火遠理命 ほをりのみこと 鵜葺草葺不合命誕生 宮崎県日南市 日南海岸、鵜戸神宮の海 『古事記』、海幸彦山幸彦の話の後編である。 ・・・・・ 山幸彦を追いかけるように豊玉姫がやって来た。写真はその海岸、乗ってきた亀がいるでしょう、左の隅に。 すでに身ごもっていて、天つ神の子やから海中で生むより、やっぱり陸地で生むべきと思って、という。もう今にも生まれそうな大きなお腹。 慌てて、鵜の羽を葺いて産屋を建てたが、まだ葺き終わらないうちに、 「あかんわ、もう出てきそうや・・・」、豊玉姫は未完成の産屋に入る。 「そやけど、ぜったい見んといてな。今は人の姿してるけど、いざ生むとゆうときには、ほんまの姿になってしまう。見んといてな、ぜったいやで」 人というのはおろかなもので、絶対あかんと云われると、絶対見たくなるもので、人だけではない、神さまも同じやった。 山幸彦(火遠理命)、あかんと云われているのに、こっそり産屋をのぞいてしまった・・・。 そこにはきれいな豊玉姫ではなく、大きなワニ(鮫のこと)が身体をくねらせながら出産の真っ最中。 えらいもん見てしもうた。・・・・・ 子は無事生まれたのだが、恥ずかしい姿を見られてしもうた豊玉姫は、海のかなたに逃げ消えてしまった。 ひとり海岸に残された赤子が、激しく悲しく泣いていた。 この赤子、「鵜葺草葺不合尊うがやふきあへずのみこと」と名付けられた。そのまんまの名前である。 遠く海中に去った豊玉姫だが、子を想い、子を育てるためにと、妹の玉依姫が赤子のもとにやって来た。 ウガヤにとっては叔母さん、育ての親なんだけど、大きくなってふたりは結婚することになる。えらい「年上の女ひと」である。 ウガヤと玉依姫との間に、4人の子どもができた。そのひとりが、神武天皇なのである。 ・・・・・ 鵜戸神宮 宮崎県日南市鵜戸にある「鵜戸神宮」は鵜葺草葺不合尊を祭神とする。 海宮に帰る豊玉姫は、息子鵜葺草葺不合尊のために乳房を岩に貼付けていった、お乳岩である。 今も、岩の先からしたたり落ちる水で「おちち飴」をつくる。食べた子供は元気に育つという。 また、神社前の海岸には豊玉姫が海宮から乗って来たという海亀が石と化して残る。 お乳岩 亀石 「おちちあめ」、私も求めてなめてみた。おっちゃんがなめると、ちょっとすけべえな感じやな。 ・・・・・ 話は日南市から離れる。島根県簸川郡斐川町神氷に、加毛利神社がある。 祭神 天津日高彦火火出見命 豊玉比賣命 鵜葺草葺不合尊 社伝にいう。 豊玉姫命が鵜草葺不合尊を出産するとき、周りにたくさんの蟹が集まったため、側に仕えていた神が蟹を掃いて命をお守りした。 命は大層喜んで、その神に「蟹守」の名を与えた。 後に、蟹守(カニモリ)が加毛利(カモリ)と変わり、神守(カモリ)ともいわれ今日に至る。 蟹守の子孫神が、日向から船で当地に着き、三柱神を祀った。 加毛利神社には鳥居がない。 これは、祭神が天つ神であり、国つ神の大国主命を祀る出雲大社より大きい鳥居でなくてはならないということから建てられていない。 従って、氏子の家にも門は造らないという。 ・・・・・ 鹿児島県霧島市隼人町内に、鹿児島神宮がある。 祭神 天津日高彦火火出見命 豊玉比賣命 鵜草葺不合尊 この地が住居跡といわれる。 ・・・・・・・ 『古事記』 是に海神の女、豊玉毘売命、自ら参出て白ししく、「妾は已に妊身めるを、今産む時に臨りぬ。此を念ふに、天つ神の御子は、海原に生むべからず。故、参出到つ。」とまをしき。爾に即ち其の海辺の波限に、鵜の羽を葺草に為て、産殿を造りき。是に其の産殿、未だ葺き合へぬに、御腹の急しさに忍びず。故、産殿に入り坐しき。爾に産みまさむとする時に、其の日子に白したまひしく、「凡て佗国の人は、産む時に臨れば、本つ国の形を以ちて産生むなり。故、妾今、本の身を以ちて産まむとす。願はくは、妾をな見たまひそ。」と言したまひき。是に其の言を奇しと思ほして、其の産まむとするを竊伺みたまへば、八尋和邇に化りて、匍匐ひ委蛇ひき。即ち見驚き畏みて、遁げ退きたまひき。爾に豊玉毘売命、其の伺見たまひし事を知らして、心恥づかしと以為ほして、乃ち其の御子を生み置きて、「妾恒は、海つ道を通して往来はむと欲ひき。然れども吾が形を伺見たまひし、是れ甚づかし。」と白したまひて、即ち海坂を塞へて返り入りましき。是を以ちて其の産みましし御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂ふ。然れども後は、其の伺みたまひし情を恨みたまへども、恋しき心に忍びずて、其の御子を治養しまつる縁に因りて、其の弟、玉依毘売に附けて、歌を獻りたまひき。其の歌に曰ひしく、 赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり といひき。爾に其の比古遅答へて歌ひたまひしく、 沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに とうたひまひき。故、日子穗穗手見命は、高千穗の宮に伍佰捌拾歳坐しき。御陵は即ち其の高千穗の山の西に在り。 是の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、其の姨玉依毘売命を娶して、生みませる御子の名は、五瀬命。次に稲氷命。次に御毛沼命。次に若御毛沼命、亦の豊御毛沼命、亦の名は神倭伊波礼毘古命。四柱 故、御毛沼命は、波の穗を跳みて常世国に渡り坐し、稲氷命は、妣の国と為て海原に入り坐しき。 |
記紀の旅
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