太平記 三十七  志賀寺上人の事

またわが朝には志賀寺の上人とて行学薫修の聖才おはしけり。すみやかにかの三界の火宅を出でて、永く九品の淨刹に生れんと願ひしかば、富貴の人を見ても、夢中

 

の快楽と笑ひ、容色の妙なるに会ひても、迷ひの前の着相を哀れむ。雲を隣の柴の庵、しばしばかりと住む程に、手づから栽ゑし庭の松も、秋風高く成りにけり。ある時上 

 

人草庵の中を立出でて、手に一尋の杖を支へ、眉に八字の霜を垂れつつ、湖水波しづかなるに向ひて、水想観を成して、心を澄してただ一人立ち給ひたるところに、京極

 

の御息所、志賀の花園の春の気色を御覧じて、御帰りありけるが、御車の物見をあけられたるに、この上人御目を見合はせまゐらせて、覚えず心迷うて魂うかれにけり。

   

遥かに御車の跡を見送りて立ちたれども、わが思ひはや遣る方も無かりければ、柴の庵に立ち帰つて、本尊に向ひ奉りたれども、観念の床の上には、妄想の化のみ立ち

 

そひて、称名の声の中には、たへかねたる大息のみぞつかれける。さてももし慰むやと暮山の雲を詠ながむれば、いとど心もうき迷ひ、閑窓の月にうそぶけば、忘れぬ思

  

ひなほ深し。今生の妄念つひに離れずは、後生の障りと成りぬべければ、わが思ひの深き色を御息所に一端申して、心安く臨終をもせばやと思ひて、上人狐裘に鳩の杖

 

をつき、泣く泣く京極の御息所の御所へ参りて、鞠のつぼの懸かりの本に、一日一夜ぞ立ちたりける。余の人は皆いかなる修行者乞食人やらんと、怪む事もなかりける

 

に、御息所御簾の内より遥かに御覧ぜられて、これはいかさま志賀の花見の帰るさに、目を見合はせたりし聖にてやおはすらん。われゆえに迷はば、後生の罪たが身の

 

上にか留まるべき、よそながら露ばかりの言の葉に情けをかけば、慰む心もこそあれとおぼしめして、「上人これへ」と召されければ、はなはなとふるひて、中門の御簾の

 

前にひざまづいて申し出でたる事もなく、さめざめとぞ泣き給ひける。御息所は偽りならぬ気色の程、哀れにもまた恐ろしくもおぼしめされければ、雪のごとくなる御手を、

 

御簾の内より少し差し出ださせ給ひたるに、上人御手に取り付きて、

 

  初春の初音の今日の玉箒手に取るからにゆらぐ玉の緒 

 

と詠まれければ、やがて御息所取りあへず、

 

  極楽の玉の台の蓮葉にわれをいざなへゆらぐ玉の緒

 

とあそばされて、聖の心をぞ慰め給ひける。かかる道心堅固の聖人、久修練行の尊宿だにも、遂げがたき発心修行の道なるに、家富み若き人の憂き世のきづなを離れ

 

て、永く隠遁の身と成りにける、左衛門佐入道の心の程こそありがたけれ。

 

 

 

・・・・・・・

 

志賀寺は、大津市滋賀里甲にあった崇福寺のこと。

 

 

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