天照大御神 天の石屋戸

八百萬の神、天安の河原に神集ひ集ひて

山口県防府市大崎

常世の長鳴鳥

山口県防府市大崎の玉祖神社で大切に飼育されている鶏がいる。

日本鶏「黒柏」といい、天然記念物に指定されている。「天孫降臨と共に来た鶏」といわれる。真っ黒な鶏で、闇夜ではどこにいるのか分らない鶏である。

『古事記』に、天照大御神が天の石屋戸に隠れてしまったとき、「思金神に思はしめて、常夜の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、」とある長鳴鳥、この鶏なのである。高天原も葦原中国も真っ暗だから、この鶏も真っ黒になってしまったらしい。

声を長く引いて鳴く鶏のことだろう。八百万の神は天の安の河原に集まり、大神の関心を引くため、この長く鳴く鶏を騒々しく鳴かせたのだ。

とても焼き鶏にしたり、チキンハンバーガー、チキンオムレツに使うような鶏ではない。神聖な鶏さまである。

鳴き声が聞きたくてしばらく様子をながめていたが、闇夜ではなく、昼の日中であったのか、クーとも鳴かなかった。

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『古事記』に、「伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ、」

奈良県田原本町八尾に、鏡作坐天照御魂神社がある。祭神の一柱は、鏡作りの祖、石凝姥命(『日本書紀』の表記、伊斯許理度売命に同じ)。

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『古事記』に、「玉祖命に科せて、八尺の勾?の五百津の御須麻流の珠を作らしめて、」

長鳴鳥のいた玉祖神社祭神は、八坂瓊曲玉を造った玉祖命である。

由緒には、「仲哀天皇・神功皇后は西征の折りこの社に参拝し、今の佐野焼の始祖といわれる沢田の長に三足の土鼎と缶(ほとぎ)を作らせ米を炊き捧げられ、また軍の吉凶を占われたことに起因するという占手神事も昔ながらに伝えらている」ともある。

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『古事記』に、「天の香山の真男鹿の肩を内拔きに拔きて、天の香山の天の波波迦を取りて、占合ひ麻迦那波しめて、」

橿原市南浦町天子にある天香山神社には、鹿の肩骨を焚いて占いをするための燃やす木「波波迦」がある。波波迦とはウワミズザクラのことといわれる。

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『古事記』に、

天宇受売命

天の香山の天の日影を手次に繋けて、天の真拆を縵と為て、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、

天の石屋戸に?気伏せて蹈み登杼呂許志、神懸り為て、胸乳を掛き出で裳緒を番登に忍し垂れき。

いよいよ天宇受売命の登場である。

手や頭にはいっぱいきらきらの飾りを巻きつけて、空笥を伏せというから空っぽの桶みたいなものの上に乗って、仮の舞台のようなものだ、激しいリズムで足踏み鳴らし、狂ったように踊り舞う。

周りのやおよろずの神さんたちは手を叩いて大喜び、ピューピューと指笛鳴らして大騒ぎ。宇受売ちゃんも大サービスで、ふたつのおっぱいあらわにかき出し、怪しくお尻や腰を振り始めた。

私もどこかで見たようなシーンである。やおよろずの神さんてゆうけど、ふつうの兄ちゃん・おっさんやんか。「踊り子さんには絶対手をふれないように」って注意される。今昔、男はいっしょいっしょ。

三重県鈴鹿市山本町に、椿大神社がある。境内に、椿岸神社があり、天鈿女命本宮とある。(天鈿女命は『日本書紀』の表記、天宇受売命に同じ)

