挽歌
上宮聖徳皇子、竹原の井に出遊す時に、龍田山の死人を見て悲傷しびて作らす歌一首 小墾田の宮に天の下知らしめす天皇の代。小墾田の宮に天の下知らしめすは豊御食炊屋姫天皇なり。諱は額田、諡は推古 415 家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ 大津皇子、被死らしめらゆる時、磐余の池の堤にして涙を流して作りましし御歌一首 ☆故地 416 百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ 右、藤原の宮の朱鳥の元年の冬の十月。 河内王を豊前の国の鏡の山に葬る時に、手持女王が作る歌三首 ☆故地 417 大君の 和魂あへや 豊国の 鏡の山を 宮と定むる 418 豊国の 鏡の山の 岩戸立て 隠りにけらし 待てど来まさず 419 岩戸破る 手力もがも 手弱き 女にしあれば すべの知らなく 石田王が卒りし時に、丹生王が作る歌一首 并せて短歌 420 なゆ竹の とをよる御子 さ丹つらふ 我が大君は こもりくの 泊瀬の山に 神さびに 斎きいますと 玉梓の 人ぞ言ひつる およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地に 悔しきことの 世間の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて 夕占問ひ 石占もちて 我がやどに みもろを立てて 枕辺に 斎瓮を据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 木綿たすき かひなに懸けて 天なる ささらの小野の 七ふ菅 手に取り持ちて ひさかたの 天の川原に 出で立ちて みそぎてましを 高山の 巌の上に いませつるかも 反歌 421 およづれの たはこととかも 高山の 巌の上に 君が臥やせる 422 石上 布留の山なる 杉群の 思ひ過ぐべき 君にあらなくに 同じく石田王が卒りし時に、山前王が哀傷しびて作る歌一首 423 つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き かづらにせむと 九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く 万代に 絶えじと思ひて 通ひけむ 君をば明日ゆ 外にかも見む 右の一首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ。 或本の反歌二首 ☆故地 424 こもりくの 泊瀬娘子が 手に巻ける 玉は乱れて ありといはずやも 425 川風の 寒き泊瀬を 嘆きつつ 君があるくに 似る人も逢へや 右の二首は、或いは「紀皇女の薨ぜし後に、山前王、石田王に代りて作る」といふ。 柿本朝臣人麻呂、香具山の屍を見て、悲慟しびて作る歌一首 426 草枕 旅の宿りに 誰が夫か 国忘れたる 家待たまくに 田口広麻呂が死にし時に、刑部垂麻呂が作る歌一首 427 百足らず 八十隈坂に 手向けせば 過ぎにし人に けだし逢はむかも 土形娘子を泊瀬の山に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 428 こもりくの 泊瀬の山の 山の際に いさよふ雲は 妹にかもあらむ 溺れ死にし出雲娘子を吉野に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌二首 429 山の際ゆ 出雲の子らは 霧なれや 吉野の山の 嶺にたなびく 430 八雲さす 出雲の子らが 黒髪は 吉野の川の 沖になづさふ 葛飾の真間娘子が墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 并せて短歌 東の俗語には「かづしかのままのてご」といふ。 ☆故地 431 いにしへに ありけむ人の 倭文機の 帯解き変へて 伏屋立て 妻どひしけむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥城を こことは聞けど 真木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも我れは 忘れゆましじ 反歌 432 我れも見つ 人にも告げむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥城ところ 433 勝鹿の 真間の入江に うち靡く 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ 和銅四年辛亥に、河辺宮人、姫島の松原の美人の屍を見て、哀慟しびて作る歌四首 434 風早の 美保の浦みの 白つつじ 見れども寂し なき人思へば ☆花 435 みつみつし 久米の若子が い触れけむ 磯の草根の 枯れまく惜しも 436 人言の 繁きこのころ 玉ならば 手に巻き持ちて 恋ひずあらましを 437 妹も我れも 清の川の 川岸の 妹が悔ゆべき 心は持たじ 右は、案ふるに、年紀并せて所処また娘子の屍の歌を作る人の名と、すでに上に見えたり。ただし、歌辞相違ひ、是非別きかたし。よりてこの次に累ね載す。 神亀五年戊辰に、大宰帥大伴卿、故人を思ひ恋ふる歌三首 438 愛しき 人のまきてし 敷栲の 我が手枕を まく人あらめや 右の一首は、別れ去にて数旬を経て作る歌。 439 帰るべく 時はなりけり 都にて 誰が手本をか 我が枕かむ 440 都にある 荒れたる家に ひとり寝ば 旅にまさりて 苦しかるべし 右の二首は、京に向ふ時に臨近づきて作る歌。 神亀六年己巳に、左大臣長屋王、死を賜はりし後に、倉橋部女王が作る歌一首 441 大君の 命畏み 大殯の 時にはあらねど 雲隠ります 膳部王を悲傷しぶる歌一首 442 世間は 空しきものと あらむとぞ この照る月は 満ち欠けしける 右の一首は、作者いまだ詳らかにあらず。
