萬葉集 巻第一
雑歌
泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす天皇の代 大泊瀬稚武天皇
天皇の御製歌 ☆故地 1 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ居れ 告らめ 家をも名をも
高市の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 息長足日広額天皇
天皇、香具山に登りて望国したまふ時の御製歌 ☆故地 2 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
天皇、宇智の野に遊猟したまふ時に、中皇命の間人連老をして献らしめたまふ歌 ☆故地 3 やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし みとらしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝狩に 今立たすらし 夕狩に 今立たすらし みとらしの 梓の弓の 中弭の 音すなり反歌 4 たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ その草深野
讃岐の国の安益の郡に幸す時に、軍王が山を見て作る歌 5 霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣き居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に かへらひぬれば ますらをと 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心
反歌 6 山越しの 風を時じみ 寝る夜おちず 家なる妹を 懸けて偲ひつ
右は、日本書紀に検すに、讃岐の国に幸すことなし。また、軍王もいまだ詳らかにあらず。ただし、山上憶良大夫が類聚歌林に曰はく、「記には『天皇の十一年己亥の冬の十二月己巳の朔の壬午に、伊予の温湯の宮に幸す云々』といふ。一書には『この時に宮の前に二つの樹木あり。この二つの樹に斑鳩と比米との二つの鳥いたく集く。時に勅して多に稲穂を掛けてこれを養はしめたまふ。すなはち作る歌云々』といふ」と。けだしここよりすなはち幸すか。
明日香の川原の宮に天の下知らしめす天皇の代 天豊財重日足姫天皇
額田王が歌 いまだ詳らかにあらず 7 秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ ☆故地
右は、山上億良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「一書には『戊申の年に比良の宮に幸すときの大御歌』」といふ。ただし、紀には「五年の春の正月己卯の朔の辛巳に、天皇紀伊の温湯より至ります。三月戊寅の朔に、天皇吉野の宮に幸して肆宴したまふ。庚辰の日に、天皇近江の平の浦に幸す」といふ。
後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 天豊財重日足姫天皇 後に後の岡本の宮に即位したまふ
額田王が歌 8 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな ☆故地
右は、山上億良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑の、九年丁酉の十二月己巳の朔の壬午に、天皇・大后、伊予の湯の宮に幸す。後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉の春の正月丁酉の朔の壬寅に、御船西つかたに征き、始めて海道に就く。庚戌に、御船伊予の熟田津の石湯の行宮に泊つ。天皇、昔日のなほ存れる物を御覧して、その時にたちまちに感愛の情を起したまふ。この故によりて歌詠を製りて哀傷しびたまふ」といふ。すなはち、この歌は天皇の御製なり。ただし、額田王が歌は別に四首あり。
紀伊の温泉に幸す時に、額田王が作り歌 9 莫囂円隣之大相七兄爪謁氣 我が背子が い立たせりけむ 厳橿が本
中皇命、紀伊の温泉に往す時の御歌 10 君が代も わが代も知るや 岩代の 岡の草根を いざ結びてな ☆故地 11 我が背子は 仮廬作らす 草なくは 小松が下の 草を刈らさね 12 我が欲りし 野島は見せつ 底深き 阿胡根の浦の 玉ぞ拾はぬ ☆故地
右は、山上億良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「天皇の御製歌云々」といふ。
中大兄 近江の宮に天の下知らしめす天皇 が三山の歌 ☆故地 13 香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき 反歌 14 香具山と 耳成山と 闘ひし時 立ちて見に来し 印南国原 15 海神の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ
右の一首の歌は、今案ふるに反歌に似ず。ただし、旧本、この歌をもちて反歌に載す。この故に、今もなほこの次ぎに載す。また、紀には「天豊財重日足姫天皇の先の四年乙巳に、天皇を立てて皇太子となす」といふ。
近江の大津の宮に天の下知らしめす天皇の代 天命開別天皇、諡して天智天皇といふ
天皇、内大臣藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶と秋山の千葉の彩とを競ひ憐れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて判る歌 16 冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ぶ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山ぞ我れは 額田王、近江の国に下る時に作る歌、井戸王が即ち和ふる歌 17 味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや ☆故地 反歌 18 三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや 右の二首の歌は、山上憶良大夫が類聚歌林には「都を近江の国に遷す時に三輪山を御覧す御歌なり」といふ。日本書紀には「六年丙寅の春の三月辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」といふ。
