牛若丸 鞍馬山

京都市左京区鞍馬本町

 

叡山電鉄「鞍馬駅」を降りると、「ようこそ天狗の町 鞍馬へ」。ちょっと歩くと、

鞍馬寺

九十九折の参道を登る。

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鬼一法眼社

鬼一法眼とは、牛若丸に兵法を教えた陰陽師。

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由岐神社の鳥居をくぐる。

 

老杉が迎えてくれる。

樹高 53m 樹齢 800年 この老杉は牛若丸と同歳ということだ。

 

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川上地蔵堂

遮那王と称した牛若丸の守り本尊である地蔵尊が祀られており、

牛若丸は日々修行のときにこの地蔵堂に参拝したという。

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義経供養塔

牛若丸が遮那王と名のり、7才の頃から10年間、昼は学問、夜は武芸に励んだときに住まいした東光坊の旧跡に供養塔は立つ。

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鞍馬寺本堂

 

さらに、奥の院に進む。

途中の参道に、与謝野寛・晶子の歌碑があって、

遮那王が 背くらべ石を 山に見て わが心なほ 明日を待つかな  

何となく 君にまたるる ここちして いでし花野の 夕月夜かな  晶子

 

こんなに高くて遠くに来ている。遠く比叡の山々だ。

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息次ぎの水

牛若丸は毎夜奥の院僧正が谷へ剣術の修行に通ったとき、

この清水を汲んで喉をうるおしたという。

800年後の今も湧きつづけている。

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昼間でも薄暗い木立をぬける山道、天狗が網を張って悪者を捕まえる。

恐る恐る急ぎ足でぬける。根っこに転ぶと、天狗にくわれる。

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背くらべ石

10年あまり鞍馬山で修行していた牛若丸が、山をあとに奥州平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せたが、

そのときなごりを惜しんで背を比べた石といわれる。

波乱にとんだ義経の生涯はこの石に始まるといえよう。

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僧正が谷不動堂

堂内の不動明王は、比叡山開祖伝教大師がここに参籠のとき刻んだと伝わる。

牛若丸が鞍馬天狗から兵法を学んだ舞台はこの辺りであるという。

謡曲「鞍馬天狗」と僧正が谷

謡曲「鞍馬天狗」は、源義経幼時の武勇説話を現代物に脚色した曲である。

鞍馬山の東谷の僧が、西谷の花見の招きを受けて、修行中の稚児平家の公達や牛若丸を連れて出かけたが、

見知らぬ山伏が来たので、気を悪くして帰ってしまった。

ただ一人残っている牛若丸の素性を知り、憐れんだ山伏は諸所の花の名所を案内し、「自分は大天狗である。

平家討滅の望みの達せられるように、兵法の秘伝を授けよう」といい、翌日からはげしい修行の末、

約束の如く兵法を授け、再会を約束して大天狗が立ち去ったという豪壮な物語である。

僧正が谷は、牛若丸が天狗僧正坊から武芸を習った処で、老杉高く聳え、巨根地を這って昼なお暗く、

神秘さをただよわせている。

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義経堂

義経は、文治五年(1189)四月、奥州衣川の合戦で自害したと伝える。

義経堂は、その義経、遮那王尊を祀る。

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鞍馬寺からの帰り道、

鞍馬川の傍らに「蛍石」があった。

 

蛍石

もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る

木船川 山もと影の 夕ぐれに 玉ちる波は 蛍なりけり

平安時代の女流歌人、和泉式部が貴船神社に参詣し、蛍の歌を詠んだ。

それから千年後の今も、6月中ごろにはこの付近一帯で蛍の乱舞が見られるという。

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『平家物語』を訪ねて 源義経 牛若丸 鞍馬山 天狗

万葉集を携えて

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