天平元年己巳に、摂津の国の班田の史生丈部龍麻呂自ら経きて死にし時に、判官大伴宿禰三中が作る歌一首 并せて短歌 443 天雲の 向伏す国の ますらをと 言はるる人は 天皇の 神の御門に 外の重に 立ち侍ひ 内の重に 仕へ奉りて 玉葛 いや遠長く 祖の名も 継ぎ行くものと 母父に 妻に子どもに 語らひて 立ちにし日より たらちねの 母の命は 斎瓮を 前に据ゑ置きて 片手には 木綿取り持ち 片手には 和栲奉り 平けく ま幸くませと 天地の 神を祈ひ?み いかにあらむ 年月日にか つつじ花 にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと 立ちて居て 待ちけむ人は 大君の 命畏み おしてる 難波の国に あらたまの 年経るまでに 白栲の 衣も干さず 朝夕に ありつる君は いかさまに 思ひいませか うつせみの 惜しきこの世を 露霜の 置きて去にけむ 時にあらずして 反歌 444 昨日こそ 君はありしか 思はぬに 浜松の上に 雲にたなびく 445 いつしかと 待つらむ妹に 玉梓の 言だに告げず 去にし君かも 天平二年庚午の冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京に向ひて道に上る時に作る歌五首 446 我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき ☆故地 ☆花 447 鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘れえめやも 448 磯の上に 根延ふむろの木 見し人を いづらと問はば 語り告げむか 右の三首は、鞆の浦を過ぐる日に作る歌。 449 妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに ひとりし見れば 涙ぐましも ☆故地 450 行くさには ふたり我が見し この崎を ひとり過ぐれば 心悲しも 右の二首は、敏馬の崎を過ぐる日に作る歌。 故郷の家に還り入りて、すなはち作る歌三首 451 人もなき 空しき家は 草枕 旅にまさりて 苦しかりけり 452 妹として ふたり作りし 我が山斎は 木高く茂く なりにけるかも 453 我妹子が 植ゑし梅の木 見るごとに 心むせつつ 涙し流る ☆花 天平三年辛未の秋の七月に、大納言大伴卿の薨ぜし時の歌六首 454 はしきやし 栄えし君の いましせば 昨日も今日も 我を召さましを 455 かくのみに あるけるものを 萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも ☆花 456 君に恋ひ いたもすべなみ 葦鶴の 哭のみし泣かゆ 朝夕にして ☆花 457 遠長く 仕へむものと 思へりし 君いまさねば 心どもなし 458 みどり子の 匍ひた廻り 朝夕に 哭のみぞ我が泣く 君なしにして 右の五首は、資人余明軍、犬馬の慕に勝へずして、心の中に感緒ひて作る歌。 459 見れど飽かず いましし君が 黄葉の うつりい行けば 悲しくもあるか 右の一首は、内礼正県犬養宿禰人上に勅して卿の病を検護しむ。しかれども医薬験なく、逝く水留まらず。これによりて悲慟しびて、すなはちこの歌を作る。
七年乙亥に、大伴坂上郎女、尼理願の死去を悲嘆しびて作る歌一首 并せて短歌 460 栲づのの 新羅の国ゆ 人言を よしと聞かして 問ひ放くる 親族兄弟 なき国に 渡り来まして 大君の 敷きます国に うちひさす 都しみみに 里家は さはにあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山辺に 泣く子なす 慕ひ来まして 敷栲の 家をも造り あらたまの 年の緒長く 住まひつつ いまししものを 生ける者 死ぬろいふことに 免れぬ ものにしあれば 頼めりし 人のことごと 草枕 旅なる間に 佐保川を 朝川渡り 春日野を そがひに見つつ あしひきの 山辺をさして 夕闇と 隠りましぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに た廻り ただひとりして 白栲の 衣袖干さず 嘆きつつ 我が泣く涙 有馬山 雲居たなびき 雨に降りきや 反歌 461 留めえぬ 命にしあれば 敷栲の 家ゆは出でて 雲隠りにき
