伊邪那岐命 禊祓と三貴子

竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原

宮崎市阿波岐ヶ原町

阿波岐原

黄泉国から追う愛妻伊邪那美命を振り切って逃げた伊邪那岐命は、出雲国の伊賦夜坂(黄泉比良坂)でようやくにこの世に戻ることができた。

黄泉国は穢れの国、穢れを禊ぎ祓うためここ阿波岐原にやって来た。「竺紫の日向の小門の阿波岐原」という。

さすがに神さまやなあ、出雲から日向にひとっ飛びである。ここ宮崎市に「阿波岐原」という地名がある。

伊邪那岐命はいきなり身に着けているもの全部脱ぎ捨てた。剣も帯も嚢も衣も褌も冠も手纏も、みんな穢れてしまった。投げ捨てたそれぞれのものが神さまになるのだから不思議。水の中に入って禊ぎ祓えをしていると、その所作ごとにまた神さまが生まれる、不思議。

さあ、いよいよ貴子の誕生である。

是に左の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、月読命。次に御鼻を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、建速須佐之男命。(『古事記』)

伊邪那岐命が左の目を洗うと天照大神が生まれ、右の目を洗うと月読命、鼻を洗うと須佐之男命が生まれた。奥様が亡くなっても、男ひとりで子どもが生まれるのだから神さまはえらい。

伊邪那岐命はすごい子どもが3人も生まれたと大感激。天照大神は高天原を治めよ、月読命は夜の食国を治めよ、須佐之男命は海原治めよ。

・・・・・

ところで、『古事記』に、「上の瀬は大へん流れが速い。下の瀬は大へん流れが弱い。中の瀬ですすぎをされた」とあり、この地宮崎市の「阿波岐原」は「中の瀬」であるという。今は開墾が進み、川の流れはなく「池」となってしまった、と池に隣接する江田神社の由緒書にある。江田神社はもちろん、伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る。

江田神社  本殿の奥に阿波岐原の池がある。

・・・・・・・

『古事記』

禊祓と三貴子

是を以ちて伊邪那伎大神詔りたまひしく、「吾は伊那志許米志許米岐、穢き国に到りて在り祁理。故、吾は御身の禊為む。」とのりたまひて、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到り坐して、禊ぎ祓ひたまひき。

  ・・中略・・

是に左の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、月読命。次に御鼻を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、建速須佐之男命。

右の件の八十禍津日神以下、速須佐之男命以前の十四柱の神は、御身を滌ぐに因りて生れるかみなり。

此の時伊邪那伎命、大く歓喜びて詔りたまひしく、「吾は子生み生みて、生みの終に三はしらの貴き子を得つ。」とのりたまひて、即ち御頚珠の玉の緒母由良邇取り由良迦志て、天照大御神に賜ひて、詔りたまひしく、「汝命は、高天の原を知らせ。」と事依さして賜ひき。故、其の御頚珠の名を、御倉板挙之神と謂ふ。次に月読命に詔りたまひしく、「汝命は、夜の食国を知らせ。」と事依さしき。次に建速須佐之男命に詔りたまひしく、「汝命は、海原を知らせ。」と事依さしき。

・・・・・・・

『日本書紀』にも三貴子誕生の話があるが、『古事記』と相違がある。

『日本書紀』第五段の本文は、

国の島々もすでに生んだし、山川草木も生んだ。あとは、この国を治める者が必要だと「ふたりで共に議りて」、まず日の神を生んだ。大日孁貴おほひるめのむちという。天照大神のこと。そして月の神、素戔鳴命を生んだとある。

本文は、夫婦ふたりでちゃんと生みましたというのだ。これがふつうや。

ところが一書(第一)には、伊奘諾尊が左の手に白銅鏡をもったときに大日孁尊が生まれた。右の手に持つと月弓尊が生まれた。そして首を回して後を見たとき素戔鳴命が生まれた、という。

