祇王・仏御前
祇王寺
京都市右京区嵯峨鳥居本小坂
祇王は歌と舞の上手な白拍子で、清盛の寵愛を受けていた。
3年が過ぎた頃、加賀国出身の白拍子仏御前が清盛を訪ねてきた。祇王は近江の出身できれいやけど、加賀美人は強敵や。
清盛一度は断ったけど、祇王が、
「あそびものの推参はつねのならひ、すげなふ仰せられては不便なれ。めしかへして御対面あれ」
と、とりなしたため、会うことになった。
仏御前は今様を歌う。
「君をはじめてみるおりは千代も経ぬべしひめこ松 おまへの池なるかめをかに鶴こそむれゐてあそぶめれ・・・」
めちゃ上手い。舞もさだめてよかるらむ、舞えとなった。
舞を見た清盛、もうメロメロ、「仏に心うつされけり」。
仏御前に、ここに留まれという。祇王のとりなしで歌い舞うことができた仏御前、この場を去ろうとすると、
「祇王があるをはばかるか。その儀ならば祇王をこそ出ださめ」
ひどい話やなあ。
・・・
祇王は一首をのこして去った。
もえ出るも枯るるもおなじ野辺の草いづれか秋にあはではつべき
・・・
あくる春、清盛からの使いが来て、仏が退屈しているから舞を舞って仏をなぐさめよという。
祇王めちゃ行くのはいややったけど、母刀自が泣いて行ってくれという。仕方なく出向くと、惨めな下座に通されて、
仏御前がとりなしてくれたが許されず、そのままの惨めな姿で祇王は、涙をおさえおさえして今様を歌った。
仏もむかしは凡夫なり我等も終には仏なり
いづれも仏性具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ
・・・
その後、祇王は妹祇女と母刀自三人、ここ祇王寺で髪をおろして出家した。
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋の初風が吹くころに、
たそがれ時も過ぎて親子三人念仏を唱えていると、
「竹のあみ戸をほとほととうちたたくもの出来たり」、魔縁が来たかとも思ったが、日ごろの精進、訪ねる人を拒まずと戸を開けると、
そこには尼姿の仏御前が立っていた。
仏御前の悔恨の言葉を聞いた祇王、恨みの心も消えて、四人はともに念仏の生活に入り、
ここ祇王寺で極楽往生の願いを叶えたといわれている。
庵の仏間には、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木像が並ぶが、
さらに真ん中に清盛像が割って入る。なんでやねん。
庭の片隅には四人の墓とする宝篋印塔が立つ。
だけどここでも、清盛の五輪塔が横に並ぶ。なんでやねん。
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『平家物語』を訪ねて 祇王 仏御前 祇王寺