いきなり、顕宗天皇に飛びますが、月読命の登場場面がここしかないのです。

顕宗天皇 三年春二月

我が月神に奉れ

京都市西京区松室山添町

月読神社

月読命は、伊邪那岐命が日向の阿波岐原で禊ぎ祓えのとき三貴子(天照大神・月読命・須佐之男命)が生まれ、右の目を洗ったときに生まれた神である。(『古事記』)

ところが『古事記』では、この記事以降月読命は登場しない。天照大神と須佐之男命はいっぱいあちこちに登場するのに。

一方、『日本書紀』では、ほぼ同じような出生をする三貴子であるが、月夜見尊(『日本書紀』の表現、月の神、月弓尊、月読尊とも)はちょっとだけ登場の機会がある。あまりいい役柄ではない。

天照大神が月夜見尊に、「葦原中国に保食神うけもちのかみがいる。会ってきなさい。」と、のたまう。

月夜見尊が保食神を訪ねると、大いに歓待してくれて、テーブルの上にいっぱいの料理を用意してくれた。ところがその料理、飯も魚料理も肉料理も、みんな保食神の口から吐き出したもの。月夜見尊は露骨に怒った。「穢いなあ、こんなもん食えるか!口から吐き出したものをおれに食えというのか」、剣を抜いて保食神を殺してしまった。

高天原に戻った月夜見尊は天照大神に報告した。「保食神はおれにあんな穢いものを食えといった。だから殺した」と。

天照大神は怒った。「なにゆうてんの、保食神はな、つぎからつぎへと口からわれわれのいただく大切な食べ物を生み出す神さまなんや、なんでそれを殺してしまうなんて!」

姉弟の喧嘩である。「もう二度とあんたの顔見たくないわ」、姉ちゃんの縁切り宣告。

以来、天照大神のお日様が輝く昼と、月夜見尊のお月様が輝く夜と、別々になってしまって、いっしょに輝くことはない。

・・・

そんなわけで、影のうすい月夜見尊だけれど、『日本書紀』顕宗天皇三年に突然現われる。

「私を祀れ、そうしたらええことがあるから」という。

月夜見尊はそのころ壱岐の島におられたようで、壱岐の県主の押見宿禰が壱岐の島から月読の神を分霊し、京都の葛野郡に祀ったという。それが現在の京都・西山に坐す「月読神社」なのである。

壱岐の島にも月読神社があり、神社由緒には、「京都に分霊したこちらが元宮」とされている。

長崎県壱岐市芦辺町国分東触

月読神社

・・・・・・・

『日本書紀』

顕宗天皇三年

三年の春二月の丁巳の朔に、阿閉臣事代、命を銜けて、出でて任那に使す。是に、月神、人に著りて謂りて曰はく、「我が祖高皇産霊、預ひて天地を鎔ひ造せる功有します。民地を以て、我が月神に奉れ。若し請の依に我に獻らば、福慶あらむ」とのたまふ。事代、是に由りて、京に還りて具に奏す。奉るに歌荒樔田を以てす。歌荒樔田は、山背国の葛野郡に在り。壹伎縣主の先祖押見宿禰、祠に侍ふ。

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