巻二 141〜198

挽歌(ばんか)

(のち)岡本(をかもと)(みや)(あめ)(した)()らしめす天皇(すめらみこと)(みよ) 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)、譲位の後に、後の岡本の宮に()きたまふ

有間皇子(ありまのみこ)(みづか)(いた)みて松が()を結ぶ歌二首   故地
141 (いは)(しろ)の 浜松が()を 引き結び ま(さき)くあらば また帰り見む   故地
142 (いへ)なれば ()()(いひ)を 草枕 旅にしあれば (しひ)の葉に盛る

長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)、結び松を見て哀咽(かな)しぶる歌二首
143 (いは)(しろ)の (きし)(まつ)() (むす)びけむ 人は帰りて また見けむかも
144 (いは)(しろ)の 野中(のなか)に立てる (むす)(まつ) 心も()けず いにしへ思ほゆ

山上臣憶良が(つい)()の歌一首
145 (あま)(がけ)り あり(がよ)ひつつ 見らめども 人こそ知らね (まつ)は知るらむ

右の(くだり)の歌どもは、(ひつき)()く時に作るところにあらずといへども歌の(こころ)准擬(なずら)ふ。この故に挽歌の類に()す。
大宝元年辛丑(かのとうし)に、紀伊()の国に(いでま)す時に、結び松を見る歌一首 柿本朝臣人麻呂が歌集の(うち)に出づ
146 (のち)見むと 君が結べる (いは)(しろ)の 小松(こまつ)がうれを またも見むかも

近江(あふみ)大津(おほつ)の宮に天の下知らしめす天皇の代 天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)(おくりな)して天智天皇といふ

天皇(せい)(きゅう)()()の時に、(おほ)(きさき)(たてまつ)る御歌一首

147 (あま)(はら) ()()け見れば 大君の 御寿(みいのち)は長く (あま)()らしたり

一書に曰はく、近江天皇(あふみのすめらみこと)(せい)(たい)()()、御病(には)かなる時に、(おほ)(きさき)奉献(たてまつ)る御歌一首
148 (あを)(はた)の 木幡(こはた)(うへ)を 通ふとは 目には見れども (ただ)に逢はぬかも

天皇の(かむあが)りましし後の時に、倭大后(やまとのおほきさき)の作らす歌一首
149 人はよし 思ひ()むとも (たま)(かづら) 影に見えつつ 忘らえぬかも

天皇の(かむあが)りましし時に、婦人(をみなめ)が作る歌一首 姓氏いまだ(つばひ)らかにあらず
150 うつせみし 神に()へねば (はな)れ居て (あさ)嘆く君 (さか)り居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて (きぬ)ならば ()ぐ時もなく 我が恋ふる 君ぞきぞの() (いめ)に見えつる

天皇の大殯(おほあらき)の時の歌二首
151 かからむと かねて知りせば (おほ)()(ふね) ()てし(とま)りに (しめ)()はましを  額田王
152 やすみしし 我ご大君の (おほ)()(ふね) 待ちか恋ふらむ 志賀(しが)(から)(さき)  舎人吉年(とねりのえとし)    故地

(おほ)(きさき)の御歌一首
153 鯨魚(いさな)取り 淡海(あふみ)(うみ)を 沖()けて 漕ぎ来る船 ()()きて 漕ぎ来る船 沖つ(かい) いたくな()ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の (つま) 思ふ鳥立つ    故地

石川夫人(いしかはのぶにん)が歌一首
154 楽浪(ささなみ)の 大山(おほやま)(もり)は ()がためか 山に(しめ)()ふ 君もあらなくに

山科(やましな)御陵(みはか)より退(まか)(あら)くる時に額田王が作る歌一首    故地
155 やすみしし 我ご大君(おほきみ)の (かしこ)きや 御陵仕ふる 山科の (かがみ)の山に (よる)はも ()のことごと 昼はも 日のことごと ()のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人(おほみやひと)は 行き別れなむ

明日香(あすか)(きよ)()(はら)の宮に天の下知らしめす天皇の代 天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)(おくりな)して天武天皇といふ

十市皇女(とをちのひめみこ)(こう)ぜし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作らす歌三首

156 みもろの (かみ)(かむ)(すぎ) 已具耳矣自得見監乍共 ()ねぬ()ぞ多き    故地
157 三輪(みわ)(やま)の (やま)()真麻(まそ)木綿(ゆふ) (みじか)木綿(ゆふ) かくのみからに 長くと思ひき    故地
158 山吹(やまぶき)の 立ちよそひたる (やま)清水(しみづ) ()みに行かめど 道の知らなく   

紀には「七年戊寅(つちのえとら)の夏の四月丁亥(ひのとゐ)(つきたち)癸巳(みずのとみ)に、十市皇女(とをちのひめみこ)、にはかに(やまひ)(おこ)りて宮の(うち)(こう)ず」といふ。


