後白河上皇 御陵(法住寺陵)

京都市東山区三十三間堂廻り町

ここには、妃建春門院も葬られている。

院の姉の上西門院の女宮だったところで、ふたりは法華堂に埋葬された。その位置がこの陵である。

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法住寺

平安時代中期、藤原為光によって創立され、その後、院政期にはこの寺域を中心に後白河上皇の院御所「法住寺殿」が

造営された。

木曽義仲により、法住寺殿が焼失、数年後、後白河上皇も亡くなると法住寺は、上皇の御陵を守る寺として江戸末期を

迎えた。

明治期、御陵と寺が分離されて現在に至る。

 

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『平家物語』を訪ねて 後白河上皇 御陵 法住寺

万葉集を携えて

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