四年壬申に、藤原宇合卿、西海道の節度使に遣はさゆる時に、高橋連虫麻呂が作る歌一首 并せて短歌 971 白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ 敵まもる 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部を 班ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくに さ渡る極み 国形を 見にしたまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道の 岡辺の道に 丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば ☆花 反歌一首 972 千万の 軍なりとも 言挙げせず 取りて来ぬべき 士とぞ思ふ
右は、補任の文に検すに、「八月の十七日に、東山・山陰・西海の節度使を任ず」と。 天皇、酒を節度使の卿等に賜ふ御歌一首 并せて短歌 973 食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平けく 我れは遊ばむ 手抱きて 我れはいまさむ 天皇我が うづの御手もち かき撫でぞ ねぎたまふ うち撫でぞ ねぎたまふ 帰り来む日 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は 反歌一首 974 ますらをの 行くといふ道ぞ おほろかに 思ひて行くな ますらをの伴
右の御歌は、或いは「太上天皇の御製なり」といふ。 中納言安倍広庭卿が歌一首 975 かくしつつ あらくをよみぞ たまきはる 短き命を 長く欲りする 五年癸酉に、草香山を越ゆる時に、神社忌寸老麻呂が作る歌二首 976 難波潟 潮干のなごり よく見てむ 家にある妹が 待ち問はむため 977 直越の この道にてし おしてるや 難波の海と 名付けけらしも 山上臣憶良、沈痾の時の歌一首 978 士やも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして
右の一首は、山上憶良臣が沈痾の時に、藤原朝臣八束、河辺朝臣東人を使はして疾める状を問はしむ。ここに、憶良臣、報ふる語已畢る。しまらくありて、涕を拭ひ悲嘆しびて、この歌を口吟ふ。 大伴坂上郎女、姪家持の佐保より西の宅に還帰るに与ふる歌一首 979 我が背子が 着る衣薄し 佐保風は いたくな吹きそ 家に至るまで 安倍朝臣虫麻呂が月の歌一首 980 雨隠る 御笠の山を 高みかも 月の出で来ぬ 夜は更けにつつ 大伴坂上郎女が月の歌三首 981 猟高の 高円山を 高みかも 出で来る月の 遅く照るらむ ☆故地 982 ぬばたまの 夜霧の立ちて おほほしく 照れる月夜の 見れば悲しさ 983 山の端の ささら愛壮士 天の原 門渡る光 見らくしよしも 右の一首の歌は、或いは「月の別名をささら愛壮士といふ。この辞によりてこの歌を作る」といふ。 豊前の国の娘子が月の歌一首 娘子、字を大宅といふ。姓氏いまだ詳らかにあらず 984 雲隠り ゆくへをなみと 我が恋ふる 月をや君が 見まく欲りする 湯原王が月の歌二首 985 天にいます 月読壮士 賄はせむ 今夜の長さ 五百夜継ぎこそ 986 はしきやし 間近き里の 君来むと おほのびにかも 月の照りたる 藤原八束朝臣が月の歌一首 987 待ちかてに 我がする月は 妹が着る 御笠の山に 隠りてありけり 市原王、宴にして父安貴王を?く歌一首 988 春草は 後はうつろふ 巌なす 常磐にいませ 貴き我が君 湯原王が打酒の歌一首 989 焼大刀の かど打ち放ち ますらをの 寿く豊御酒に 我れ酔ひにけり 紀朝臣鹿人が跡見の茂岡の松の樹の歌一首 990 茂岡に 神さび立ちて 栄えたる 千代松の木の 年の知らなく 同じき鹿人、泊瀬の川辺に至りて作る歌一首 991 石走り たぎち流るる 泊瀬川 絶ゆることなく またも来て見む ☆故地 大伴坂上郎女、元興寺の里を詠む歌一首 992 故郷の 明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくしよしも ☆故地 同じき坂上郎女が初月の歌一首 993 月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも 大伴宿禰家持が初月の歌一首 994 振り放けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも 大伴坂上郎女、親族を宴する歌一首 995 かくしつつ 遊び飲みこそ 草木すら 春は生ひつつ 秋は散りゆく 六年甲戌に、海犬養宿禰岡麻呂、詔に応ふる歌一首 996 御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に あへらく思へば 春の三月に、難波の宮に幸す時の歌六首 997 住吉の 粉浜のしじみ 開けもみず 隠りてのみや 恋ひわたりなむ 右の一首は、作者いまだ詳らかにあらず。 