巻二 199〜234

高市皇子尊(たけちのみこのみこと)城上(きのへ)殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌 (あは)せて短歌
199 かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに(かしこ)き 明日香の 真神(まがみ)の原に ひさかたの (あま)御門(みかど)を 畏くも 定めたまひて (かむ)さぶと (いはがく)隠ります やすみしし 我が大君の きこしめす ()(とも)の国の ()()立つ 不破(ふは)(やま)越えて 高麗(こま)(つるぎ) ()()()が原の (かりみや)宮に ()()りいまして (あめ)(した) 治めたまひ ()す国を 定めたまふと (とり)が鳴く (あづま)の国の ()軍士(いくさ)を 召したまひて ちはやぶる 人を(やは)せと (まつ)ろはぬ 国を治めと 皇子(みこ)ながら (よさ)したまへば (おほ)()()に ()()取り()かし (おほ)()()に 弓取り持たし 御軍士を (あども)ひたまひ (ととの)ふる (つづみ)(おと)は (いかづち)の (こゑ)と聞くまで 吹き()せる ()()の音も (あた)見たる (とら)()ゆると (もろ)(ひと)の おびゆるまでに ささげたる (はた)(なび)きは 冬こもり 春さり()れば 野ごとに つきてある火の 風の(むた) (なび)くがごとく 取り持てる ()(はず)(さわ)き み雪降る 冬の林に つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの(かしこ)く 引き放つ 矢の(しげ)けく 大雪の 乱れて(きた)れ まつろはず 立ち(むか)ひしも (つゆ)(しも)の ()なば()ぬべく 行く鳥の 争ふはしに (わた)(らひ)の (いつ)きの宮ゆ 神風(かむかぜ)に い吹き(まと)はし (あま)(くも)を 日の目も見せず (とこ)(やみ)に (おほ)ひたまひて 定めてし 瑞穂(みづほ)の国を (かむ)ながら (ふと)()きまして やすみしし 我が大君の (あめ)(した) (まを)したまへば 万代(よろづよ)に しかしもあらむと 木綿(ゆふ)(ばな)の 栄ゆる時に 我が大君 皇子(みこ)()(かど)を (かむ)(みや)に (よそ)ひまつりて 使はしし 御門の人も (しろ)(たへ)の 麻衣(あさごろも)着て 埴安(はにやす)の 御門の原に あかねさす 日のことごとと 鹿(しし)じもの い()ひ伏しつつ ぬばたまの (ゆふへ)になれば (おほ)殿(との)を 振り放け見つつ (うづら)なす い()(もとほ)り (さもら)へど 侍ひえねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 思ひも いまだ尽きねば (こと)さへく 百済(くだら)の原ゆ (かむ)(はぶ)り 葬りいませて あさもよし の宮を 城上(きのへ)常宮(とこみや)と 高くし(まつ)りて (かむ)ながら (しづ)まりましぬ しかれども 我が大君の 万代と 思ひしめして 作らしし ()()(やま)の宮 万代に 過ぎむと思へや (あめ)のごと 振り放け見つつ 玉たすき ()けて(しの)はむ (かしこ)くあれども

短歌二首
200 ひさかたの (あめ)知らしぬる (きみ)(ゆゑ)に ()(つき)も知らず 恋ひわたるかも
201 (はに)(やす)の 池の(つつみ)の (こも)()の ゆくへを知らに 舎人(とねり)(まと)

或書の反歌一首
202 (なき)(さは)の 神社(もり)()()()ゑ 祈れども 我が大君は (たか)()知らしぬ   故地

右の一首は、類聚歌林(るいじうかりん)には「檜隈女王(ひのくまのおほきみ)(なき)(さは)神社(もり)(うら)むる歌なり」といふ。日本紀を(かむが)ふるに、()はく、「十年丙申(ひのえさる)の秋の七月辛丑(かのとうし)(つきたち)庚戌(かのえいぬ)に、後皇子尊(のちのみこのみこと)(こう)ず」といふ。

但馬皇女(たぢまのひめみこ)(こう)ぜし後に、穂積皇子(ほづみのみこ)、冬の日に雪の降るに御墓(みはか)遥望(えうぼう)悲傷流涕(ひしやうりうてい)して作らす歌一首
203 降る雪は あはにな降りそ (よな)(ばり)の ()(かひ)の岡の 寒くあらまくに   故地

