風土記

肥前国風土記(逸文)

杵島山

佐賀県杵島郡白石町

))杵島(きしま)(あがた)県の南二(さと)一孤(ひとつ)山あり。(ひつじさる)のかたより(うしとら)のかたを指して、三つの峰相連なる。是を名づけて杵島(きしま)と曰ふ。

坤のかたなるは比古神(ひこがみ)と曰ひ、中なるは比売神(ひめがみ)と曰ひ、艮のかたなるは御子神(みこがみ)(一の名は軍神(いくさがみ)。動けば則ち(いくさ)興る)と曰ふ。

郷閭(むらざと)士女(をとこをみな)、酒を(たづさ)へ琴を抱きて、歳毎の春と秋に、手を携へて登り(みさ)け、(さけ)飮み歌ひ舞ひて、(うた)尽きて帰る。

歌の(ことば)に云はく、

あられふる  杵島(きしま)(たけ)を  (さか)しみと

()りかねて  (いも)が手を()る。

()()杵島曲(きしまぶり)なり。

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佐賀県白石町に杵島山はある。

『風土記』は、ここで歌垣が行われたと記す。

歌垣とは、毎年、春には豊作を祈願して、秋には収穫を感謝して、神を祀る農耕行事でもあり、

また、多くの若者が集まり、飲食し、互いに歌を詠みあい、男女の関係を結ぶ場とされた。

今ここ山腹は「杵島山歌垣公園」になっていて、

沢瀉先生の揮毫された歌碑がたつ。

 

あられふるきしまかたけをさかしみとくさとりかねていもかてをとる

これきしまぶりなり

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常陸国筑波山、摂津国歌垣山、肥前国杵島山、

日本三大歌垣といわれる。

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