平忠盛 灯籠

京都市東山区祇園町北側

京都東山区の八坂神社境内に忠盛灯籠がある。

忠盛灯籠

永久年間の頃(12世紀)、白河院が祇園女御の許に赴こうとしてこの辺りを通られた時、折しも五月雨の降る夜で、

前方に鬼のようなものが見えたので、院はお供に従っていた平忠盛にあれを討ち取れと仰せられたが、忠盛はその

正体を見定めての上と、これを生け捕りにしたところ、祇園の社僧が油壷と松明とを持ち、灯籠に燈明を献ろうとしてい

たところだった。雨を防ぐために被っていた蓑が灯の先をうけて銀の針のように見えたのであった。忠盛の思慮深さは

人々の感嘆するところであったという。この灯籠はその時のものといわれている。

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ところで、この灯籠に清盛誕生の秘話が隠されている。

院は冷静沈着な忠盛を褒め、この夜も通っていた祇園女御を、忠盛に与えた。ええっ、与えた?

そう、祇園女御が忠盛の妻になったというのだ。

しかも、そのとき既に、懐妊していたと『平家物語』は語る。

「清盛は忠盛の子にあらず、まことに白河院の皇子なり」

さだかではない。

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白河院は、部下の忠盛を連れて祇園女御の家に遊びにいったようだ。女御の家って、

祇園のクラブやスナックやラウンジではあるまい。部下といっしょに酒飲んだカラオケ歌ったとは書いてない。

だいたい、元天皇陛下が部下連れて、雨の夜祇園界隈をぶらぶらすること自体けったいな行動やし、

院と女御が「お遊び」中、忠盛はいったい何して待ってたんやろ。

隣の部屋で酒を飲んでいたのか、玄関口で直立して待っていたのか、それとも外で傘さして待っていたんやろか。

なんぼ出世のためとはいえ、かなわんなあ。

そいで、「お前はええ部下や」ゆうて、「この女御、お前にあげる」だって。

女性をなんや思ってるんや。

ガキ大将が、使い古した玩具を仲間に「これ、あげる」といっしょや。

しかも、お腹が大きかったというやんか。そして、そのときのせりふがすごい。

「もし女の子やったら私がもらうわ。男の子やったら、お前の長男にしいや」、呆れる。

清盛の誕生である。

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同じ忠盛の子である忠度誕生にはこんなすてきな話もある。

『平家物語』に、

忠盛が備前国から都に帰ってきた時、鳥羽院が「明石の浦はいかに」と尋ねられた。忠盛は

あり明の月も明石の浦風に浪ばかりこそよるとみえしか

と応えたので、院は感じいったという。この歌は金葉集に入れられた。

このように風流を解する忠盛は、仙洞御所に最愛の女房がいた。

ある時その女房の局に扇を忘れて帰ってしまった。その扇の端には月が出たところが描かれていた。

それを見つけた女房たちが、「これはどこから射す月の光でしょう」とはやし立てた。そこでこの女房は、

雲井よりただもりきたる月なればおぼろけにてはいはじとぞおもふ

と、あざやかに歌を詠んだ。これを聞いた忠盛、惚れ直したという。

薩摩守忠度はこの女房との間にできた子である。『物語』は、

「似るを友とかやの風情に、忠盛もすいたりければ、彼女房も優なりけり」、ええ夫婦やと結んでいる。

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『平家物語』を訪ねて 平忠盛 灯籠 八坂神社

万葉集を携えて

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