巻四 543〜618

神亀(じんき)元年甲子(きのえね)の冬の十月に、紀伊()の国に(いでま)す時に、従駕(おほみとも)の人に贈らむために娘子(をとめ)(あとら)へらえて作る歌一首并せて短歌  笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)
543 (おほ)(きみ)の 行幸(みゆき)のまにま もののふの 八十(やそ)(とも)()と ()で行きし (うるは)(づま)は (あま)飛ぶや (かる)(みち)より 玉たすき 畝傍(うねび)を見つつ あさもよし 紀伊()()に入り立ち ()(つち)(やま) 越ゆらむ君は 黄葉(もみち)の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあるらむと あそそには かつは知れども しかすがに (もだ)もえあらねば 我が()()が 行きのまにまに 追はむとは ()たび思へど たわや()の 我が身にしあれば (みち)(もり)の 問はむ答を 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづ( )    故地

反歌
544 (おく)れ居て 恋ひつつあらずは 紀伊()の国の (いも)()の山に あらましものを
545 我が()()が (あと)踏み求め 追ひ行かば 紀伊()(せき)(もり)い (とど)めてむかも

二年(きのと)(うし)の春の三月に、()()の原の離宮(とつみや)(いでま)す時に、娘子(をとめ)を得て作る歌一首 (あは)せて短歌  笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)
546 三香の原 旅の宿りに (たま)(ほこ)の 道の行き逢ひに (あま)(くも)の (よそ)のみ見つつ (こと)とはむ よしのなければ 心のみ ()せつつあるに 天地(あめつち)の 神(こと)()せて (しき)(たへ)の (ころもで)()へて (おの)(づま)と 頼める今夜(こよひ) 秋の夜は (もも)()の長さ ありこせぬか( )

反歌
547 (あま)(くも)の (よそ)に見しより 我妹子(わぎもこ)に 心も身さへ 寄りにしものを
548 今夜(こよひ)の 早く明けなば すべをなみ 秋の(もも)()を 願ひつるかも

五年戊辰(つちのえたつ)に、大宰少弐(だざいのせうに)石川足人朝臣(いしかはのたるひとあそみ)が遷任するに、筑前(つくしのみちのくち)の国蘆城(あしき)駅家(うまや)(せん)する歌三首
549 (あめ)(つち)の 神も助けよ 草枕 旅行く君が 家にいたるまで
550 (おほ)(ぶね)の 思ひ頼みし 君がいなば 我れは恋ひむな (ただ)に逢ふまでに
551 大和(やまと)()の 島の浦みに 寄する波 (あひだ)もなけむ 我が恋ひまくは
右の三首は、作者いまだ(つばひ)らかにあらず。

大伴宿禰三依(おほとものすくねみより)が歌一首
552 我が君は わけをば死ねと 思へかも 逢ふ夜逢はぬ夜 (ふた)(はし)るらむ

丹生女王(にふのおほきみ)大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)に贈る歌二首
553 天雲の そくへの(きは)み 遠けども 心し行けば 恋ふるものかも
554 (ふる)(ひと)の たまへしめたる 吉備(きび)の酒 病めばすべなし (ぬき)()(たば)らむ

大宰帥(だざいのそち)大伴卿、大弐(だいに)丹比県守卿(たぢひのあがたもりのまへつきみ)民部卿(みんぶのきやう)に遷任するに贈る歌一首
555 君がため ()みし(まち)(ざけ) (やす)の野に ひとりや飲まむ 友なしにして   故地

賀茂女王(かものおほきみ)大伴宿禰三依(おほとものすくねみより)に贈る歌一首 故左大臣長屋王(ながやのおほきみ)(むすめ)なり
556 筑紫(つくし)(ふね) いまだも()ねば あらかじめ (あら)ぶる君を 見るが悲しさ

土師宿禰水道(はにしのすくねみみち)、筑紫より京に(のぼ)(うみ)()にして作る歌二首
557 大船を 漕ぎの進みに 岩に触れ (かへ)らば覆れ (いも)によりては
558 ちはやぶる 神の(やしろ)に 我が()けし (ぬさ)(たば)らむ (いも)に逢はなくに

大宰大監(だざいのだいげん)大伴宿禰百代(おほとものすくねももよ)が恋の歌四首
559 事もなく 生き()しものを 老いなみに かかる恋にも 我れは逢へるかも
560 恋ひ死なむ (のち)は何せむ 生ける日の ためこそ(いも)を 見まく()りすれ
561 思はぬを 思ふと言はば 大野なる ()(かさ)(もり)の 神し知らさむ   故地
562 (いとま)なく 人の(まよ)()を いたづらに ()かしめつつも 逢はぬ(いも)かも

