神日本磐余彦尊 神武天皇

宮崎県西諸縣郡高原町

狭 野

宮崎県高原町蒲牟田の高台から望むこの地、「狭野」と呼ばれる。正面には御池が見える。

『日本書紀』に、

一書に曰はく、先づ彦五瀬命を生みたまふ。次に稲飯命。次に三毛入野命。次に狭野尊。亦は神日本磐余彦尊と号す。

狭野と所称すは、是、年少くまします時の号なり。

後に天下を撥ひ平げて、八洲を奄有す。故、復号を加へて、神日本磐余彦尊と曰す。

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神日本磐余彦命とは、神武天皇のこと、幼少のころは狭野尊と呼ばれた。

その狭野とはここ高原町のことで、神武天皇の生誕地という。

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高原町蒲牟田狭野に狭野神社がある。もちろん祭神は神武天皇。

長い長い参道がある。両脇には樹齢400年という大きな杉木が立ち並び、静かな神社境内である。

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高原町皇子に「皇子原」と呼ばれる地がある。皇子原についてこんな説明がある。

この眺めの美しい皇子原は、神武天皇(狭野尊・狭野皇子)のご誕生になった地と伝えられている。

狭野尊はこの皇子原で生まれ、幼少の頃は高千穂宮で父と共に過ごされ、狭野一帯の山野を駆けめぐって遊ばれたと伝えられる。

やがて成人になられ、高千穂峰を仰ぎつつ将来の国造りの構想を練り、その構想がまとまられると、郷土高原を出発され、

皇居を国の中央に定められ、国の経営に人皇第一代の神武天皇として国を治められたと伝えられている。

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すごいでしょ、2600年も前のことを、まるで見てきたことのように「伝えられている」のだから。

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小高い丘の上に皇子原神社がある。

神社境内奥に、「狭野尊誕生のときの産湯に使われたという由緒の産場石」がある。安産の石といわれる。

産場石ってどういう意味なんやろ。ふつうの石に見えるというと叱られるな。

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