天皇の(かむあが)りましし時に、大后(おほきさき)の作らす歌一首
159 やすみしし 我が大君し (ゆふ)されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし (かむ)(をか)の 山の黄葉(もみち)を 今日(けふ)もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を ()()け見つつ (ゆふ)されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし (あら)(たへ)の (ころも)の袖は ()る時もな

( )一書に曰はく、天皇の(かむあが)りましし時の太上天皇(おほきすめらみこと)の御製歌二首
160 燃ゆる火も 取りて包みて (ふくろ)には ()ると言はずやも 智男雲
161 北山に たなびく雲の (あを)(くも)の 星(はな)れ行き 月を離れて

天皇の(かむあが)りましし後の八年九月九日の奉為(おほみため)()(さい)()()に、(いめ)(うち)に習ひたまふ御歌一首 古歌集の(うち)に出づ
162 明日香(あすか)の (きよ)()(はら)の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君 高照らす 日の()() いかさまに 思ほしめせか 神風(かむかぜ)の 伊勢(いせ)の国は 沖つ藻も ()みたる波に (しほ)()のみ (かを)れる国に 味凝(うまこ)り あやにともしき 高照らす 日の御子

藤原(ふぢはら)の宮に天の下知らしめす天皇の代 高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)、天皇の元年丁亥(ひのとゐ)の十一年に、位を軽太子(かるのひつぎのみこ)に譲り、尊号を太上天皇(おほきすめらみこと)といふ

大津皇子(おほつのみこ)(かむあが)りましし後、大伯皇女(おほくのひめみこ)伊勢(いせ)斎宮(いつきのみや)より京に上る時の御作歌(みうた)二首

163 (かむ)(かぜ)の 伊勢の国にも あらましを (なに)しか来けむ 君もあらなくに
164 見まく()り 我がする君も あらなくに 何しか来けむ 馬疲るるに

大津皇子の(しかばね)葛城(かづらき)二上山(ふたかみやま)に移し(はぶ)る時、大伯皇女の(かな)しび(いた)御作歌(みうた)二首    故地
165 うつそみの 人にある我れや 明日(あす)よりは (ふた)(かみ)()を (いろ)()と我が見む
166 (いそ)(うへ)に ()ふる馬酔木(あしび)を ()()らめど ()すべき君が ()りと言はなくに   

右の一首は、今(かむが)ふるに、移し葬る歌に似ず。けだし疑はくは、伊勢の神宮(かむみや)より京に還る時に、(みち)()に花を見て感傷(かんしやう)(あい)(えつ)してこの歌を作るか。

日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首(あは)せて短歌
167 天地(あめつち)の 初めの時 ひさかたの (あま)河原(かはら)に 八百万(やほよろづ) 千万神(ちよろづかみ)の (かむ)(つど)ひ 集ひいまして (かむ)(わか)ち 分ちし時に (あま)照らす 日女(ひるめ)(みこと) (あめ)をば 知らしめすと (あし)(はら)の 瑞穂(みづほ)の国を 天地の 寄り合ひの(きは)み 知らしめす 神の(みこと)と (あま)(くも)の 八重(やへ)かき()けて (かむ)(くだ)し いませまつりし 高照らす 日の()()は 明日香(あすか)の (きよみ)の宮に (かむ)ながら (ふと)()きまして すめろきの 敷きます国と (あま)の原 (いは)()を開き (かむ)(あが)り 上りいましぬ 我が大君(おほきみ) 皇子(みこ)(みこと)の (あめ)(した) 知らしめしせば 春花(はるはな)の (たふと)くあらむと 望月(もちづき)の (たたは)しけむと 天の下 四方(よも)の人の 大船(おほぶね)の 思ひ頼みて (あま)つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓(まゆみ)の岡に 宮柱(みやばしら) (ふと)()きいまし みあらかに 高知りまして (あさ)(こと)に ()(こと)問はさぬ ()(つき)の 数多(まね)くなりぬれ そこ(ゆゑ)に 皇子(みこ)の (みや)(ひと) ゆくへ知らずも

反歌二首
168 ひさかたの (あめ)見るごとく 仰ぎ見し 皇子の()(かど)の 荒れまく惜しも
169 あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの ()渡る月の (かく)らく惜しも   

