萬葉集 巻第一

(ざふ)()

(はつ)()(あさ)(くら)(みや)(あめ)(した)()らしめす天皇(すめらみこと)(みよ) 大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと)

天皇(すめらみこと)の御製歌   故地
1 
()もよ み()持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に ()()ます子 (いへ)()らせ ()()らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて 我れこそ()れ しきなべて 我れこそ()れ ()らめ 家をも名をも

高市(たけち)岡本(おかもと)(みや)(あめ)(した)()らしめす天皇(すめらみこと)(みよ) 息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)

天皇(すめらみこと)香具山(かぐやま)に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌   故地
2 大和(やまと)には (むら)(やま)あれど とりよろふ (あめ)香具山(かぐやま) 登り立ち (くに)()をすれば (くに)(はら)は (けぶり)立ち立つ (うな)(はら)は (かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉(あきづ)(しま) 大和の国は


天皇、宇智(うち)の野遊猟(みかり)したまふ時に、中皇命(なかつすめらみこと)間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして(たてまつ)らしめたまふ歌   故地
3 
やすみしし 我が大君(おほきみ)の (あした)には 取り()でたまひ (ゆふへ)には い寄り立たしし みとらしの (あづさ)の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり 朝狩(あさがり)に 今立たすらし 夕狩(ゆふがり)に 今立たすらし みとらしの 梓の弓の 中弭の 音すなり(はん)()
4 
たまきはる 宇智(うち)の大野に 馬()めて 朝()ますらむ その草深野(くさふかの)

讃岐(さぬき)の国の()()(こほり)(いでま)す時に、軍王(こにきしのおほきみ)が山を見て作る歌
5 
(かすみ)立つ 長き(はる)()の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣き()れば 玉たすき ()けのよろしく (とほ)つ神 我が大君の 行幸(いでまし)の 山越す風の ひとり()る 我が(ころも)()に 朝夕(あさよひ)に かへらひぬれば ますらをと 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ()る たづきを知らに (あみ)の浦の ()()(おとめ)子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が(した)(ごころ)

反歌
6 
山越しの 風を時じみ ()()おちず 家なる(いも)を ()けて(しの)ひつ

右は、日本書紀に(ただ)すに、讃岐(さぬき)の国に(いでま)すことなし。また、軍王(こにきしのおほきみ)もいまだ(つばひ)らかにあらず。ただし、山上憶良大夫(まへつきみ)類聚歌林(るいじうかりん)()はく、「記には『天皇の十一年己亥(つちのとゐ)の冬の十二月己巳(つちのとみ)(つきたち)壬午(みづのえうま)に、伊予(いよ)温湯()(みや)(いでま)す云々』といふ。一書には『この時に宮の前に二つの樹木あり。この二つの樹に斑鳩(いかるが)比米(ひめ)との二つの鳥いたく(すだ)く。時に(みことのり)して(さは)に稲穂を掛けてこれを()はしめたまふ。すなはち作る歌云々』といふ」と。けだしここよりすなはち幸す( )

明日香(あすか)川原(かはら)の宮に(あめ)(した)()らしめす天皇(すめらみこと)(みよ) 天豊財重日足姫天皇(あめのとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)

額田王(ぬかたのおほきみ)が歌 いまだ(つばひ)らかにあらず
7 秋の野の み(くさ)刈り()き 宿れりし 宇治の(みや)()の (かり)(いほ)し思ほゆ   故地

右は、山上億良大夫が類聚歌林に(ただ)すに、曰はく、「一書には『戊申(つちのえさる)の年に比良(ひら)の宮に(いでま)すときの大御歌』」といふ。ただし、紀には「五年の春の正月己卯(つちのとう)(つきたち)辛巳(かのとみ)に、天皇紀伊()温湯()より至ります。三月戊寅(つちのえとら)の朔に、天皇吉野の宮に幸して肆宴(とよのあかり)したまふ。庚辰(かのえたつ)の日に、天皇近江(あふみ)(ひら)の浦に幸す」といふ。

後の岡本の宮に(あめ)(した)知らしめす天皇(すめらみこと)の代 天豊財重日足姫天皇(あめのとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと) 後に後の岡本の宮に即位()したまふ

