巻六 971〜1016

四年壬申(みづのえさる)に、藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)西海道(さいかいだう)節度(せつど)使()(つか)はさゆる時に、高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)が作る歌一首 (あは)せて短歌
971 白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百(いほへ)(やま) い行きさくみ (あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと (とも)()を (あか)(つか)はし (やま)(びこ)の (こた)へむ(きは)み たにぐくに さ渡る(きは)み 国形を 見にしたまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田(たつた)()の 岡辺(をかへ)の道に ()つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に (やま)たづの 迎へ()()む 君が来まさば 

反歌一首
972 千万(ちよろづ)の (いくさ)なりとも (こと)()げせず 取りて()ぬべき (をのこ)とぞ思ふ

右は、補任(ぶにん)(ふみ)(ただ)すに、「八月の十七日に、東山・山陰・西海の節度使(せつどし)を任ず」と。

天皇(すめらみこと)、酒を節度(せつど)使()(まへつきみ)(たち)(たま)ふ御歌一首 (あは)せて短歌
973 ()す国の (とほ)朝廷(みかど)に (いまし)らが かく(まか)りなば (たひら)けく 我れは遊ばむ ()(むだ)きて 我れはいまさむ 天皇(すめら)我が うづの()()もち かき()でぞ ねぎたまふ うち撫でぞ ねぎたまふ 帰り()む日 相飲まむ()ぞ この豊御酒(とよみき)

反歌一首
974 ますらをの 行くといふ道ぞ おほろかに 思ひて行くな ますらをの(とも)

右の御歌は、或いは「太上天皇(おほきすめらみこと)の御製なり」といふ。

中納言(ちゅうなごん)安倍広庭卿(あへのひろにはのまへつきみ)が歌一首
975 かくしつつ あらくをよみぞ たまきはる 短き(いのち)を 長く()りする

五年癸酉(みづのととり)に、(くさ)()(やま)を越ゆる時に、神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ)が作る歌二首
976 難波(なには)(がた) 潮干のなごり よく()てむ 家にある(いも)が 待ち問はむため
977 (ただ)(こえ)の この道にてし おしてるや 難波(なには)の海と 名付(なづ)けけらしも

山上臣憶良、(ちん)()の時の歌一首
978 (をのこ)やも (むな)しくあるべき 万代(よろづよ)に (かた)()ぐべき 名は立てずして

右の一首は、山上憶良臣が(ちん)()の時に、藤原朝臣八束(ふぢはらのあそみやつか)河辺朝臣東人(かはへのあそみあづまひと)を使はして()める(さま)を問はしむ。ここに、憶良臣、(こた)ふる(ことば)已畢(をは)る。しまらくありて、(なみた)(のご)悲嘆(かな)しびて、この歌を()()ふ。

大伴坂上郎女、(をひ)家持の佐保(さほ)より西の(いへ)還帰(かへ)るに与ふる歌一首
979 我が()()が ()(きぬ)(うす)し 佐保風は いたくな吹きそ 家に至るまで

安倍朝臣虫麻呂(あへのあそみむしまろ)が月の歌一首
980 (あま)(ごも)る ()(かさ)の山を 高みかも 月の()()ぬ ()()けにつつ

大伴坂上郎女が月の歌三首
981 (かり)(たか)の 高円山(たかまとやま)を 高みかも ()()る月の (おそ)く照るらむ   故地
982 ぬばたまの 夜霧(よぎり)の立ちて おほほしく 照れる月夜(つくよ)の 見れば悲しさ
983 山の()の ささら愛壮士(えをとこ) (あま)(はら) ()渡る光 見らくしよしも

右の一首の歌は、或いは「月の別名(またのな)をささら愛壮士といふ。この(こと)によりてこの歌を作る」といふ。

豊前(とよのみちのくち)の国の娘子(をとめ)が月の歌一首 娘子、(あざな)大宅(おほやけ)といふ。姓氏いまだ(つばひ)らかにあらず
984 (くも)(がく)り ゆくへをなみと 我が恋ふる 月をや君が 見まく()りする

湯原王(ゆはらのおほきみ)が月の歌二首
985 (あめ)にいます 月読(つくよみ)壮士(をとこ) (まひ)はせむ 今夜(こよひ)の長さ 五百(いほ)()継ぎこそ
986 はしきやし ()(ちか)き里の 君()むと おほのびにかも 月の照りたる

