新熊野神社 大樟 いまくまの

京都市東山区今熊野椥ノ森町

熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160)、

後白河上皇は、紀州熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して創建した。

上皇の命をうけた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて、霊地熊野を再現したという。

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境内には大きな樟があり、

熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木とされる。

 

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後白河法皇は生涯で34回も熊野詣でをしている。

JR紀勢線という便利な乗り物ができた現在でも、わたしは3度しか詣でたことがない。

それでも法皇は満足しない。法住寺殿の鎮守社として、熊野から京都に勧請したというのだ。

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それにしても法住寺殿って広い敷地やったのやなあ。

今は新幹線や東海道線が東西に走っているから余計離れた間隔をもつけど、

三十三間堂内に法住寺殿跡という石碑があるけど、そこからこの新熊野神社までゆうに300mはあろう。敷地内という。

ところで、「新熊野」と書いて「いまくまの」と読む。地名は今熊野と書く。

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こんな街中で、こんなでっかい樟の木、びっくりする。

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『平家物語』を訪ねて 後白河上皇 法住寺殿 新熊野神社 樟の木

万葉集を携えて

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