弓削皇子(ゆげのみこ)(こう)ぜし時に、置始東人(おきそめのあづまひと)が作る歌一首 (あは)せて短歌
204 やすみしし 我が大君 (たか)(ひか)る 日の()() ひさかたの (あま)(みや)に (かむ)ながら (かみ)といませば そこをしも あやに(かしこ)み (ひる)はも ()のことごと (よる)はも ()のことごと ()()嘆けど ()()らぬかも

反歌一首
205 大君は 神にしませば (あま)(くも)五百重(いほへ)(した)に (かく)りたまひぬ

また、短歌一首
206 楽浪(ささなみ)の 志賀(しが)さざれ波 しくしくに 常にと君が 思ほせりける

柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首 并せて短歌
207 (あま)()ぶや (かる)(みち)は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく()しけど やまず()かば 人目(ひとめ)を多み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね(かづら) (のち)も逢はむと (おほ)(ぶね)の 思ひ頼みて 玉かぎる (いは)(かき)(ふち)の (こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の (くも)(がく)るごと (おき)()の (なび)きし(いも)は 黄葉(もみちば)の 過ぎてい行くと (たま)(づさ)の 使(つかひ)の言へば (あづさゆみ)弓 音に聞きて 言はむすべ ()むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重(ちへ)(ひとへ)重も 慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し (かる)(いち)に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず (たま)(ほこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ (いも)が名呼びて 袖ぞ振り( )    

短歌二首
208 秋山の 黄葉(もみち)(しげ)み (まと)ひぬる (いも)を求めむ (やま)()知らずも
209 黄葉(もみちば)の 散りゆくなへに 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)を見れば 逢ひし日思ほゆ

210 うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 我がふたり見し (はしり)()の (つつみ)に立てる (つき)の木の こちごちの()の 春の葉の (しげ)きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を (そむ)きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野(あらの)に (しろ)(たへ)の (あま)領巾(ひれ)(がく)り 鳥じもの (あさ)()ちいまして 入日(いりひ)なす (かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が (かた)()に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物しなければ (をとこ)じもの (わき)ばさみ持ち 我妹子と ふたり我が()し (まくら)()く (つま)()のうちに (ひる)はも うらさび暮らし (よる)はも 息づき明かし 嘆けども ()むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の ()がひの山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば (いは)()さくみて なづみ()し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思( )

短歌二首
211 去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は 照らせども (あい)()(いも)は いや(とし)(さか)
212 (ふすま)ぢを (ひき)()の山に 妹を置きて 山道(やまぢ)を行けば 生けりともなし   故地

或本の歌に曰はく
213 うつそみと 思ひし時に たづさはり 我がふたり見し (いで)(たち)の (もも)()(つき)の木 こちごちに (えだ)させるごと 春の葉の (しげ)きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 妹にはあれど 世間(よのなか)を (そむ)きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野(あらの)に (しろ)(たへ)の (あま)領巾(ひれ)(がく)り 鳥じもの (あさ)()ちい()きて 入日(いりひ)なす (かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が (かた)()に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り(まか)する 物しなければ (をとこ)じもの (わき)ばさみ持ち 我妹子と 二人我が()し (まくら)()く (つま)()のうちに (ひる)は うらさび暮らし (よる)は 息づき明かし 嘆けども ()むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の ()がひの山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば (いは)()さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつそみと 思ひし妹が 灰にていませ

()短歌三首
214 去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は 渡れども (あひ)()(いも)は いや(とし)(さか)
215 (ふすま)ぢを 引手(ひきで)の山に 妹を置きて 山道(やまぢ)思ふに 生けるともなし
216 (いへ)に来て 我が()を見れば (たま)(どこ)の (ほか)に向きけり (いも)()(まくら

)吉備津采女(きびつのうねめ)が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 (あは)せて短歌
217 秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ()れか (たく)(なは)の 長き(いのち)を 露こそば (あした)に置きて (ゆうへ)は ()ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝は ()すといへ 梓弓(あづさゆみ) 音聞く我れも おほに見し こと(くや)しきを (しき)(たへ)の ()(まくら)まきて 剣大刀 身に()()けむ 若草の その(つま)の子は (さぶ)しみか 思ひて()らむ (くや)しみか 思ひ恋ふらむ 時にあらず 過ぎにし子らが (あさ)(つゆ)のごと (ゆう)(ぎり)のごと