額田王(ぬかたのおほきみ)が歌

8 (にき)()()に (ふな)()りせむと 月待てば (しほ)もかなひぬ 今は()()でな   故地

右は、山上億良大夫が類聚歌林に(ただ)すに、曰はく、「飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑(つちのとうし)の、九年丁酉(ひのととり)の十二月己巳(つちのとみ)(つきたち)壬午(みづのえうま)に、天皇・大后、伊予(いよ)の湯の宮に(いでま)す。(のち)の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉(かのととり)の春の正月丁酉(ひのととり)の朔の壬寅(みづのえとら)に、御船西つかたに()き、始めて海道(うみぢ)に就く。庚戌(かのえいぬ)に、御船伊予の熟田津(にきたつ)石湯(いはゆ)行宮(かりみや)()つ。天皇、昔日(むかし)のなほ(のこ)れる物を御覧(みそこなは)して、その時にたちまちに感愛(めで)(こころ)を起したまふ。この故によりて歌詠(みうた)を製りて哀傷(かな)しびたまふ」といふ。すなはち、この歌は天皇の御製なり。ただし、額田王が歌は別に四首あ( )

紀伊()温泉()(いでま)す時に、額田王(ぬかたのおほきみ)が作り歌
9 莫囂円隣之大相七兄爪謁氣 我が()()が い立たせりけむ (いつ)橿(かし)(もと)

中皇命(なかつすめらみこと)紀伊()温泉()(いでま)す時の御歌
10 君が代も わが代も知るや (いわ)(しろ)の 岡の草根を いざ結びてな   故地

11 我が背子は (かり)(いほ)作らす (かや)なくは 小松(こまつ)(した)の (かや)を刈らさね

12 我が()りし 野島(のじま)は見せつ 底深き ()()()の浦の 玉ぞ(ひり)はぬ   故地

右は、山上億良大夫(やまのうへのおくらのまへつきみ)類聚歌林(るいじうかりん)(ただ)すに、曰はく、「天皇の御製歌云々(しかしか)」といふ。

中大兄(なかのおほえ) 近江(あふみ)の宮に天の下知らしめす天皇 が三山の歌   故地
13 香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)()しと (みみ)(なし)と (あい)(あらそ)ひき (かむ)()より かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも (つま)(あらそ)ふらしき

反歌

14 香具山(かぐやま)と 耳成山(みみなしやま)と ()ひし時 立ちて見に()し 印南(いなみ)(くに)(はら

)15 (わた)(つみ)の (とよ)(はた)(くも)に 入日さし 今夜(こよひ)月夜(つくよ) さやけくありこそ

右の一首の歌は、今(かむが)ふるに反歌に似ず。ただし、旧本、この歌をもちて反歌に()す。この(ゆゑ)に、今もなほこの次ぎに載す。また、紀には「天豊財重日足姫天皇(あめのとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)の先の四年乙巳(きのとみ)に、天皇を立てて皇太子(ひつぎのみこ)となす」といふ。

近江(あふみ)大津(おほつ)(みや)に天の下知らしめす天皇の代 天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)(おくりな)して天智天皇(てんちてんわう)といふ

天皇、内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣に詔して、春山の万花の(にほひ)と秋山の千葉の(いろ)とを(きほ)(あは)れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて(ことわ)る歌

16 冬こもり 春さり()れば 鳴かざりし 鳥も()鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を()み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の ()の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りてぞ(しの)ぶ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし(うら)めし 秋山ぞ我れは

額田王(ぬかたのおほきみ)近江(あふみ)の国に(くだ)る時に作る歌、井戸王(ゐのへのおほきみ)(すなは)(こた)ふる歌
17 (うま)(さけ) 三輪(みわ)の山 あをによし 奈良の山の 山の()に い(かく)るまで 道の(くま) い()もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも ()()けむ山を 心なく 雲の (かく)さふべしや   故地

反歌
18 三輪(みわ)(やま)を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも (かく)さふべしや

右の二首の歌は、山上憶良大夫(やまのうへのおくらのまへつきみ)類聚歌林(るいじうかりん)には「都を近江(あふみ)の国に(うつ)す時に三輪山を御覧(みそこなは)す御歌なり」といふ。日本書紀には「六年丙寅(ひのえとら)の春の三月辛酉(かのととり)(つきたち)己卯(つちのとう)に、都を近江に遷す」といふ。

19 綜麻(へそ)(かた)の 林のさきの さ()(はり)の (きぬ)に付くなす 目につく我が()   故地

右の一首の歌は、今(かむが)ふるに(こた)ふる歌に似ず。ただし、旧本、この(つぎて)()す。この(ゆゑ)になほ載す。

天皇、蒲生野(かまふの)遊猟(みかり)したまふ時に、額田王(ぬかたのおほきみ)が作る歌     故地
20 あかねさす 紫野行き (しめ)()行き ()(もり)は見ずや 君が袖振る   

