平重衡 安福寺

京都府木津川市木津宮ノ裏

平重衡は、清盛の五男、母は平時子である。

治承四年(1180)五月、以仁王の乱を鎮圧、十二月、南都を攻め、東大寺・興福寺を焼く。

寿永三年(1184)二月、一ノ谷の戦いに敗れ、捕虜となり、鎌倉に送られたが、東大寺・興福寺の衆徒の要求で奈良に送られる途中、

木津川の河原で処刑された。

・・・

ここ安福寺には、重衡の引導仏といわれる阿弥陀如来が安置されており、

境内に、十三重の供養塔がある。(山門の前には、「平重衡卿之墓」の石碑が立つ)

安福寺の近くに、

「平重衡首洗池」と「不成柿」がある。

首洗池

とても小さな池というか、水溜りのような池で、

昔はもっと大きな池だったのだろう、大切に言い伝えられた池なんだろうけど、

近くに大きな木津川も流れているし、そもそもその木津川の河原で処刑されたのだから、

木津川で首を洗えばいいのに。

・・・

不成柿

 

重衡が最期に食べた柿、

哀れんだ村人がその柿の種をここに植えた。が、重衡の怨念がそうさせたのか、

この柿の木は、いっこうに実をつけようとしなかった。「ならずの柿」と呼んだ。

・・・

あれから800余年、柿の木もすっかり昔のことは忘れてしまって、

今年(7月)、立派な柿の実を、枝にいっぱいつけていた。

・・・・・・・

一覧に戻る

『平家物語』を訪ねて 平重衡 安福寺

万葉集を携えて

inserted by FC2 system