藤原八束朝臣(ふぢはらのやつかのあそみ)が月の歌一首
987 ()ちかてに 我がする月は 妹が着る ()(かさ)の山に (こも)りてありけり

市原王(いちはらのおほきみ)(うたげ)にして父安貴王(あきのおほきみ)?()く歌一首
988 春草は (のち)はうつろふ (いはほ)なす 常磐(ときは)にいませ (たふと)き我が君

湯原王(ゆはらのおほきみ)()(しゆ)の歌一首
989 (やき)大刀(たち)の かど打ち放ち ますらをの 寿()豊御酒(とよみき)に 我れ()ひにけり

紀朝臣鹿人(きのあそみかひと)跡見(とみ)茂岡(しげをか)の松の()の歌一首
990 (しげ)(をか)に (かむ)さび立ちて 栄えたる ()()(まつ)の木の 年の知らなく

同じき鹿人、(はつ)()川辺(かはへ)に至りて作る歌一首
991 (いは)(ばし)り たぎち流るる (はつ)()(がは) ()ゆることなく またも来て見む   故地

大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)元興寺(ぐわんごうじ)の里を詠む歌一首
992 故郷(ふるさと)の 明日香(あすか)はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくしよしも   故地

同じき坂上郎女が初月(みかづき)の歌一首
993 月立ちて ただ三日月(みかづき)の (まよ)()()き ()長く恋ひし 君に逢へるかも

大伴宿禰家持が初月(みかづき)の歌一首
994 ()()けて 三日月(みかづき)見れば (ひと)()見し 人の(まよ)()き 思ほゆるかも

大伴坂上郎女、親族(うがら)(うたげ)する歌一首
995 かくしつつ 遊び飲みこそ 草木すら 春は()ひつつ 秋は散りゆく

六年甲戌(きのえいぬ)に、海犬養宿禰岡麻呂(あまのいぬかひのすくねをかまろ)(みことのり)(こた)ふる歌一首
996 ()(たみ)我れ ()ける(しるし)あり (あめ)(つち)の 栄ゆる時に あへらく思へば

春の三月に、難波(なには)の宮に(いでま)す時の歌六首
997 住吉(すみのえ)の ()(はま)のしじみ ()けもみず (こも)りてのみや 恋ひわたりなむ
右の一首は、作者いまだ(つばひ)らかにあらず。
998 (まよ)のごと (くも)()に見ゆる 阿波(あは)の山 ()けて()ぐ舟 (とま)り知らずも   故地
右の一首は船王(ふねのおほきみ)が作。
999 ()()みより 雨ぞ降り()る ()(はつ)()() (あみ)()したり ()れもあへむかも
右の一首は、住吉(すみのえ)の浜に遊覧し、宮に還ります時に、道の()にして、守部王(もりべのおほきみ)(みことのり)(こた)へて作る歌。
1000 子らしあらば ふたり聞かむと 沖つ()に 鳴くなる(たづ)の (あかとき)の声

右の一首は守部王(もりべのおほきみ)が作。
1001 ますらをは ()(かり)に立たし 娘子(をとめ)らは (あか)()(すそ)()く 清き(はま)びを

右の一首は山部宿禰赤人が作。
1002 馬の(あゆ)み (おさ)(とど)めよ 住吉(すみのえ)の 岸の埴生(はにふ)に にほひて行かむ

右の一首は安倍朝臣豊継(あへのあそみとよつぐ)が作。

筑後守(つくしのみちのしりのかみ)外従五位下葛井連大成(ふぢゐのむらじおほなり)海人(あま)の釣舟を遥かに見て作る歌一首
1003 海人(あま)娘子(をとめ) 玉求むらし 沖つ波 (かしこ)き海に 舟出(ふなで)せりみゆ

鞍作村主益人(くらつくりのすぐりますひと)が歌一首
1004 思ほえず ()ましし(きみ)を 佐保(さほ)(がは)の かはづ聞かせず 帰しつるかも   故地

右は、内匠大属(うちのたくみのだいさくわん)鞍作村主益人、いささかに (いん)(せん)()けて、長官(かみ)佐為王(さゐのおほきみ)(あへ)す。いまだ日(くた)つにも及ばねば、王すでに()()りぬ。その時に、益人、()かぬ帰りを怜惜()しみ、よりてこの歌を作る。

八年丙子(ひのえね)の夏の六月に、吉野の(とつ)(みや)(いでま)す時に、山部宿禰赤人、(みことのり)(こた)へて作る歌一首 (あは)せて短歌
1005 やすみしし 我が大君(おほきみ)の 見したまふ 吉野(よしの)の宮は 山高み 雲ぞたなびく 川早み 瀬の(おと)ぞ清き (かむ)さびて 見れば(たふと)く よろしなへ 見ればさやけし この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ ももしきの 大宮(おほみや)ところ やむ時もあらめ