皇太子(ひつぎのみこ)の答へたまふ御歌 明日香(あすか)の宮に天の下知らしめす天皇、(おくりな)して天武天皇(てんむてんわう)といふ
21 紫草(むらさき)の にほへる(いも)を (にく)くあらば 人妻(ひとづま)ゆゑに 我れ恋ひめやも

紀には「天皇の七年丁卯(ひのとう)の夏の五月の五日に、蒲生野(かまふの)縦猟(みかり)す。時に大皇弟(ひつぎのみこ)諸王(おほきみたち)内臣(うちのまへつきみ)また群臣(まへつきみたち)皆悉(ことごと)(おほみとも)なり」といふ。

明日香(あすか)(きよ)()(はら)の宮の天皇の代 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)(おくりな)して天武天皇といふ

十市皇女(とをちのひめみこ)、伊勢神宮に参赴(まゐで)ます時に、波多(はた)の横山の(いはほ)を見て、刀自(ふふきのとじ)が作る歌

22 川の()の ゆつ(いは)(むら)に 草()さず (つね)にもがもな (とこ)処女(をとめ)にて

刀自はいまだ(つばひ)らかにあらず。ただし、紀には「天皇の四年乙亥(きのとゐ)の春の二月乙亥の(つきたち)丁亥(ひのとゐ)に、十市皇女・阿閉皇女(あへのひめみこ)、伊勢神宮に参赴(まゐで)ます」といふ。

麻続王(をみのおほきみ)、伊勢の国の伊良虞(いらご)の島に流さゆる時に、人の哀傷(かな)しびて作る歌    故地
23 打ち()を ()()(おほきみ) ()()なれや ()()()の島の (たま)()刈ります

麻続王(をみのおほきみ)、これを聞きて感傷(かな)しびて(こた)ふる歌
24 うつせみの (いのち)()しみ 波に()れ ()()()の島の (たま)()刈り()

右は、日本紀を(かむが)ふるに、曰はく、「天皇の四年乙亥(きのとゐ)の夏の四月戊戌(つちのえいぬ)(つきたち)乙卯(きのとう)に、三位麻続王(をみのおほきみ)罪あり。因幡(いなば)に流す。(ひとり)の子をば伊豆の島に流す。一の子をば血鹿(ちか)の島に流す」といふ。ここに伊勢の国の伊良虞(いたご)の島に(なが)すといふは、けだし後の人、歌の(ことば)()りて誤り(しる)せるか。

天皇の御製歌
25 み吉野の (みみ)()(みね)に 時なくぞ 雪は降りける ()なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の ()なきがごと (くま)もおちず 思ひつつぞ()し その(やま)(みち)

或本の歌
26 み吉野の (みみ)()の山に 時じくぞ 雪は降るといふ ()なくぞ 雨は降るといふ その雪の 時じきがごと その雨の ()なきがごと (くま)もおちず 思ひつつぞ()し その山道を

天皇、吉野の宮に(いでま)す時の御製歌
27 よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野(よしの)よく見よ よき人よく見

紀には「八年己卯(つちのとう)の五月庚辰(かのえたつ)(つきたち)甲申(きのえさる)に、吉野の宮に(いでま)す」といふ。
藤原(ふぢはら)の宮に天の下知らしめす天皇の代 高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)、元年丁亥(ひのとい)の十一年に(みくらゐ)軽太子(かるのひつぎのみこ)に譲りたまふ。尊号を太上天皇(おほきすめらみこと)といふ。

天皇の御製歌

28 春過ぎて 夏(きた)るらし (しろ)(たへ)の (ころも)()したり (あめ)香具山(かぐやま)   故地 

近江(あふみ)の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌
29 玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの()()ゆ ()れましし 神のことごと (つが)の木の いや()ぎ継ぎに (あめ)(した) 知らしめしいを そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ひしめせか (あま)(ざか)る (ひな)にはあれど (いは)(ばし)る 近江の国の (ささ)(なみ)の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇(すめろき)の 神の(みこと)の 大宮は ここと聞けども (おほ)殿(との)は ここと言へども 春草の (しげ)()ひたる 霞立つ (はる)()()れる ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも

反歌
30 (ささ)(なみ)の 志賀(しが)(から)(さき) (さき)くあれど 大宮(おほみや)(ひと)の 舟待ちかねつ    故地

31 (ささ)(なみ)の 志賀(しが)の大わだ よどむとも 昔の人に またも逢わめやも    故地

高市古人(たけちのふるひと)近江(あふみ)(ふる)き都を感傷(かな)しびて作る歌 或書には「高市連黒人(たけちのくろひと)」といふ
32 (いにしへ)の 人に我れあれや 楽浪(ささなみ)の 古き都を 見れば悲しき

