建礼門院 長楽寺

京都市東山区円山町

『平家物語』灌頂巻・「女院出家」の段に、

かくて女院は文治元年五月一日、御ぐしおろさせ給ひけり。御戒の師には長楽寺の阿證房の上人印誓とぞきこえし。

御布施には、先帝の御直衣なり。今はの時までめされたりければ、その御うつり香もいまだうせず。御かたみに御らむ

ぜんとて、西国よりはるばると都までもたせ給ひたりければ、いかならん世までも御身はなたじとこそおぼしめされけれ

ども、御布施になりぬべき物のなきうへ、かつうは彼御菩提のためとて、泣々とりいださせ給ひけり。上人是を給はて、

何と奏するむねもなくして、墨染の袖をしぼりつつ、泣々罷出られけり。此御衣をば幡にぬうて、長楽寺の仏前にかけら

れけるとぞ聞えし。

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建礼門院御塔

この塔は、古来長楽寺山山腹八丁台の景勝の地に立っていたが、明治初年この地に移された。

源平合戦の後、元暦二年(1185)五月一日、当寺の阿證房印誓上人により、御髪をおろされたときの御髪塔とも伝え、

また、読み物系平家物語には、貞応二年(1223)、鷲尾において69歳で往生の素懐をとげられたとも、また、

御遺骨を鷲尾に納められたともあり、その鷲尾が鷲尾山長楽寺(旧呼称)を指しているとすれば、

この御塔は、女院の御舎利塔とも拝される。

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長楽寺

 

本堂

本堂の傍に、建礼門院御塔

「安徳天皇御衣幡」

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『平家物語』を訪ねて 建礼門院 長楽寺

万葉集を携えて

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