六波羅蜜寺

京都市東山区五条通大和大路上ル東

六波羅蜜寺

真言宗智山派の寺で、西国三十三所観音霊場の第十七番札所として、古くから信仰されている。

本尊十一面観世音立像は、天暦五年(951)に空也上人が疫病平癒のため開創した当時のものといわれる。

空也上人は歓喜踊躍念仏唱和の功徳を広めた六斎念仏の始祖である。

往時は寺域も広く、平氏の邸館や鎌倉幕府の探題も置かれ、源平盛衰の史跡の中心である。

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左・平清盛塚   右・阿古屋塚

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阿古屋塚

阿古屋の菩提を弔うため、鎌倉時代に建立す。

石造宝塔で、その下の台は古墳時代の石棺の石蓋を用いている。

浄瑠璃『壇ノ浦兜軍記』三段目 「阿古屋の琴責め」

平家の残党、悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五條坂に住む白拍子阿古屋を捕え、

代官畠山重忠は、彼女が景清の所在を心に秘めていることを知っていたが、

弾かせた三味線、琴などの調べに、一点の乱れもないことに感動し、彼女を釈放する。

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平清盛座像

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空也上人立像(一部)

地蔵菩薩立像

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『今昔物語集』巻十七

但馬前司■国挙、依地蔵助得活語第廾一

今昔、但馬前司■国挙ト云フ人有ケリ。年来、公ケニ仕ヘ私ヲ顧テ有ル間、身ニ病ヲ受テ俄ニ死ヌ。即チ、閻魔ノ廳ニ被召ヌ。国挙見レバ、

 

罪人極テ多カル中ニ、一人ノ小僧有リ、形チ端厳ニシテ、手ニ一巻ノ文ヲ持テ東西ニ走リ迴テ諍フ事有ル気色也。傍ニ有ル人々ノ云ク、

 

『此ノ小僧ハ此レ、地蔵菩薩ニ在マス』ト。国挙、此レヲ聞テ、此小僧ニ向テ、地ニ跪テ涙流シテ申テ申ク、『我レ、不慮ザル外ニ此ノ所ニ被召タリ。

 

願クハ、地蔵、大悲ノ誓ヲ以テ、我ヲ助ケテ免ス謀ヲ迴シ給ヘ』ト。如此ク頻ニ申スト云ヘドモ、小僧荅ヘ給フ事无シテ、自ラ弾指シテ宣ハク、

 

『人ノ世間ノ栄花ハ只一旦ノ夢幻ノ如シ、罪業ノ因縁ハ宛モ万劫ヲ重タル巌ニ以タリ。况ヤ、汝ヂ、常ニ女ニ耽テ多ノ罪根ヲ殖タリ。

 

今、其ノ罪有テ既ニ被召タリ。我レ、何カ、汝ヲ助ケム。亦、汝ヂ、生タリシ間、全ク我ヲ不敬ズ。何ノ故有テ、我レ、汝ガ事ヲ知ラム』ト宣テ、

 

後向テ立給ヘリ。其ノ時ニ、国挙、弥ヨ悔ヒ悲テ、重ネテ小僧ニ申テ云ク、『尚、我ヲ慈ビ給テ、助ケ救テ免シ給ヘ。我レ、本国ニ返タラバ、

 

財ヲ弃テ、三宝ニ奉仕シ、偏ニ地蔵菩薩ヲ帰依シ奉ラム』ト。小僧、此ヲ聞テ、前ニ返リ向テ宣ハク、『汝ガ云フ所、若シ実ナラバ、

 

我レ試ニ汝ヲ乞請テ可返遣キカ』ト宣テ、即チ、冥官ノ所ニ行テ、訴ヘ乞テ、国挙ヲ免シ放ツ」ト思フ程ニ、半日ヲ経テ活ヌ。其ノ後、

 

国挙、此ノ事ヲ人ニ不語シテ、忽鬢髪ヲ剃テ、出家入道シツ。即チ、大仏師定朝ヲ語テ、等身ノ皆金色ノ地蔵菩薩ノ像ヲ一躰造リ奉リ、

 

色紙ノ法花経一部ヲ書写シテ、六波羅蜜寺ニシテ、大キニ法会ヲ行テ、供養シ奉リツ。其ノ講師ハ、大原ノ浄源供奉ト云フ人也。

 

法会ノ庭ニ来リ集レル道俗・男女、皆涙ヲ流シテ、悉地蔵菩薩ノ霊験ヲ信ジ奉ケリ。

 

其ノ地蔵菩薩ハ、六波羅ノ寺ニ安置シテ于今在スト語リ伝タルトヤ。

  

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『平家物語』を訪ねて 六波羅蜜寺 平清盛 阿古屋

万葉集を携えて

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