大国主神 建御名方神 長野県・諏訪湖 科野の国の州羽の海 『古事記』に、 建御名方神 故爾に其の大国主神に問ひたまひしく、「今汝が子、事代主神、如此白しぬ。亦白すべき子有りや。」ととひたまひき。是に亦白ししく、「亦我が子、建御名方神有り。此れを除きては無し。」とまをしき。如此白す間に、其の建御名方神、千引の石を手にフげて来て、「誰ぞ我が国に来て、忍び忍びに如此物言ふ。然らば力競べ為む。故、我先に其の御手を取らむ。」と言ひき。故、其の御手を取らしむれば、即ち立氷に取り成し、亦剱刃に取り成しつ。故爾に懼りて退き居りき。爾に其の建御名方神の手を取らむと乞ひ帰して取りたまへば、若葦を取るが如、み批ぎて投げ離ちたまへば、即ち逃げ去にき。故、追ひ往きて、科野国の州羽の海に迫め到りて、殺さむとしたまひし時、建御名方神白ししく、「恐し。我をな殺したまひそ。此の地を除きては、他處に行かじ。亦我が父、大国主神の命に違はじ。八重事代主神の言に違はじ。此の葦原中国は、天つ神の御子の命の随に獻らむ。」とまをしき。 ・・・・・ 「稲佐浜」の話のつづきやけど、 紋々さんのふたりはさらに云った。ホンマにヤクザはこわい。「おい!もうおらんやろな、文句いう息子は。」 大国のおやじは足をガタガタ震わせながら、「もう一人おりますねん、建御名方という息子が」。 ちょうどその時、粋がって戻ってきたもう一人の息子、「だれや、うちのおやじに偉そうにゆうてる奴は!」。 しかしその息子も手をねじ上げられて「参った」。 信州の諏訪湖近くまで逃げたのに、ヤクザは追っかけてくるんや、どこまでも。ひつこい奴らや。 「すんません。もう一歩もこの諏訪を離れへんし、頼むで殺さんといて。なんでもゆうこと聞くし」 ・・・・・ 諏訪大社 信州・長野県にある諏訪大社は、この建御名方神を祀る。 全国にある諏訪神社の総本社で、分社は新潟県の1500余社、長野県の1100余社をはじめとして、北は北海道から九州鹿児島まで約5000社あるといわれる。祭神は、上社本宮が建御名方神、上社前宮が妃神八坂刀売神、下社二社は両神を祀る。「御柱祭」が有名。
建御名方神は、建御雷之男神に敗れて科野国州羽海にいたり降参し、この地を出ないことで許された。 出雲からよくぞ信州まで逃げてきたものだと思うが、この地では国土開発の神として崇められるようになった。 今では全国に5000社もの分社があり、この地を出ないとの約束は反古となった。長崎市の諏訪神社は蛇踊りで有名である。 ・・・・・・・ 『古事記』に記されるこの建御名方神の話、『日本書紀』は記さない。 |
記紀の旅
『古事記』 『日本書紀』 『風土記』