或本には、(くだり)の歌をもちて、後皇子尊(のちのみこのみこと)殯宮(あらきのみや)の時の歌の反とす

或本の歌一首
170 島の宮 まがりの池の (はな)(どり) 人目(ひとめ)に恋ひて 池に(かづ)かず

皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人(とねり)()()()しびて作る歌二十三首
171 (たか)(ひか)る 我が日の()()の 万代(よろづよ)に 国知らさまし 島の宮はも
172 島の宮 (かみ)の池なる (はな)ち鳥 (あら)びな行きそ 君()さずとも
173 (たか)(ひか)る 我が日の()()の いましせば 島の御門(みかど)は 荒れずあらましを
174 (よそ)に見し 真弓の岡も 君()せば (とこ)御門(みかど)と 侍宿(とのゐ)するかも
175 (いめ)にだに 見ずありしものを おほほしく (みや)()もするか さ()(くま)みを
176 天地(あめつち)と ともに終へむと 思ひつつ 仕へまつりし 心(たが)ひぬ
177 朝日照る 佐田(さだ)(をか)()に 群れ()つつ 我が泣く(なみた) やむ時もなし
178 み立たしの 島を見る時 にはたづみ 流るる(なみた) 止めぞかねつる
179 (たちばな)の 島の宮には ()かねかも 佐田(さだ)(をか)()に 侍宿(とのゐ)しに行く
180 み立たしの 島をも家と 住む鳥も (あら)びな行きそ 年かはるまで
181 み立たしの 島の荒磯(ありそ)を 今見れば ()ひずありし草 生ひにけるかも
182 鳥座(とぐら)立て 飼ひし(かり)の子 巣立(すだ)ちなば 真弓の岡に 飛び帰り()
183 我が御門(みかど) 千代(ちよ)とことばに 栄えむと 思ひてありし 我れし悲しも
184 (ひむがし)の たぎの御門(みかど)に (さもら)へど 昨日(きのふ)今日(けふ)も ()(こと)もなし
185 (みづ)(つた)ふ (いそ)(うら)みの (いは)つつじ ()く咲く道を またも見むかも   
186 (ひと)()には ()たび参りし (ひむがし)の (おほ)御門(みかど)を 入りかてぬかも
187 つれもなき 佐田(さだ)(をか)()に 帰り()ば 島の()(はし)に ()れか住まはむ
188 朝ぐもり 日の入り行けば み立たしの 島に()()て 嘆きつるかも
189 朝日照る 島の御門(みかど)に おほほしく (ひと)(おと)もせねば まうら(がな)しも
190 真木(まき)(はしら) 太き心は ありしかど この我が心 (しづ)めかねつも
191 けころもを 時かたまけて 出でましし 宇陀(うだ)の大野は 思ほえむかも
192 朝日照る 佐田(さだ)(をか)()に 鳴く鳥の ()()きかへらふ この年ころを
193 (はた)()らが (よる)(ひる)といはず 行く道を 我れはことごと (みや)()にぞする

右は、日本紀には「三年己丑(つちのとうし)の夏の四月癸未(みづのとひつじ)(つきたち)乙未(きのとひつじ)(こう)ず」といふ。


柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)忍壁皇子(おさかべのみこ)とに(たてまつ)る歌一首 (あは)せて短歌
194 飛ぶ鳥 明日香(あすか) (かみ)つ瀬に ()ふる(たま)()は (しも)つ瀬に 流れ()らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り (なび)かひし (つま)(みこと)の たたなづく (にき)(はだ)すらを 剣大刀(つるぎたち) 身に添へ()ねば ぬばたまの()(とこ)も荒るらむ そこ(ゆゑ)に (なぐさ)めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて (たま)(だれ)の ()()の大野の (あさ)(つゆ)に (たま)()はひづち 夕霧(ゆふぎり)に (ころも)()れて 草枕 (たび)()かもする 逢はぬ君(ゆゑ)    故地

反歌一首
195 (しき)(たへ)の (そで)()へし君 (たま)(だれ)の ()()()過ぎ行く またも逢はめやも

右は、或本には「河島皇子(かはしまのみこ)を越智野に(はぶ)りし時に、泊瀬部皇女に献る歌なり」といふ。日本紀には「朱鳥(あかみとり)の五年辛卯(かのとう)の秋の九月の(つきたち)丁丑(ひのとうし)に、浄大参(じやうだいさん)皇子川島(こう)ず」といふ。

明日香皇女(あすかのひめみこ)城上(きのへ)殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 (あは)せて短歌
196 飛ぶ鳥 明日香の川の (かみ)つ瀬に (いし)(ばし)渡す (しも)つ瀬に (うち)(はし)渡す 石橋に ()(なび)ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひをゐれる 川藻もぞ 枯るれば()ふる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ ()やせば 川藻のごとく 靡かひし (よろ)しき君が (あさ)(みや)を 忘れたまふや (ゆふ)(みや)を (そむ)きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば (もみちば)葉かざし (しき)(たへ)の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月(もちづき)の いや()づらしみ 思ひしし 君と時時 出でまして ()びたまひし ()()(むか)ふ (きのへ)上の宮を (とこ)(みや)と 定めたまひて あぢさはふ ()(こと)も絶えぬ しかれかも あやに悲しみ ぬえ鳥の (かた)(こひ)づま 朝鳥の (かよ)はす君が 夏草の 思ひ(しな)えて (ゆふ)(つづ)の か行きかく行き (おお)(ふね)の たゆたふ見れば (なぐさ)もる 心もあらず そこ(ゆゑ)に ()むすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず (あま)(つち)の いや(とほ)(なが)く (しの)ひ行かむ ()()()かせる 明日香川 万代(よろづよ)までに はしきやし 我が大君の 形見にここを

短歌二首
197 明日香川 しがらみ渡し ()かませば 流るる水も のどにかあらまし
198 明日香川 明日だに見むと 思へやも 我が大君の ()()忘れせぬ

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