右、新羅の国の尼、名は理願といふ。遠く王徳に感じて、聖朝の気化り。時に大納言大将軍大伴卿の家に寄住して、すでに数紀を経たり。ここに、天平の七年乙亥をもちて、たちまちに運病に沈み、すでに泉界に趣く。ここに、大刀自石川命婦、餌薬の事によりて有馬の温泉に行きて、この喪に会はず。ただ郎女ひとり留まりて、屍柩を葬り送ることすでに訖りぬ。よりてこの歌を作りて、温泉に贈り入る。
十一年己卯の夏の六月に、大伴宿禰家持、亡妾を悲傷しびて作る歌一首 462 今よりは 秋風寒く 吹きなむを いかにかひとり 長き夜を寝む 弟大伴宿禰書持、即ち和ふる歌一首 463 長き夜を ひとりや寝むと 君が言へば 過ぎにし人の 思ほゆらくに また家持、砌の上の瞿麦の花を見て作る歌一首 464 秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし やどのなでしこ 咲きにけるかも ☆花 朔に移りて後に、秋風を悲嘆しびて家持が作る歌一首 465 うつせみの 世は常なしと 知るものを 秋風寒み 偲ひつるかもまた、 家持が作る歌一首 并せて短歌 466 我がやどに 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹がありせば 水鴨なす ふたり並び居 手折りても 見せましものを うつせみの 借える身にあれば 露霜の 消ぬるがごとく あしひきの 山道をさして 入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひもえず 名づけも知らず 跡もなき 世間にあれば 為むすべもなし 反歌 467 時はしも いつもあらむと 心痛く い行く我妹か みどり子を置きて 468 出でて行く 道知らませば あらかじめ 妹を留めむ 関も置かましを 469 妹が見し やどに花咲き 時は経ぬ 我が泣く涙 いまだ干なくに 悲緒いまだ息まず、さらに作る歌五首 470 かくのみに ありけるものを 妹も我れも 千年のごとく 頼みてありけり 471 家離り います我妹を 留めかね 山隠しつれ 心どもなし 472 世間は 常かくのみと かつ知れど 痛き心は 忍びかねつも 473 佐保山に たなびく霞 見るごとに 妹を思ひ出で 泣かぬ日はなし 474 昔こそ 外にも見しか 我妹子が 奥城と思へば はしき佐保山 十六年甲申の春の二月に、安積皇子の薨ぜし時に、内舎人大伴宿禰家持が作る歌六首 ☆故地 475 かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の命 万代に 見したまはまし 大日本 久邇の都は うち靡く 春さりぬれば 山辺には 花咲きをゐり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ こいまろび ひづち泣けども 為むすべもなし反歌 476 我が大君 天知らさむと 思はねば おほにぞ見ける 和束杣山 477 あしひきの 山さへ光り 咲く花の 散りぬるごとき 我が大君かも 右の三首は、二月の三日に作る歌。
478 かけまくも あやに畏し 我が大君 皇子の命 もののふの 八十伴の男を 召し集へ 率ひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起し 夕狩に 鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山 木立の茂に 咲く花も うつろひにけり 世間は かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣大刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蠅なす 騒く舎人は 白栲に 衣取り着て 常なりし 笑ひ振舞ひ いや日異に 変らふ見れば 悲しきろかも 反歌 479 はしきかも 皇子の命の あり通ひ 見しし活道の 道は荒れにけり 480 大伴の 名負ふ靫帯びて 万代に 頼みし心 いづくか寄せむ 右の三首は、三月の二十四日に作る歌。 死にし妻を悲傷しびて、高橋朝臣が作る歌一首 并せて短歌 481 白栲の 袖さし交へて 靡き寝し 我が黒髪の ま白髪に なりなむ極み 新世に ともにあらむと 玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂げず 白栲の 手本を別れ にきびにし 家ゆも出でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧の おほになりつつ 山背の 相楽山の 山の際に 行き過ぎぬれば 言はむすべ 為むすべ知らに 我妹子と さ寝し妻屋に 朝には 出で立ち偲ひ 夕には 入り居嘆かひ 脇ばさむ 子の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ 朝鳥に 哭のみ泣きつつ 恋ふれども 験をなみと 言とはぬ ものにはあれど 我妹子が 入りにし山を よすかとぞ思ふ 反歌 482 うつせみの 世のことにあれば 外に見し 山をや今は よすかと思はむ 483 朝鳥の 哭のみし泣かむ 我妹子に 今またさらに 逢ふよしをなみ 右の三首は、七月の二十日に、高橋朝臣が作る歌なり。名字いまだ審らかにあらず。ただし奉膳の男子といふ。 |