大国主神 建御雷神・事代主神

島根県出雲市大社町

稲佐の浜

『古事記』に、

伊那佐の小浜

是を以ちて此の二はしらの神、出雲国伊那佐の小浜に降り到りて、十掬剱を拔きて、逆に浪の穗に刺し立て、其の剱の前に趺み坐して、其の大国主神に問ひて言りたまひしく、「天照大御神、高木神命以ちて、問ひに使はせり。汝が宇志波祁流葦原中国は、我が御子の知らす国ぞと言依さし賜ひき。故、汝が心は奈何に。」とのりたまひき。爾に答へ白ししく、「僕は得白さじ。我が子、八重言代主神、是れ白すべし。然るに鳥の遊為、魚取りに、御大の前に往きて、未だ還り来ず。」とまをしき。故爾に天鳥船神を遣はして、八重事代主神を徴し来て、問ひ賜ひし時に、其の父の大神に語りて言ひしく、「恐し。此の国は、天つ神の御子に立奉らむ。」といひて、即ち其の船を蹈み傾けて、天の逆手を青柴垣に打ち成して、隠りき。

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いよいよこのふたり(建御雷と鳥船)が、出雲の国の稲佐の浜にやって来た。

十掬釼という刀を抜いて、大国組の組長の足元にブスッと刺し立て、その前にあぐらをかいて、

「うちの天照姉御と高木組頭から云われてきたんや。

組長の三代目ニニギ坊ちゃんがな、このシマ(葦原中国)もろうて、近々天から降りてくるんや。どや、このシマもらうで!」

これはもう完全にヤクザの世界や。書いてないけど、このふたり、背中には入れ墨のある紋々さんやと思う。

「早い話、ここから出ていけ、ゆうとんのじゃ」

うろたえた大国組長は、「ちょっと待ってえな、わしも年老いたし、息子(事代主)に二代目譲ろうと思ってるんや。その息子の意見も聞いてみんと。」

美保の浜に魚釣りに出かけてた息子は慌てて帰ってきたが、

「おやじ!わしらの負けや。どうなっとしやがれ!くそ!」、息子は船の上から海に飛び込んで死んでしまった。

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関西を拠点とする全国区の「天照組」が、出雲の「大国組」を乗っ取る場面、ここ稲佐の浜で演じられた。

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美保神社

島根県松江市美保関町

「御大の前に往きて」「鳥遊・取魚」をしていた事代主神を祀る。

4月7日に行われる「青柴垣神事」は、「天の逆手を青柴垣に打ち成して隠りき」に因む神事である。

事代主神がこのとき出漁をしていたということから、後世えびす神に擬せられて信仰をうけ、海上安全・漁猟守護の神として今日に至る。

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『日本書紀』

二の神、是に、出雲国の五十田狭の小汀に降到りて、則ち十握剣を抜きて、倒に地に植てて、其の鋒端に踞て、大己貴神に問ひて、曰はく、「高皇産霊尊、皇孫を降しまつりて、此の地に君臨はむとす。故、先我二の神を遣して、駈除ひ平定めしむ。汝が意何如。避りまつらむや不や」とのたまふ。時に、大己貴神対へて曰さく、「当に我が子に問ひて、然して後に報さむ」とまうす。是の時に、其の子事代主神、遊行きて出雲国の三穗の碕に在り。釣魚するを以て楽とす。或いは曰はく、遊鳥するを楽とすといふ。故、熊野の諸手船を以て、使者稲背脛を載せて遣りつ。而して高皇産霊の勅を事代主神に致し、且は報さむ辞を問ふ。時に事代主神、使者に謂りて曰はく、「今天神、此の借問ひたまふ勅有り。我が父、避り奉るべし。吾亦、違ひまつらじ」といふ。因りて海中に、八重蒼柴籬を造りて、船竄蹈みて避りぬ。使者、既に還りて報命す。

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