梅花の歌三十二首 并せて序 ☆故地 ☆花
天平二年の正月の十三日に、帥老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫らす。しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く、夕の岫に霧結び、鳥は殼に封ぢらえて林に迷ふ。庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。ここに、天を蓋にし地を坐にし、膝を促け觴を飛ばす。言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放し、快然自ら足る。もし翰苑にあらずは、何をもちてか情を抒べむ。詩に落梅の篇を紀す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅を賦して、いささかに短詠を成すべし。 815 正月立ち 春の来らば かくしこそ 梅を招きつつ 楽しき終へめ 大弐紀z 816 梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 我が家の園に ありこせぬかも 少弐小野大夫 817 梅の花 咲きたる園の 青柳は かづらにすべく なりにけらずや 少弐粟田大夫 ☆花 818 春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ 筑前守山上大夫 819 世の中は 恋繁しゑや かくしあらば 梅の花にも ならましものを 豊後守大伴大夫 820 梅の花 今盛りなり 思ふどち かざしにしてな 今盛りなり 筑後守葛井大夫 821 青柳 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし 笠沙弥 822 我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも 主人 823 梅の花 散らくはいづく しかすがに この城の山に 雪は降りつつ 大監伴氏百代 ☆故地 824 梅の花 散らまく惜しみ 我が園の 竹の林に うぐひす鳴くも 少監阿氏奥島 825 梅の花 咲きたる園の 青柳を かづらにしつつ 遊び暮らさな 少監土氏百村 826 うち靡く 春の柳と 我がやどの 梅の花とを いかにか分かむ 大典史氏大原 827 春されば 木末隠りて うぐひすぞ 鳴きて去ぬなる 梅が下枝に 少典山氏若麻呂 828 人ごとに 折りかざしつつ 遊べども いやめづらしき 梅の花かも 大判事丹氏麻呂 829 梅の花 咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや 薬師張氏福子 ☆花 830 万代に 年は来経とも 梅の花 絶ゆることなく 咲きわたるべし 筑前介佐氏子首 831 春なれば うべも咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜寐も寝なくに 壱岐守板氏安麻呂 832 梅の花 折りてかざせる 諸人は 今日の間は 楽しくあるべし 神司荒氏稲布 833 年のはに 春の来らば かくしこそ 梅をかざして 楽しく飲まめ 大令史野氏宿奈麻呂 834 梅の花 今盛りなり 百鳥の 声の恋しき 春来るらし 少令史田氏肥人 835 春さらば 逢はむと思ひし 梅の花 今日の遊びに 相見つるかも 薬師高氏義通 836 梅の花 手折りかざして 遊べども 飽き足らぬ日は 今日にしありけり 陰陽師磯氏法麻呂 837 春の野に 鳴くやうぐひす なつけむと 我が家の園に 梅が花咲く 算師志氏大道 838 梅の花 散り乱ひたる 岡びには うぐひす鳴くも 春かたまけて 大隈目榎氏鉢麻呂 839 春の野に 霧立ちわたり 降る雪と 人の見るまで 梅の花散る 筑前目田氏真上 840 春柳 かづらに折りし 梅の花 誰れか浮かべし 酒坏の上に 壱岐目村氏彼方 841 うぐひすの 音聞くなへに 梅の花 我家の園に 咲きて散るみゆ 対馬目高氏老 842 我がやどの 梅の下枝に 遊びつつ うぐひす鳴くも 散らまく惜しみ 薩摩目高氏海人 843 梅の花 折りかざしつつ 諸人の 遊ぶを見れば 都しぞ思ふ 土師氏御道 844 妹が家に 雪かも降ると 見るまでに ここだもまがふ 梅の花かも 小野氏国堅 845 うぐひすの 待ちかてにせし 梅が花 散らずありこそ 思ふ子がため 筑前掾門氏石足 846 霞立つ 長き春日を かざせれど いやなつかしき 梅の花かも 小野氏淡理
員外、故郷を思ふ歌両首 847 我が盛り いたくくたちぬ 雲に飛ぶ 薬食むとも またをちめやも 848 雲に飛ぶ 薬食むよは 都見ば いやしき我が身 またをちぬべし 後に梅の歌に追和する四首 849 残りたる 雪に交れる 梅の花 早くな散りそ 雪は消ぬとも 850 雪の色を 奪ひて咲ける 梅の花 今盛りなり 見む人もがも 851 我がやどに 盛りに咲ける 梅の花 散るべくなりぬ 見む人もがも 852 梅の花 夢に語らく みやびたる 花と我れ思ふ 酒に浮かべこそ 松浦川に遊ぶ序 ☆故地
