袁本杼命(男大迹天皇) 継体天皇

滋賀県高島市

彦主人王

安曇陵墓参考地(彦主人王墳墓)

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『日本書紀』 継体紀に、

継体天皇は、応神天皇の五世の孫、彦主人王の子なり、母は振姫という。振媛は、垂仁天皇の七世の孫なり、とある。

名家というのはすごい。五代も七代も前のじいさんの名前をちゃんと記憶している。

継体天皇の父、彦主人王は、近江国の高島郡の三尾の別邸に住んでいた。

母の振媛の実家は、越前国坂井郡という。近江に嫁いできた。

子が生まれた。継体天皇である。

けれど、彦主人王は、継体天皇が幼いころに亡くなってしまった。母は子を連れて越前国に帰った。

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滋賀県高島市安曇川町田中に、彦主人王の墳墓がある。

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高島市鴨に、稲荷山古墳がある。

豪華な副葬品が出土し、有名な古墳である。新羅の王の古墳の出土品とよく似たものがあり、その交流がうかがえる。

この稲荷山古墳が、彦主人王の墓という別伝もある。その石棺である。

この地、高島市には彦主人王の伝承地があちこちにある。

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高島市拝戸に、水尾神社がある。

祭神は、磐衝別命と比売神とする。

『日本書紀』の垂仁紀をみてみると、すごいことが記してある。

山背国に綺戸邊というきれいな娘がいた。垂仁天皇、なんとしても欲しいと占いをしたりしてようやく手に入れた。

その綺戸邊が生んだ子が、磐衝別命なのである。「是、三尾君の始祖なり」とある。

すごい。継体天皇の母振媛は垂仁天皇の七世、磐衝別命の六世なのである。

この神社は式内社で、「高島郡水尾神社二座」である。二座とは、磐衝別命と振媛のことなのである。(私の希望)

神社由緒に、

振媛は、当社の拝殿を産所として三児を出産された。その末弟が継体天皇である。

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高島市安曇川町三尾里に、胞衣塚がある。

振媛が継体天皇を出産したときのへその緒をここに埋めたと伝える。

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高島市安曇川町常盤木に、三重生神社はある。

社名の三重生は、三王子が生まれたという意味らしい。

由緒には、彦主人王が当地で薨じられたので、社を建て祀ったという。振媛を後に合祀したとある。

継体天皇の両親が祭神である。

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『日本書紀』

男大迹天皇  継体天皇

男大迹天皇、更の名は彦太尊。は、誉田天皇の五世の孫、彦主人王の子なり。母を振媛と曰す。振媛は、活目天皇の七世の孫なり。天皇の父、振媛が顔容?妙しくして、甚だ?色有りといふことを聞きて、近江国の高嶋郡の三尾の別業より、使を遣して、三国の坂中井に聘へて、納れて妃としたまふ。遂に天皇を産む。天皇幼年くして、父の王薨せましぬ。振媛廼ち歎きて曰はく、「妾、今遠く桑梓を離れたり。安ぞ能く膝養ること得む。余、高向に帰寧ひがてらに、高向は、越前国の邑の名なり。天皇を奉養らむ」といふ。天皇、壮大にして、士を愛で賢を礼ひたまひて、意豁如にまします。

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