邇邇芸命

天津彦彦火瓊瓊杵尊崩りましぬ。因りて筑紫日向可愛之山陵に葬りまつる。

鹿児島県薩摩川内市宮内町

可愛山陵 えのやま

鹿児島県薩摩川内市の新田神社境内裏山に邇邇芸命は眠る。

こんな表現は邇邇芸命に失礼やな。御陵の前に後から新田神社を建てた。

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そやけど、神さまの行動範囲はひろいなあ。

降臨したところゆうので、宮崎の高千穂町を訪ねた。いや鹿児島の高千穂峰やでとゆうから麓を訪ねた。

佐久夜姫との新婚生活は宮崎の西都原ゆうから、訪ねた。

そしたら、かむあがりまして、筑紫日向可愛之山陵に眠っておられるという。

ここ薩摩川内市である。九州ぐるっと一周してしもたがな。

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新田神社

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『日本書紀』
第九段本文
時に彼の国に美人有り。名を鹿葦津姫と曰ふ。亦の名は神吾田津姫。亦の名は木花之開耶姫。皇孫、此の美人に問ひて曰はく、「汝は誰が子ぞ」とのたまふ。対へて曰さく、「妾は是、天神の、大山祇神を娶きて、生ましめたる児なり」とまうす。皇孫因りて幸す。即ち一夜にして有娠みぬ。皇孫、未信之して曰はく、「復天神と雖も、何ぞ能く一夜の間に、人をして有娠ませむや。汝が所懐めるは、必ず我が子に非じ」とのたまふ。故、鹿葦津姫、忿り恨みまつりて、乃ち無戸室を作りて、其の内に入り居りて、誓ひて曰はく、「妾が所娠める、若し天孫の胤に非ずは、必当ず焦け滅びてむ。如し実に天孫の胤ならば、火も害ふこと能はじ」といふ。即ち火を放けて室を焼く。始めて起る烟の末より生り出づる児を、火闌降命と号く。是隼人等が始祖なり。次に熱を避りて居しますときに、生り出づる児を、彦火火出見尊と号く。次に生り出づる児を、火明命と号く。是尾張連等が始祖なり。凡て三子ます。久にありて天津彦彦火瓊瓊杵尊崩りましぬ。因りて筑紫日向可愛之山陵に葬りまつる。

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