六勝寺
京都市左京区岡崎
平安時代後期の院政期と呼ばれる時代、
天皇や皇室関係者の御願により「勝」の字のつく六つの寺院があいついで建立された。総称して六勝寺という。
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京都会館前の案内板に描かれた復元図
岡崎全体が寺だ。平安神宮もない。動物園もない。岡崎グランドもない。美術館もなんもない。
動物園近くの疎水べりに、「六勝寺のこみち」という石碑が立つ。
さあ、ここを起点に六勝寺跡を訪ねてみよう。
法勝寺 承暦元年(1077)白河天皇
バス停「法勝寺町」の横に「此付近白河院跡」の碑が立つ。
もともと藤原氏の別荘だったが師実が白河天皇に献上した。そこに法勝寺が建立された。
「鹿ヶ谷陰謀」を企てたひとりが俊寛、俊寛はこの法勝寺の執行であった。
尊勝寺 康和四年(1102)堀河天皇
この碑は京都会館前
最勝寺 元永元年(1118)鳥羽天皇
ここにある石は、岡崎グランド駐車場建設に先立って、平成三年九月から行われた推定最勝寺跡の発掘調査で検出された。
二条大路北側の東西築地塀基礎部分に使用されていた石材で、検出した築地位置の延長に合わせて置いてある。
円勝寺 大治三年(1128)待賢門院
この碑は市立美術館の北側
成勝寺 保延五年(1139)崇徳天皇
この碑は勧業館と公園の境辺り
延勝寺 久安五年(1149)近衛天皇
この碑は勧業館と疎水との境
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法勝寺の金堂南の池の中島には、高さが80mはあったという壮麗な八角九重塔が建っていたという。
復元図にも描かれている。
それはちょうど動物園の構内、今は子どもたちを乗せた観覧車が回っている。
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また、動物園には「豚勝寺」がある。これはウソ。
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六勝寺の近くに、白河南殿・北殿、得長寿院の跡碑も立つ。得長寿院は、別頁「平忠盛・得長寿院」で紹介している。
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白河南殿
疎水そば、東大路通西
別名白河泉殿、白河御所とも。後に設けられた北殿に対し、南殿とも称す。
大僧正覚円の房であったは、白河上皇の院御所に改めた。
蓮華蔵院の前身となる阿弥陀堂が建立されたとある。
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白河北殿
京大熊野寮内(北西角) 丸太町通東大路西入南側
元永元年(1118)、新たにこの北殿を造営、白河上皇は南北ふたつの御所で院政を行う。
後に、崇徳上皇が移り住むが、保元の乱のとき、後白河天皇側の源義朝、平清盛らの夜襲により焼失。
敗れた崇徳上皇は讃岐へ流されることになる。
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『平家物語』を訪ねて 白河 六勝寺 岡崎