とかきつけて、又奥へぞこぎいで給ふ。思きりたる道なれども、今はの時になりぬれば、心ぼそうかなしからずといふ事なし。 ・・・中略・・・ 高聲に念佛百反ばかりとなへつつ、「南無」と唱る聲とともに、海へぞ入給ひける。 ・・・・・・

・・・・・

その昔は、この補陀洛山寺のすぐ近くに海岸線があったという。今は100?ほど離れて浜辺がある。静かな波を繰り返す。

ここから、渡海浄土の小舟は離れていった。

熊野 那智 補陀落渡海 補陀洛山寺 浜の宮王子
 
.
Topに戻る
inserted by FC2 system