和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜の宮に、「補陀洛山寺ふだらくさんじ」がある。
補陀落とは、古代インドの文語(梵語)「ポータラカ」の音写を漢訳したもので、観音菩薩が住む浄土、南方浄土の思想である。その補陀落世界に往生を願って、この那智の海から生身の人が船出したという。入水行為なのであるが、浄土で生まれ変わると信じた宗教の実践行なのである。 本尊は、秘仏「三貌十一面千手千眼観音立像」、平安時代の作といわれる。一説に、この本尊が補陀落世界からこの地に漂着渡来した仏であるという伝承があり、渡海の拠点になった因ともされる。 境内に、復元された「渡海船」がある。 渡海は、北風の吹き始める11月に行われた。渡海時、わずかばかりの水と食料を積み、屋形に入りこむと出入り口を釘付けにして閉じ、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送ったという。
『熊野年代記』や古文書などによると、貞観十年(868)に初めての渡海が行われたと記し、以後20数回の記録が残る。実際にはもっと多くの人々が渡海しただろうといわれる。 境内に、25名の渡海上人等の名を刻した記念碑がある。
名簿の17番目に、天正六年(1565)金光坊という名が刻されている。
|