後白河法皇 長講堂

京都市下京区富小路五条下ル本塩竃町

寿永二年(1183)、後白河法皇が晩年に過ごした院御所「六条殿」内に建立した持仏堂が当寺の起こりである。

後白河法皇は譲位して上皇になってからも、三十余年にわたって院政を行い、嘉応元年(1169)には、仏門に入り法皇となった。

長講堂は、正式には「法華長講弥陀三昧堂」といい、法華経を長時間講じ、阿弥陀仏を念じて精神集中の境地に入る道場という意味がある。

後白河法皇は、莫大な寺料を長講堂に寄進してその経済的基盤を築いたが、没する直前に、長講堂とその所領を寵愛していた丹後局の子

宣陽門院覲子内親王に譲った。その後、第八十九代後深草天皇に譲渡され、以後いわゆる持明院統によって相続された。

もとは六条西洞院にあったが、度重なる火災のため転々と寺地を変え、天正六年(1578)、豊臣秀吉によって現在地に移された。

本堂には、後白河法皇の臨終仏である本尊の阿弥陀三尊(重文)が祀られる。御影堂には、後白河法皇座像(重文)が安置されている。

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長講堂の過去帳には、

安徳天皇、清盛入道らに並んで、

閉、妓王、妓女、佛御前の名も記されている。

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『平家物語』を訪ねて 後白河法皇 長講堂 妓王 過去帳

万葉集を携えて

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