一書(第六)には、『古事記』とよく似た話で、左の目を洗うと天照大神、右の目を洗うと月読尊、鼻を洗うと素戔鳴命なのである。

どうやらこの第六と『古事記』は原典がいっしょなんと違うかな。注意せなあかんのは、第六と『古事記』は、伊奘冉尊が亡くなってからの話で、それ以外は生きてるときの話。

・・・・・・・

『日本書紀』

『日本書紀』第五段 本文

既にして伊奘諾尊・伊奘冉尊、共に議りて曰はく、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」とのたまふ。是に、共に日の神を生みまつります。大日孁号す。一書に云はく、天照大神といふ。一書に云はく、天照大日孁尊といふ。此の子、光華明彩しくして、六合の内に照り徹る。故、二の神喜びて曰はく、「吾が息多ありと雖も、未だ若此霊に異しき児有らず。久しく此の国に留めまつるべからず。自づから当に早に天に送りて、授くるに天上の事を以てすべし」とのたまふ。是の時に、天地、相去ること未だ遠からず。故、天柱を以て、天上に挙ぐ。次に月の神を生みまつります。一書に云はく、月弓尊、月夜見尊、月読尊といふ。其の光彩しきこと、日に亞げり。以て日に配べて治すべし。故、亦天に送りまつる。次に蛭児を生む。已に三歳になるまで、脚猶し立たず。故、天磐櫲樟船に載せて、風の順に放ち棄つ。次に素戔嗚尊を生みまつります。一書に云はく、神素戔嗚尊、速素戔嗚尊といふ。此の神、勇悍くして安忍なること有り。且常に哭き泣つるを以て行とす。故、国内の人民をして、多に以て夭折なしむ。復使、青山を枯に変す。故、其の父母の二の神、素戔嗚尊に勅したまはく、「汝、甚だ無道し。以て宇宙に君臨たるべからず。固に当に遠く根国に適ね」とのたまひて、遂に逐ひき。

・・・(第一)

一書に曰はく、伊奘諾尊の曰はく、「吾、御宇すべき珍の子を生まむと欲ふ」とのたまひて、乃ち左の手を以て白銅鏡を持りたまふときに、則ち化り出づる神有す。是を大日孁尊と謂す。右の手に白銅鏡を持りたまふときに、則ち化り出づる神有す。是を月弓尊と謂す。又首を廻して顧眄之間に、則ち化る神有す。是を素戔嗚尊と謂す。即ち大日孁尊及び月弓尊は、並に是、質性明麗し。故、天地に照し臨ましむ。素戔嗚尊は、是性残ひ害ることを好む。故、下して根国を治しむ。

・・・(第六)

伊奘諾尊、既に還りて、乃ち追ひて悔いて曰はく、「吾前に不須也凶目き汚穢き處に到る。故、吾が身の濁穢を滌ひ去てむ」とのたまひて、則ち往きて筑紫の日向の小戸の橘の檍原に至りまして、祓ぎ除へたまふ。遂に身の所汚を盪滌ぎたまはむとして、乃ち興言して曰はく、「上瀬は是太だ疾し。下瀬は是太だ弱し」とのたまひて、便ち中瀬に濯ぎたまふ。

  ・・中略・・

然して後に、左の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて天照大神と曰す。復右の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて月読尊と曰す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて素戔嗚尊と曰す。凡て三の神ます。已にして伊奘諾尊、三の子に勅任して曰はく、「天照大神は、以て高天原を治すべし。月読尊は、以て滄海原の潮の八百重を治すべし。素戔嗚尊は、以て天下を治すべし」とのたまふ。是の時に、素戔嗚尊、年已に長いたり。復八握鬚髯生ひたり。然れども天下を治さずして、常に啼き泣ち恚恨む。故、伊奘諾尊問ひて曰はく、「汝は何の故にか恆に如此啼く」とのたまふ。対へて曰したまはく、「吾は母に根国に従はむと欲ひて、只に泣かくのみ」とまうしたまふ。伊奘諾尊悪みて曰はく、「情の任に行ね」とのたまひて、乃ち逐りき。

←次へ              次へ→

記紀の旅上巻一覧表に戻る

記紀の旅

『古事記』 『日本書紀』 『風土記』

万葉集を携えて

inserted by FC2 system