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌二首
563 黒髪に (しろ)(かみ)交り 老ゆるまで かかる恋には いまだ逢はなくに
564 (やま)(すげ)の 実ならぬことを 我れに寄せ 言はれし君は ()れとか()らむ   

賀茂女王(かものおほきみ)が歌一首
565 大伴(おほとも)の 見つとは言はじ あかねさし 照れる月夜(つくよ)に (ただ)に逢へりとも   

大宰大監(だざいのだいげん)大伴宿禰百代(おほとものすくねももよ)ら、駅使(はゆまづかひ)に贈る歌二首
566 草枕 旅行く君を (うるは)しみ たぐひてぞ()し 志賀(しか)浜辺(はまへ)

右の一首は大監大伴宿禰百代。
567 周防(すは)にある 岩国(いはくに)(やま)を 越えむ日は ()()けよくせよ 荒しその道

右の一首は少典(せうてん)山口忌寸若麻呂(やまぐちのいみきわかまろ)

以前(さき)に天平の二年庚午(かのえうま)の夏の六月に、(そち)大伴卿たちまちに(かさ)を脚に()し、(ちん)(せき)()苦しぶ。これによりて(はゆま)を馳せて上奏し、庶弟(しょてい)稲公(いなきみ)(てつ)胡麻呂(ごまろ)に遺言を語らまく欲りすと望み請ふ。右兵庫助(みぎのひやうごのすけ)大伴宿禰稲公、治部少丞(ぢぶのせうじょう)大伴宿禰胡麻呂の両人(ふたり)(みことのり)して、(はゆま)を賜ひて発遣(つかは)し、卿の病を(とりみ)しめたまふ。しかるに、数旬を経て幸く平復すること得たり。時に、稲公ら、病のすでに()えたるをもちて、府を発ちて京に上る。ここに大監大伴宿禰百代、少典山口忌寸若麻呂、また卿の()家持ら、駅使を相送りてともに夷守(ひなもり)駅家(うまや)に到り、いささかに飲みて別れを悲しび、すなはちこの歌を作( )   故地

大宰帥(だざいのそち)大伴卿、大納言に()けらえて京に入る時に臨み、府の官人ら、卿を筑前(つくしのみちのくち)の国蘆城(あしき)駅家(うまや)(せん)する歌四首 故地
568 み崎みの 荒磯(ありそ)に寄する 五百重(いほへ)(なみ) 立ちても居ても 我が思へる君
右の一首は筑前掾(ちくぜんのじよう)門部連石足(かどべのむらじいそたり)
569 (から)(ひと)の (ころも)()むといふ (むらさき)の 心に()みて 思ほゆるかも
570 大和へ 君が()つ日の 近づけば 野に立つ鹿も (とよ)めてぞ鳴く
右の二首は大典(だいてん)麻田連陽春(あさだのむらじやす)
571 月夜(つくよ)よし 川の(おと)清し いざここに 行くも行かぬも 遊びて行かむ
右の一首は防人佑(さきもりのすけ)大伴四綱(おほとものよつな)

大宰帥大伴卿が京に上りし後に、沙弥満誓(さみまんぜい)、大伴卿に贈る歌二首
572 まそ鏡 見飽かぬ君に (おく)れてや 朝夕(あしたゆふへ)に さびつつ()らむ
573 ぬばたまの 黒髪変り 白けても (いた)き恋には ()ふ時ありけり

大納言大伴卿が(こた)ふる歌二首
574 ここにありて 筑紫(つくし)やいづち 白雲の たなびく山の (かた)にしあるらし
575 (くさ)()()の 入江にあさる (あし)(たづ)の あなたづたづし 友なしにして   

大宰帥(だざいのそち)大伴卿が京に上りし後に、筑後守葛井連大成(ふぢゐのむらじおほなり)悲嘆(かな)しびて作る歌一首
576 今よりは ()山道(やまみち)は (さぶ)しけむ 我が(かよ)はむと 思ひしものを   故地

大納言大伴卿、(しん)(はう)摂津大夫(せっつのかみ)高安王(たかやすのおほきみ)に贈る歌一首
577 我が(ころも) 人にな着せそ ()(びき)する 難波(なには)壮士(をとこ)の 手には触るとも

大伴宿禰三依(おほとものすくねみより)が別れを悲しぶる歌一首
578 天地(あめつち)と ともに久しく 住まはむと 思ひてあるし 家の庭はも

余明軍(よのみやうぐん)、大伴宿禰家持に与ふる歌二首 明軍は大納言卿が資人(しじん)なり
579 見まつりて いまだ時だに 変らねば 年月(としつき)のごと 思ほゆる君
580 あしひきの 山に()ひたる (すが)の根の ねもころ見まく 欲しき君かも

