神倭伊波礼比古命(神日本磐余彦尊) 神武天皇 御陵は畝火山に 奈良県橿原市大久保町 神武天皇陵 さすがに初代の天皇陵はでかい。 でも江戸時代にはすでに神武陵がどこにあるか分らなかったらしい。本居宣長らが一生懸命に捜している。 地元の伝承で小さな墳丘がそうだというと、あまりに小さく惨めなので、これは違うという。 江戸末期、文久3年にここにしましょうと決まった。現在地である。 それから大正時代までなんども修復されて現在のような立派な御陵になった。 ・・・ ところで、神武天皇は、『古事記』では137歳、『日本書紀』では127歳で亡くなった。えらい長生きや。 しかも10歳も『記紀』でちがう。うちの近所のおばあちゃんはここ2〜3年ずうっと88歳ってゆうてる。それと同じや。 100歳越えたら数も忘れる。10歳くらい平気や。暦もないし、記録するものもないし、「何回お誕生日むかえました?」って聞く方が酷や。 ・・・ 九州の日向からこの大和にやってきた。長い道程だった。戦いで兄3人を亡くした。そしてこの畝傍で天下を治めた。偉い! ホンマにここに眠っておられるのかよう分らんけど、2600年余、この日本の成長を見続けていてくれる。 日本は立派な国になりましたよ。 でも、ここ100年ほど神武天皇あなたを誉め過ぎました。現代語で「皇国史観」ゆうてます。 その結果してはならない戦争始めてしまいました。そして負けました。 もうしません、二度と戦争は。 ・・・・・・・ 『古事記』 凡そ此の神倭伊波礼毘古天皇の御年、壹佰参拾漆歳。御陵は畝火山の北の方の白梼の尾の上に在り。 ・・・ 『日本書紀』 七十有六年の春三月の甲午の朔甲辰に、天皇、橿原宮に崩りましぬ。時に年一百二十七歳。 明年の秋九月の乙卯の朔丙寅に、畝傍山東北陵に葬りまつる。 |
記紀の旅
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