天命開別天皇 天智天皇

宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門

宮崎県児湯郡木城町比木

百済王の伝説

宮崎県の美郷町南郷と木城町比木に、「百済王の伝説」が伝わる。

上の写真、伝説の説明碑に、

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天平勝宝八年(756)、内乱により祖国を追われた百済の貞嘉王が大和の飛鳥にのがれ、二年後に、反乱軍の追撃を避け、

海路九州の大宰府へ脱出の途中、激しい暴風雨で難航し、貞嘉王は日向市金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郷に住んだ。

王子の福智王は別の船であったため、高鍋町蚊口浦へ流れ着き、木城町の比木に安住した。

貞嘉王は、さらに追撃を受け、伊佐賀峠で応戦したが苦戦し、王子福智王が比木より援軍として来てくれて、ようやく勝利を得た。

しかし、そのとき流れ矢が貞嘉王に当り、王は亡くなってしまった。

神門の郷人たちは、王の徳を慕い手厚く葬り、神門神社に合せ祀ったという。

比木に戻った福智王は、余生をその地で送り、比木神社に合せ祀ったという。

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天平勝宝八年というのが口伝らしいが、さらに100年くらい古い話ではないだろうか。

奈良時代、孝謙天皇の時代では、百済の滅亡は遠い昔の話になってしまう。

きっと、白村江の戦いの後の百済からの渡来と思われる。

百済から渡来した人たちにも仲間割れがあったのだろうか。

現に、鬼室福信は百済再興のため挙兵し、日本にいる百済王子豊璋を呼び戻したが、その豊璋と意見が合わず殺されてしまった。

貞嘉王、福智王、『日本書紀』や『三国史記』にその名はみえないが、渡来人の間にも仲違いがあったのだろうか。

それは私のかってな想像だけど、

この地にそんな伝説が1300年以上も残ることがすばらしい。

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宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門に、神門神社がある。

宮崎県児湯郡木城町比木に、比木神社がある。

このふたつの神社を結ぶすごい祭りがあるという。

「師走祭り」

案内によると、

この師走祭りは、百済亡命王族の親子対面を再現する祭りといわれ、その伝説を裏付けるものとされている。

親子対面の儀は、旧暦十二月十八日から二十日にあたる日程で、

木城町比木神社の一行が袋神を奉じて神門神社まで巡行し行なわれるものであり、古くは十日間の行程で行なわれていた。

その巡行の過程には様様な儀式が織りこまれており、中でも夜空を焦がす篝火の儀式は古代史の謎を彷彿させる壮大なものである。

神門神社に向かう「のぼりまし」では、沿道に待ち受ける人々が、袋神のふくらみ方や色合いによって年占いをなしたほか、

収穫物を袋神巡行の路上に姿を現さないでそっと差し出したり、地区挙げて篝火をたいて迎えるなど種々の習慣が今に伝わっている。

また、一行が帰路につく「くだりまし」の際にはヘグロ(墨)を顔に塗り竹で編んだショウケやシャモジなどを振って送る習わしも見られるなど、

地域住民の素朴な信仰形態、季節の折り目になされる地域的特色ある行事であり、国の無形民俗文化財に指定されている。

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この祭り、いちど見たいと思っている。

日本と韓国を結ぶ、古代のロマンを伝えるこの祭り、韓国の友人も是非連れて行きたいとも思っている。

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