大伴坂上家(さかのうへのいへ)大嬢(おほいらつめ)、大伴宿禰家持に(こた)へ贈る歌四首
581 生きてあらば 見まくも知らず (なに)しかも 死なむよ(いも)と (いめ)に見えつる
582 ますらをも かく()ひけるを たわめやの 恋ふる心に たぐひあらめやも
583 (つき)(くさ)の うつろひやすく 思へかも 我が()ふ人の (こと)も告げ()   
584 春日(かすが)(やま) 朝立つ雲の 居ぬ日なく 見まくの欲しき 君にもあるかも

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)が歌一首
585 出でていなむ 時しはあらむを ことさらに (つま)(ごひ)しつつ ()ちていぬべしや

大伴(おほともの)宿禰(すくね)稲公(いなきみ)田村大嬢(たむらのおほいらつめ)に贈る歌一首  大伴宿奈麻呂(おほとものすくなまろ)卿が(むすめ)なり
586 相見ずは 恋ひずあらましを (いも)を見て もとなかくのみ 恋ひばいかにせむ
右の一首は、姉坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が作なり。

笠女郎(かさのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌二十四首
587 我が形見(かたみ) 見つつ(しの)はせ あらたまの 年の()長く 我れも思はむ
588 白鳥(しらとり)の ()()(やま)(まつ)の 待ちつつぞ 我が恋ひわたる この月ごろを
589 衣手(こともで)を (うち)()の里に ある我れを 知らにぞ人は 待てど()ずける
590 あらたまの 年の()ぬれば 今しはと ゆめよ我が()() 我が名()らすな
591 我が思ひを 人に知るれか (たま)(くし)() (ひら)きあけつと (いめ)にし見ゆる
592 (やみ)()に 鳴くなる(たづ)の (よそ)のみに 聞きつつかあらむ 逢ふとはなしに
593 君に恋ひ いたもすべなみ 奈良山の 小松(こまつ)(した)に 立ち嘆くかも
594 我がやどの (ゆふ)(かげ)(くさ)の 白露の ()ぬがにもとな 思ほゆるかも
595 我が(いのち)の (また)けむ限り 忘れめや いや日に()には 思ひ()すとも
596 八百(やほ)()()く 浜の真砂(まなご)も 我が恋に あにまさらじか 沖つ島守
597 うつせみの 人目(ひとめ)(しげ)み 石橋(いしばし)の ()(ちか)き君に 恋ひわたるかも
598 恋にもぞ 人は死にする 水無瀬(みなせ)川 (した)ゆ我れ()す 月に日に()
599 朝霧の おほに(あひ)()し 人(ゆゑ)に (いのち)死ぬべく 恋ひわたるかも
600 伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波 (かしこ)き人に 恋ひわたるかも
601 心ゆも 我は思はずき 山川(やまかは)も (へだ)たらなくに かく恋ひむとは
602 夕されば 物思ひまさる 見し人の (こと)とふ姿 面影にして
603 思ひにし 死にするものに あらませば ()たびぞ我れは 死にかへらまし
604 剣大刀(つるぎたち) 身に取り()ふと (いめ)に見つ (なに)(さが)ぞも 君に逢はむため
605 天地(あめつち)の 神に(ことわり) なくはこそ 我が思ふ君に 逢はず死にせめ
606 我れも思ふ 人もな忘れ 多奈和丹 (うら)吹く風の やむ時なかれ
607 (みな)(ひと)を 寝よとの(かね)は 打つなれど 君をし思へば ()ねかてぬかも
608 (あひ)(おも)はぬ 人を思ふは (おお)(てら)の 餓鬼(がき)(しり)()に (ぬか)つくごとし
609 心ゆも 我は思はずき またさらに 我が故郷(ふるさと)に 帰り()むとは
610 (ちか)くあれば 見ねどもあるを いや(とほ)く 君がいまさば 有りかつましじ
右の二首は、相別れて後に、さらに来贈(おく)

大伴宿禰家持が(こた)ふる歌二首
611 今さらに (いも)に逢はめやと 思へかも ここだ我が胸 いぶせくあるらむ
612 なかなかに (もだ)もあらましを (なに)すとか (あひ)()そめけむ ()げざらまくに

山口女王(やまぐちのおほきみ)、大伴宿禰家持に贈る歌五首
613 物思ふと 人に見えじと なまじひに (つね)に思へり ありぞかねつる
614 相思はぬ 人をやもとな (しろ)(たへ)の 袖()つまでに ()のみしなくも
615 我が背子は 相思はずとも (しき)(たへ)の 君が枕は (いめ)に見えこそ
616 剣大刀(つるぎたち) ()の惜しけくも 我れはなし 君に逢はずて 年の()ぬれば
617 (あし)()より 満ち来る潮の いや増しに 思へか君が 忘れかねつる

大神女郎(おほみわのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌一首
618 さ夜中に 友呼ぶ千鳥(ちどり) 物思ふと わびをる時に 鳴きつつもとな

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