椿大神社の祭神は猿田彦神、天鈿女命のだんなである。

天鈿女命は天安河原で大活躍して、天照大御神にふたたび天空で輝いてもらうようになった。

そして天孫降臨の瓊瓊杵尊に付き従いこの国に降りてきた。その途中、この国の神さんである猿田彦神と道案内の折衝をし、無事に瓊瓊杵尊を日向の高千穂に導いた。

そのときのご縁で、猿田彦神と天鈿女命は結婚することになって、この伊勢国で新居をかまえることになったのである。

椿岸神社

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『古事記』

天の石屋戸

故是に天照大御神見畏みて、天の石屋戸を開きて刺許母理坐しき。爾に高天の原皆暗く、葦原中国悉に闇し。此れに因りて常夜往きき。是に萬の神の声は、狹蝿那須満ち、萬の妖悉に発りき。是を以ちて八百萬の神、天安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日神の子、思金神に思はしめて、常夜の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、天安河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄を取りて、鍜人天津麻羅を求ぎて、伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ、玉祖命に科せて、八尺の勾?の五百津の御須麻流の珠を作らしめて、天兒屋命、布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩を内拔きに拔きて、天の香山の天の波波迦を取りて、占合ひ麻迦那波しめて、天の香山の五百津真賢木を根許士爾許士て、上枝に八尺の勾?の五百津の御須麻流の玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取り繋け、下枝に白丹寸手、青丹寸手を取り垂でて、此の種種の物は、布刀玉命、布刀御幣と取り持ちて、天兒屋命、布刀詔戸言祷き白して、天手力男神、戸の掖に隠り立ちて、天宇受売命、天の香山の天の日影を手次に繋けて、天の真拆を縵と為て、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸に?気伏せて蹈み登杼呂許志、神懸り為て、胸乳を掛き出で裳緒を番登に忍し垂れき。爾に高天の原動みて、八百萬の神共に咲ひき。

是に天照大御神、怪しと以為ほして、天の石屋戸を細めに開きて、内より告りたまひしく、「吾が隠り坐すに因りて、天の原自ら闇く、亦葦原中国も皆闇けむと以為ふを、何由以、天宇受売は楽を為、亦八百萬の神も諸咲へる。」とのりたまひき。爾に天宇受売白言ししく、「汝命に益して貴き神坐す。故、歓喜び咲ひ楽ぶぞ。」とまをしき。如此言す間に、天兒屋命、布刀玉命、其の鏡を指し出して、天照大御神に示せ奉る時、天照大御神、逾奇しと思ほして、稍戸より出でて臨み坐す時に、其の隠り立てりし天手力男神、其の御手を取りて引き出す即ち、布刀玉命、尻久米縄を其の御後方に控き度して白言ししく、「此れより内にな還り入りそ。」とまをしき。故、天照大御神出で坐しし時、高天の原も葦原中国も、自ら照り明りき。

是に八百萬の神共に議りて、速須佐之男命に千位の置戸を負せ、亦鬚を切り、手足の爪も拔かしめて、神夜良比夜良比岐。

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一方、『日本書紀』の天石窟の段は、お役所の書類みたいな記述でなあんもおもしろくない。氏族の遠祖紹介みたいだし、天鈿女命のおっぱいぷりんぷりんの話もない。

『日本書紀』

第七段本文
天照大神 ・・・・・・ 此に由りて、発慍りまして、乃ち天石窟に入りまして、磐戸を閉して幽り居しぬ。故、六合の内常闇にして、昼夜の相代も知らず。時に、八十萬神、天安河辺に会ひて、其の祷るべき方を計ふ。故、思兼神、深く謀り遠く慮りて、遂に常世の長鳴鳥を聚めて、互に長鳴せしむ。亦手力雄神を以て、磐戸の側に立てて、中臣連の遠祖天児屋命、忌部の遠祖太玉命、天香山の五百箇の真坂樹を掘じて、上枝には八坂瓊の五百箇の御統を懸け、中枝には八咫鏡を懸け、下枝には青和幣、白和幣を懸でて、相与に致其祈祷す。又?女君の遠祖天鈿女命、則ち手に茅纏の?を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に作俳優す。亦天香山の真坂樹を以て鬘にし、蘿を以て手繦にして、火處焼き、覆槽置せ、顕神明之憑談す。是の時に、天照大神、聞しめして曰さく「吾、比石窟に閉り居り。謂ふに、当に豊葦原中国は、必ず為長夜くらむ。云何ぞ天鈿女命如此?楽くや」とおもほして、乃ち御手を以て、細に磐戸を開けて窺す。時に手力雄神、則ち天照大神の手を奉承りて、引き奉出る。是に、中臣神・忌部神、則ち端出之縄界す。乃ち請して曰さく、「復な還幸りましそ」とまうす。然して後に、諸の神罪過を素戔嗚尊に帰せて、科するに千座置戸を以てして、遂に促め徴る。髮を抜き、其の罪を贖はしむるに至る。亦曰はく、其の手足の爪を抜きて贖ふといふ。已にして竟に逐降ひき。

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