余、たまさかに松浦の県に往きて逍遥し、いささかに玉島の潭に臨みて遊覧するに、たちまちに魚を釣る娘子らに値ひぬ。花容双びなく、光儀匹ひなし。柳葉を眉の中に開き、桃花を頬の上に発く。意気は雲を凌ぎ、風流は世に絶れたり。僕、問ひて「誰が郷誰が家の子らぞ、けだし神仙にあらむか」といふ。娘子ら、みな咲み答へて「児等は漁夫の舎の児、草庵の微しき者なり。郷もなく家もなし。何ぞ称り云ふに足らむ。ただ性水に便ひ、また心山を楽しぶ。あるいは洛浦に臨みて、いたづらに玉魚を羨しぶ、あるいは巫峡に臥して、空しく煙霞を望む。今たまさかに貴客に相遇ひ、感応に勝へず、すなはち欸曲を陳ぶ。今より後に、あに偕老にあらざるべけむ」といふ。下官、対へて「唯々、敬みて芳命を奉はらむ」といふ。時に、日は山の西に落ち、驪馬去なむとす。つひに懐抱を申べ、よりて詠歌を贈りて曰はく、
853 あさりする 海人の子どもと 人は言へど 見るに知らえぬ 貴人の子と 答ふる詩に曰はく、 854 玉島の この川上に 家はあれど 君を恥しみ あらはさずありき 蓬客のさらに贈る歌三首 855 松浦川 川の瀬光り 鮎釣ると 立たせる妹が 裳の裾濡れぬ 856 松浦なる 玉島川に 鮎釣ると 立たせる子らが 家道知らずも 857 遠つ人 松浦の川に 若鮎釣る 妹が手本を 我れこそまかめ 娘子らがさらに報ふる歌三首 858 若鮎釣る 松浦の川の 川なみの 並にし思はば 我れ恋ひめやも 859 春されば 我家の里の 川門には 鮎子さ走る 君待ちがてに 860 松浦川 七瀬の淀は 淀むとも 我れは淀まず 君をし待たむ 後人の追和する詩三首 師老 861 松浦川 川の瀬早み 紅の 裳の裾濡れて 鮎か釣るらむ 862 人皆の 見らむ松浦の 玉島を 見ずてや我れは 恋ひつつ居らむ 863 松浦川 玉島の浦に 若鮎釣る 妹らを見らむ 人の羨しさ 宜、啓す。 伏して四月の六日の賜書を奉はる。跪きて封函を開き、拝みて芳藻を読む。心神の開朗にあること、泰初が月を懐くがごとし、鄙懐の除?せらゆること、楽広が天を披くがごとし。辺城に羈旅し、古旧を懐ひて志を傷ましめ、年矢停まらず、平生を憶ひて涙を落すがごときに至りては、ただし、達人は排に安みし、君子は悶へなし。伏して冀はくは、朝には懐?の化を宣べ、暮には放亀の術を存め、張・趙を百代に架へ、松・喬を千歳に追ひたまはむことを。兼に垂示を奉はるに、梅苑の芳席に、群英藻を?べ、松浦の玉潭に、仙媛の答を贈りたるは、杏壇各言の作に類ひ、衡皐税駕の篇に疑ふ。耽読吟諷し、戚謝歓怡す。宜が、主に恋ふる誠、誠犬馬に逾え、徳を仰ぐ心、心葵?に同じ。しかれども、碧海地を分ち、白雲天を隔つ。いたづらに傾延を積み、いかにしてか労緒を慰めむ。孟秋節に膺る。伏して願はくは、万祐日に新たにあらむことを。今し相撲部領使に因せ、謹みて片紙を付く。 宜 謹啓 不次
諸人の梅花の歌に和へ奉る一首 864 後れ居て 長恋せずは 御園生の 梅の花にも ならましものを 松浦の仙媛の歌に和ふる一首 865 君を待つ 松浦の浦の 娘子らは 常世の国の 海人娘子かも 君を思ふこと尽きずして、重ねて題す二首 866 はろはろに 思ほゆるかも 白雲の 千重に隔てる 筑紫の国は 867 君が行き 日長くなりぬ 奈良道なる 山斎の木立も 神さびにけり 天平二年七月十日 憶良 誠惶頓首 謹みて啓す。 憶良、聞くに、「方岳諸候・都督刺史、ともに典法によりて部下を巡行し、その風俗を察る」と。意内多端にして、口外に出だすこと難し。謹みて三首の鄙歌をもちて、五蔵の鬱結を写かむと欲ふ。その歌に曰はく、 868 松浦県 佐用姫の子が 領巾振りし 山の名のみや 聞きつつ居らむ 869 足姫 神の命の 魚釣らすと み立たしせりし 石を誰れ見き 870 百日しも 行かぬ松浦道 今日行きて 明日は来なむを 何か障れる 天平二年七月十一日 筑前国司山上憶良 謹上 大伴佐提比古郎子、ひとり朝命を被り、使を藩国に奉はる。艤棹してここに帰き、やくやくに蒼波に赴く。妾松浦佐用姫、かく別れの易きことを嗟き、かく会ひの難きことを歎く。すなはち高き山の嶺に登り、離り去く船を遥望し、悵然肝を断ち、黯然魂を銷つ。つひに領巾を脱ぎて麾る。傍の者涕を流さずといふことなし。よりてこの山を号けて、領巾麾の嶺といふ。すなはち、歌を作りて曰はく、 ☆故地 871 遠つ人 松浦佐用姫 夫恋ひに 領巾振りしより 負へる山の名 後人の追和 872 山の名と 言ひ継げとかも 佐用姫が この山の上に 領巾を振りけむ 最後人の追和 873 万代に 語り継げとし この岳に 領巾振りけらし 松浦佐用姫 最最後人の追和二首 874 海原の 沖行く船を 帰れとか 領巾振らしけむ 松浦佐用姫 875 行く船を 振り留みかね いかばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫 書殿にして餞酒する日の倭歌四首 876 天飛ぶや 鳥にもがもや 都まで 送りまをして 飛び帰るもの 877 ひともねの うらぶれ居るに 龍田山 御馬近づかば 忘らしなむか 878 言ひつつも 後こそ知らめ とのしくも 寂しけめやも 君いまさずして 879 万代に いましたまひて 天の下 奏したまはね 朝廷去らずて 敢へて私懐を布ぶる歌三首 880 天離る 鄙に五年 住まひつつ 都のてぶり 忘らえにけり 881 かくのみや 息づき居らむ あらたまの 来経行く年の 限り知らずて 882 我が主の 御霊賜ひて 春さらば 奈良の都に 召上げたまはね 天平二年十二月六日 筑前国司山上憶良 謹上 三島王、後に松浦佐用姫の歌に追和する一首 883 音に聞き 目にはいまだ見ず 佐用姫が 領巾振りきとふ 君松浦山 |