19 綜麻形の 林のさきの さ野榛の 衣に付くなす 目につく我が背 ☆故地
右の一首の歌は、今案ふるに和ふる歌に似ず。ただし、旧本、この次に載す。この故になほ載す。 天皇、蒲生野に遊猟したまふ時に、額田王が作る歌 ☆故地 20 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る ☆花
皇太子の答へたまふ御歌 明日香の宮に天の下知らしめす天皇、諡して天武天皇といふ 21 紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも
紀には「天皇の七年丁卯の夏の五月の五日に、蒲生野に縦猟す。時に大皇弟・諸王、内臣また群臣、皆悉に従なり」といふ。
明日香の清御原の宮の天皇の代 天渟中原瀛真人天皇、諡して天武天皇といふ
十市皇女、伊勢神宮に参赴ます時に、波多の横山の巌を見て、吹刀自が作る歌 22 川の上の ゆつ岩群に 草生さず 常にもがもな 常処女にて
吹刀自はいまだ詳らかにあらず。ただし、紀には「天皇の四年乙亥の春の二月乙亥の朔の丁亥に、十市皇女・阿閉皇女、伊勢神宮に参赴ます」といふ。
麻続王、伊勢の国の伊良虞の島に流さゆる時に、人の哀傷しびて作る歌 ☆故地 23 打ち麻を 麻続の王 海人なれや 伊良虞の島の 玉藻刈ります 麻続王、これを聞きて感傷しびて和ふる歌 24 うつせみの 命を惜しみ 波に濡れ 伊良虞の島の 玉藻刈り食む
右は、日本紀を案ふるに、曰はく、「天皇の四年乙亥の夏の四月戊戌の朔の乙卯に、三位麻続王罪あり。因幡に流す。一の子をば伊豆の島に流す。一の子をば血鹿の島に流す」といふ。ここに伊勢の国の伊良虞の島に配すといふは、けだし後の人、歌の辞に縁りて誤り記せるか。
天皇の御製歌 25 み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を 或本の歌 26 み吉野の 耳我の山に 時じくぞ 雪は降るといふ 間なくぞ 雨は降るといふ その雪の 時じきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を 天皇、吉野の宮に幸す時の御製歌 27 よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見
紀には「八年己卯の五月庚辰の朔の甲申に、吉野の宮に幸す」といふ。 藤原の宮に天の下知らしめす天皇の代 高天原広野姫天皇、元年丁亥の十一年に位を軽太子に譲りたまふ。尊号を太上天皇といふ。
天皇の御製歌 28 春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山 ☆故地 ☆花 近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌 29 玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめしいを そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ひしめせか 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも 反歌 30 楽浪の 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ ☆故地 31 楽浪の 志賀の大わだ よどむとも 昔の人に またも逢わめやも ☆故地 高市古人、近江の旧き都を感傷しびて作る歌 或書には「高市連黒人」といふ 32 古の 人に我れあれや 楽浪の 古き都を 見れば悲しき 33 楽浪の 国つ御神の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも
紀伊の国に幸す時に、川島皇子の作らす歌 或いは「山上臣憶良作る」といふ 34 白波の 浜松が枝の 手向けくさ 幾代までにか 年の経ぬらむ
日本紀には「朱鳥の四年庚寅の秋の九月に、天皇紀伊の国に幸す」といふ。 背の山を越ゆる時に、阿閉皇女の作らす歌 ☆故地 35 これやこの 大和にしては 我が恋ふる 紀伊道にありといふ 名に負ふ背の山 吉野の宮に幸す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌 ☆故地 36 やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡り 舟競ひ 夕川渡る この川の いや高知らす 水激く 滝の宮処は 見れど飽かぬかも 反歌 37 見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく またかへり見む
38 やすみしし 我が大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山 山神の 奉る御調と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり 行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも 反歌 39 山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 舟出せすかも
右は、日本紀には「三年己丑の正月に、天皇吉野の宮に幸す。八月に、吉野の宮に幸し。四年庚寅の二月に、吉野の宮に幸す。五月に、吉野の宮に幸し。五年辛卯の正月に、吉野の宮に幸す。四月に、吉野に幸す」といへば、いまだ詳らかにいづれの月の従駕にして作る歌なるかを知らず。
伊勢の国に幸す時に、京に留まれる柿本朝臣人麻呂が作る歌 40 鳴呼見の浦に 舟乗りすらむ をとめらが 玉藻の裾に 潮満つらむか ☆故地 41 釧着く 答志の崎に 今日もかも 大宮人の 玉藻刈るらむ ☆故地 42 潮騒に 伊良虞の島辺 漕ぐ舟に 妹乗るらむか 荒き島みに 当麻真人麻呂が妻の作る歌 43 我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を 今日か越ゆらむ ☆故地 石上大臣、従駕にして作る歌 44 我妹子を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも ☆故地
右は、日本紀には「朱鳥の六年壬辰の春の三月丙寅の朔の戊辰に、浄広肆広瀬王等をもちて、留守官となす。ここに中納言三輪朝臣高市麻呂、その冠位を脱きて朝に捧げ、重ねて諫めまつりて曰さく、『農作の前に車駕いまだもちて動すべからず』とまをす。辛未に、天皇諫めに従ひたまはず、つひに伊勢に幸す。五月乙丑の朔の庚午に、阿胡の行宮に御す」といふ。 |