短歌二首
218 楽浪(ささなみ)の 志賀(しが)()の子らが (まか)()の 川瀬(かはせ)の道を 見れば(さぶ)しも
219 そら(かぞ)ふ 大津(おほつ)の子らが 逢ひし日に おほに見しくは 今ぞ(くや)しき

讃岐(さぬき)狭岑(さみね)の島にして、石中(せきちゅう)の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 并せて短歌   故地
220 (たま)()よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ (かむ)からか ここだ(たふと)き 天地(あめつち) ()(つき)とともに ()り行かむ (かみ)()(おも)と 継ぎ(きた)る ()()の港ゆ 船()けて 我が()()れば 時つ風 (くも)()に吹くに (おき)見れば とゐ波立ち ()見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を(かしこ)み 行く船の (かぢ)引き()りて をちこちの 島は(おほ)けど 名ぐはし ()(みね)の島の (あり)()()に (いほ)りて見れば 波の音の (しげ)浜辺(はまへ)を (しき)(たへ)の 枕になして (あら)(とこ)に ころ()す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば ()も問はましを 玉桙(たまほこ)の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは

反歌二首
221 妻もあらば 摘みて()げまし ()()の山 ()()うはぎ 過ぎにけらずや   
222 沖つ波 ()()する(あり)()を (しき)(たへ)の 枕とまきて ()せる君かも

柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自ら(いた)みて作る歌一首
223 鴨山(かもやま)の 岩根(いはね)しまける 我れをかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ    故地 故地

柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子(よさみのをとめ)が作る歌二首   故地
224 今日(けふ)今日(けふ)と 我が待つ君は 石川(いしかは)の (かひ)(まじ)りて ありといはずやも   故地
225 (ただ)に逢はば 逢ひかつましじ 石川(いしかは)に (くも)立ち渡れ 見つつ(しの)はむ

丹比真人(たぢひのまひと) 名は欠けたり 柿本朝臣人麻呂が(こころ)(なずら)へて(こた)ふる歌一首
226 荒波に 寄り()る玉を 枕に置き 我れここにありと 誰れか()げけむ

或本の歌に曰はく
227 (ざか)る (ひな)荒野(あらの)に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし
 

右の一首の歌は、作者いまだ(つばひ)らかにあらず。ただし、古本この歌をもちてこの(つぎて)()す。

()()(みや)

和銅四年歳次(さいし)辛亥(かのとゐ)に、河辺宮人(かはへのみやひと)姫島(ひめしま)の松原にして娘子(をとめ)(しかばね)を見て悲嘆(かな)しびて作る歌二首

228 (いも)が名は 千代(ちよ)に流れむ (ひめ)(しま)の 小松(こまつ)がうれに (こけ)()すまでに
229 難波(なには)(がた) (しお)()なありそね 沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも

霊亀元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月に、志貴親王(しきのみこ)(こう)ぜし時に作る歌一首 并せて短歌  故地
230 梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢()(ばさ)み 立ち(むか)ふ 高円(たかまと)(やま)に (はる)()()く ()()と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉桙の 道来る人の 泣く(なみた) こさめに降れば (しろ)(たへ)の (ころも)ひづちて 立ち()まり 我れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば ()のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き 天皇(すめろき)の 神の御子(みこ)の いでましの ()()の光ぞ ここだ照りたる

短歌二首
231 (たか)(まと)の 野辺(のへ)(あき)(はぎ) いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに   
232 御笠山(みかさやま) 野辺行く道は こきだくも (しげ)く荒れたるか (ひさ)にあらなくに
右の歌は、笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が歌集に出づ。

或本の歌に曰はく
233 (たか)(まと)の 野辺(のへ)(あき)(はぎ) な散りそね 君が形見に 見つつ(しぬ)はむ
234 
御笠山 野辺(のへ)ゆ行く道 こきだくも 荒れにけるかも (ひさ)にあらなくに

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