33 楽浪(ささなみ)の 国つ()(かみ)の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも

紀伊()の国に(いでま)す時に、川島皇子(かはしまのみこ)の作らす歌 或いは「山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)作る」といふ
34 白波の 浜松(はままつ)()の ()()けくさ 幾代(いくよ)までにか 年の()ぬらむ

日本紀には「朱鳥(あかみとり)の四年庚寅(かのえとら)の秋の九月に、天皇紀伊()の国に(いでま)す」といふ。

()の山を越ゆる時に、阿閉皇女(あへのひめみこ)の作らす歌    故地
35 これやこの 大和(やまと)にしては 我が()ふる 紀伊()()にありといふ 名に()()(やま 

吉野の宮(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が作る歌   故地
36 やすみしし 我が(おほ)(きみ)の きこしめす (あめ)(した)に 国はしも さはにあれども 山川(やまかは)の 清き河内(かふち)と ()(こころ)を 吉野の国の 花散らふ (あき)()野辺(のへ)に 宮柱 (ふと)()きませば ももしきの 大宮(おほみや)(ひと)は (ふね)()めて 朝川渡り (ふな)(きほ)ひ 夕川渡る この川の いや高知(たかし)らす (みな)(そそ)く 滝の(みや)()は 見れど()かぬかも

反歌

37 見れど飽かぬ 吉野(よしの)の川の 常滑(とこなめ)の 絶ゆることなく またかへり見む

38 やすみしし 我が大君 (かむ)ながら (かむ)さびせすと 吉野川 たぎつ河内(かふち)に 高殿(たかどの)を (たか)()りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣(あをかき)(やま) (やま)(つみ)の (まつ)()調(つき)と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみち)かざせり 行き沿()ふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると (かみ)つ瀬に 鵜川(うかは)を立ち (しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川も ()りて仕ふる 神の御代(みよ)かも

反歌
39 山川も ()りて仕ふる (かむ)ながら たぎつ河内(かふち)に (ふな)()せすかも

右は、日本紀には「三年己丑(つちのとうし)の正月に、天皇吉野の宮に幸す。八月に、吉野の宮に幸し。四年庚寅(かのえとら)の二月に、吉野の宮に幸す。五月に、吉野の宮に幸し。五年辛卯(かのとう)の正月に、吉野の宮に幸す。四月に、吉野に幸す」といへば、いまだ(つばひ)らかにいづれの月の従駕(おほみとも)にして作る歌なるかを知らず。

伊勢(いせ)の国に(いでま)す時に、京に(とど)まれる柿本朝臣人麻呂が作る歌
40 鳴呼見(あみ)の浦に (ふな)()りすらむ をとめらが (たま)()(すそ)に (しほ)満つらむか    故地

41 (くしろ)()く (たふ)()の崎に 今日(けふ)もかも 大宮(おほみや)(ひと)の (たま)()刈るらむ    故地

42 潮騒(しおさゐ)に ()()()(しま)() 漕ぐ舟に (いも)乗るらむか 荒き(しま)みに

当麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)()の作る歌 

43 我が()()は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張(なばり)の山を 今日(けふ)()ゆらむ   故地

石上大臣(いそのかみのおほまへつきみ)従駕(おほみとも)にして作る歌
44 我妹子(わぎもこ)を いざ()の山を 高みかも 大和(やまと)の見えぬ 国(とほ)みかも    故地

右は、日本紀には「朱鳥(あかみとり)の六年壬辰(みづのえたつ)の春の三月丙寅(ひのえとら)(つきたち)戊辰(つちのえたつ)に、浄広肆(じやうくわうし)広瀬王(ひろせのおほきみ)(とう)をもちて、留守官(とどまりまもるつかさ)となす。ここに中納言三輪朝臣高市麻呂(みわのあそみたけちまろ)、その冠位(かがふり)()きて(みかど)(ささ)げ、重ねて(いさ)めまつりて(まを)さく、『農作(なりはひ)(さき)車駕(みくるま)いまだもちて(いでま)すべからず』とまをす。辛未(かのとひつじ)に、天皇諫めに従ひたまはず、つひに伊勢に(いでま)す。五月乙丑(きのとうし)の朔の庚午(かのえうま)に、()()行宮(かりみや)(いでま)す」といふ。

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