宇治拾遺物語
 
金峯山薄打の事
 
今は昔、七条に薄打あり。御嶽詣しけり。参りて、金崩を行いて見れば、まことの金の様にてありけり。嬉しく思ひて、くだんの金を取りて、袖に包みて家に帰りぬ。おろしてみければ、きらきらとして、まことの金なりければ、「ふしぎのことなり。この金取るは、神鳴、地震、雨降などして、すこしもえ取らざんなるに、これは、さることもなし。こののちもこの金を取りて、世の中を過ぐべし」と嬉しくて、秤にかけて見れば、十八両ぞありける。これを薄に打つに、七八千枚に打ちつ。
 
これをまろげて、みな買はん人もがなと思ひて、しばらく持ちたるほどに、「検非違使なる人の、東寺の仏造らんとて、薄を多く買はんと言ふ」と、告ぐる者ありけり。悦びて、懐にさし入れて行きぬ。「薄や召す」と言ひければ、「いくらばかり持ちたるぞ」と問ひければ、「七八千枚ばかり候ふ」と言ひければ、「持ちて参りたるか」と言へば、「候ふ」とて、懐より紙に包みたるを取り出したり。見れば、破れず、広く、色いみじかりければ、広げて数へんとて見れば、小さき文字にて、「金の御嶽金の御嶽」と、ことごとく書かれたり。心も得で、「この書付は、何の料の書付ぞ」と問へば、薄打、「書付も候はず。何の料の書付かは候はん」と言へば、「現にあり、これを見よ」とて見するに、薄打見れば、まことにあり。あさましきことかなと思ひて、口もえあかず。
 
検非違使、「これはただごとにあらず、やうあるべし」とて、友を呼び具して、金をば看督長に持たせて、薄打具して、大理のもとへ参りぬ。くだんのことどもを語り奉れば、別当驚きて、「早く河原に出で行きて問へ」と言はれければ、検非違使ども、河原に行きて、よせばし掘り立てて、身をはたらかさぬやうにはりつけて、七十度の勘じをへければ、背中は紅の練単衣を水に濡らして着せたるやうに、みさみさとなりてありけるを、重ねて獄に入れたりければ、わづかに十日ばかりありて死にけり。薄をば金峯山に返して、もとの所に置きけると語り伝へたり。
 
それよりして、人怖ぢて、いよいよくだんの金取らんと思ふ人なし。あな恐ろし。

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