998 眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 懸けて漕ぐ舟 泊り知らずも ☆故地 右の一首は船王が作。 999 茅渟みより 雨ぞ降り来る 四極の海人 網を干したり 濡れもあへむかも 右の一首は、住吉の浜に遊覧し、宮に還ります時に、道の上にして、守部王、詔に応へて作る歌。 1000 子らしあらば ふたり聞かむと 沖つ洲に 鳴くなる鶴の 暁の声 右の一首は守部王が作。 1001 ますらをは 御狩に立たし 娘子らは 赤裳裾引く 清き浜びを 右の一首は山部宿禰赤人が作。 1002 馬の歩み 抑へ留めよ 住吉の 岸の埴生に にほひて行かむ 右の一首は安倍朝臣豊継が作。
筑後守外従五位下葛井連大成、海人の釣舟を遥かに見て作る歌一首 1003 海人娘子 玉求むらし 沖つ波 畏き海に 舟出せりみゆ 鞍作村主益人が歌一首 1004 思ほえず 来ましし君を 佐保川の かはづ聞かせず 帰しつるかも ☆故地
右は、内匠大属鞍作村主益人、いささかに 飲饌を設けて、長官佐為王に饗す。いまだ日斜つにも及ばねば、王すでに還帰りぬ。その時に、益人、厭かぬ帰りを怜惜しみ、よりてこの歌を作る。
八年丙子の夏の六月に、吉野の離宮に幸す時に、山部宿禰赤人、詔に応へて作る歌一首 并せて短歌 1005 やすみしし 我が大君の 見したまふ 吉野の宮は 山高み 雲ぞたなびく 川早み 瀬の音ぞ清き 神さびて 見れば貴く よろしなへ 見ればさやけし この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ ももしきの 大宮ところ やむ時もあらめ 反歌一首 1006 神代より 吉野の宮に あり通ひ 高知らせるは 山川をよみ 市原王、独り子にあることを悲しぶる歌一首 1007 言とはぬ 木すら妹と兄と ありといふを ただ独り子に あるが苦しさ 忌部首黒麻呂、友の遅く来ることを恨むる歌一首 1008 山の端に いさよふ月の 出でむかと 我が待つ君が 夜は更けにつつ 冬の十一月に、左大弁葛城王等、姓橘の氏を賜はる時の御製歌一首 1009 橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の木 ☆花
右は、冬の十一月の九日に、従三位葛城王・従四位上左為王等、皇族の高き名を辞び、外家の橘の姓を賜はること已訖りぬ。その時に、太上天皇・皇后、ともに皇后の宮に在して、肆宴をなし、すなはち橘を賀く歌を御製らし、并せて御酒を宿禰等に賜ふ。或いは「この歌一首は太上天皇の御歌。ただし、天皇・皇后の御歌おのもおのも一首あり」といふ。その歌遺せ落ちて、いまだ探ね求むること得ず。今案内に検すに、「八年の十一月の九日に、葛城王等、橘宿禰の姓を願ひて表を上る。十七日をもちて、表の乞によりて橘宿禰を賜ふ」と。 橘宿禰奈良麻呂、詔に応ふる歌一首 1010 奥山の 真木の葉しのぎ 降る雪の 降りは増すとも 地に落ちめやも 冬の十二月の十二日に、歌?所の諸王・臣子等、葛井連広成が家に集ひて宴する歌二首
此来、古盛りに興り、古歳漸に晩れぬ。理に、ともに古情を尽し、同じく古歌を唱ふべし。故に、この趣に擬へて、すなはち古曲二節を献る。風流意気の士、たまさかにこの集ひの中にあらば、争ひて念を発し、心々に古体に和せよ。 1011 我がやどの 梅咲きたりと 告げ遣らば 来と言ふに似たり 散りぬともよし ☆花 1012 春されば ををりにををり うぐひすの 鳴く我が山斎ぞ やまず通はせ 九年丁丑の春の正月に、橘少卿、并せて諸大夫等、弾正尹門部王が家に集ひて宴する歌二首 1013 あらかじめ 君来まさむと 知らませば 門にやどにも 玉敷かましを 右の一首は主人門部王 後に姓大原真人の氏を賜はる 1014 一昨日も 昨日も今日も 見つれども 明日さへ見まく 欲しき君かも 右の一首は橘宿禰文成 すなはち少卿が子なり榎井王、後に追和する歌一首 志貴親王の子なり 1015 玉敷きて 待たましよりは たけそかに 来る今夜し 楽しく思ほゆ 春の二月に、諸大夫等、左少弁巨勢宿奈麻呂朝臣が家に集ひて宴する歌一首 1016 海原の 遠き渡りを 風流士の 遊ぶを見むと なづさひぞ来し
右の一首は、白き紙に書きて屋の壁に懸著く。題には「蓬莱の仙媛の化れる嚢縵は、風流秀才の士の為なり。これ凡客の望み見るところならじか」といふ。 |