反歌一首
1006 (かむ)()より 吉野(よしの)の宮に あり(がよ)ひ (たか)()らせるは 山川(やまかは)をよみ

市原王(いちはらのおほきみ)(ひと)り子にあることを悲しぶる歌一首
1007 (こと)とはぬ 木すら(いも)()と ありといふを ただ(ひと)り子に あるが苦しさ

忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)、友の遅く来ることを(うら)むる歌一首
1008 山の()に いさよふ月の ()でむかと 我が待つ君が ()()けにつつ

冬の十一月に、左大弁(さだいべん)葛城王(かづらきのおほきみ)(たち)、姓(たちばな)(うぢ)を賜はる時の御製歌一首
1009 (たちばな)は 実さへ花さへ その葉さへ ()に霜降れど いや(とこは)葉の木   

右は、冬の十一月の九日に、従三位葛城王・従四位上左為王(さゐのおほきみ)(たち)、皇族の高き名を(いな)び、外家(ぐわいか)の橘の姓を賜はること已訖(をは)りぬ。その時に、太上天皇(おほきすめらみこと)皇后(おほきさき)、ともに皇后の宮に(いま)して、肆宴(とよのあかり)をなし、すなはち橘を()く歌を御製(つく)らし、并せて御酒(みき)宿禰(すくね)等に賜ふ。或いは「この歌一首は太上天皇の御歌。ただし、天皇・皇后の御歌おのもおのも一首あり」といふ。その歌()せ落ちて、いまだ(たづ)ね求むること得ず。今案内に(ただ)すに、「八年の十一月の九日に、葛城王等、橘宿禰の姓を願ひて(へう)(たてまつ)る。十七日をもちて、表の(ねがひ)によりて橘宿禰を賜ふ」と。

橘宿禰奈良麻呂(たちばなのすくねならまろ)、詔に応ふる歌一首
1010 奥山(おくやま)の 真木(まき)の葉しのぎ 降る雪の 降りは増すとも (つち)に落ちめやも

冬の十二月の十二日に、歌?所(うたまひどころ)諸王(おほきみたち)臣子等(おみのこたち)葛井連広成(ふぢゐのむらじひろなり)が家に(つど)ひて(うたげ)する歌二首

此来(このころ)()()(さか)りに(おこ)り、()(さい)(やくやく)()れぬ。(ことわり)に、ともに()(じやう)(つく)し、同じく()()(うた)ふべし。(ゆゑ)に、この(おもぶき)(なずら)へて、すなはち古曲(こきよく)二節を献る。風流(ふうりう)意気(いき)の士、たまさかにこの(つど)ひの中にあらば、(いそ)ひて(おもひ)(おこ)し、心々に古体(こたい)()せよ。

1011 我がやどの (うめ)咲きたりと ()()らば ()と言ふに似たり 散りぬともよし   
1012 春されば ををりにををり うぐひすの 鳴く我が山斎(しま)ぞ やまず(かよ)はせ

九年丁丑(ひのとうし)の春の正月に、橘少卿、(あは)せて諸大夫等(まへつきみたち)弾正尹(だんじやうのかみ)門部王(かどへのおほきみ)が家に(つど)ひて(うたげ)する歌二首
1013 あらかじめ 君()まさむと 知らませば (かど)にやどにも 玉敷かましを
右の一首は主人(あろじ)門部王 後に姓大原真人(おほはらのまひと)(うぢ)を賜はる
1014 一昨日(をとつひ)も 昨日(きのふ)今日(けふ)も 見つれども 明日(あす)さへ見まく ()しき君かも

右の一首は橘宿禰文成(たちばなのすくねあやなり) すなはち少卿が子なり榎井王(えのゐのおほきみ)、後に(つい)()する歌一首 志貴親王(しきのみこ)の子なり
1015 玉敷きて 待たましよりは たけそかに (きた)今夜(こよひ)し 楽しく思ほゆ

春の二月に、諸大夫等(まへつきみたち)左少弁(させうべん)巨勢宿奈麻呂朝臣(こせのすくなまろのあそみ)が家に(つど)ひて(うたげ)する歌一首
1016 海原(うなはら)の 遠き渡りを 風流士(みやびを)の 遊ぶを見むと なづさひぞ()

右の一首は、白き紙に書きて屋の壁に懸著()く。題には「蓬莱(ほうらい)(やま)(びめ)()れる嚢縵(ふくろかづら)は、風流秀才の士の為なり。これ(ぼん)(かく)の望み見るところならじか」といふ。

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