源頼政 橋合戦

平等院  宇治市宇治蓮華

平家打倒の義兵を挙げた高倉宮以仁王と源頼政であったが、早々に清盛の耳に入ることになり、

以仁王は女装をして三井寺に逃げることになる。

三井寺では勢いある僧兵と六波羅への夜襲を計画するも時を逸して、援軍のいる南都に向かうことになる。

「宮は宇治と寺とのあひだにて、六度までをん落馬ありけり」、以仁王は疲れた。

宇治橋を三間引き外し、平等院に休息を取った。

六波羅では平知盛ら二万八千余騎の大軍を揃え、宇治橋に押し寄せた。

宇治川

平等院

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扇之芝

治承四年(1180)五月二十六日、源頼政は、高倉宮以仁王を奉じて平家打倒に立ち挙がり、平知盛の大軍を宇治川に迎え撃った。

しかし、戦利なく流れ矢に傷ついた頼政は軍扇を開き、辞世の一首を残しこの地で自刃したと伝わる。

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平等院塔頭最勝院には、頼政の供養塔である宝篋印塔が立つ。

源三位頼政の墓

源頼政、平清盛の横暴を憤り、高倉宮以仁王の令旨を奉じ、平家打倒の義兵を挙ぐ。

治承四年(1180)五月二十六日、頼政、三井寺の僧兵と共に宇治に在り。

平知盛、大軍を率いて宇治に迫る。頼政衆寡敵せず大敗す。

頼政平等院境内に於いて自刃す。時に七十六歳の老齢なり。

辞世

埋れ木の 花さく事も なかりしに 身のなる果てぞ かなしかりける

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これを最後の詞にて、太刀のさきを腹につきたて、うつぶさまにつらぬかてぞ失せられける。其時に歌よむべうはなかりしかども、

若うよりあながちに好いたる道なれば、最後の時もわすれ給はず。その頸をば唱取て、なくなく石にくくりあはせ、かたきのなかを

まぎれいでて、宇治河のふかきところにしづめけり。                         『平家物語』巻第四 「宮御最期」

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源頼政

人知れず 大内山の 山守は 木隠れてのみ 月を見るかな

歌人としてもすぐれていた頼政は、この歌で昇殿を許され、その後しばらく正四位下、七十歳を超えてから三位になった。

平氏の政権の中で、たったひとり源氏の公卿であった。

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『平家物語』を訪ねて 源頼政 橋合戦 平等院

万葉集を携えて

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