夏の四月に、大伴坂上郎女、賀茂神社を拝み奉る時に、すなはち逢坂山を越え、近江の海を望み見て、晩頭に帰り来りて作る歌一首 ☆故地 1017 木綿畳 手向けの山を 今日越えて いづれの野辺に 盧りせむ我れ 十年戊寅に、元興寺の僧が自ら嘆く歌一首 ☆故地 1018 白玉は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我れし知れらば 知らずともよし
右の一首は、或いは「元興寺の僧、独覚にして多智なり。いまだ顕聞あらねば、衆諸狎侮る。これによりて、僧この歌を作り、自ら身の才を嘆く」といふ。
石上乙麻呂卿、土佐の国に配さゆる時の歌三首 并せて短歌 1019 石上 布留の命は たわや女の 惑ひによりて 馬じもの 綱取り付け 鹿じもの 弓矢囲みて 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る 古衣 真土山より 帰り来ぬかも ☆故地
1020・1021 大君の 命畏み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を かけまくも ゆゆし畏し 住吉の 現人神 船舳に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々 寄りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風にあはせず 障みなく 病あらせず 速けく 帰したまはね もとの国辺に
1022 父君に 我れは愛子ぞ 母刀自に 我れは愛子ぞ 参ゐ上る 八十氏人の 手向けする 恐の坂に 幣奉り 我れはぞ追へる 遠き土佐道を ☆故地 反歌一首 1023 大崎の 神の小浜は 狭けども 百舟人も 過ぐと言はなくに ☆故地 秋の八月二十日に、右大臣橘家にして宴する歌四首 1024 長門なる 沖つ借島 奥まへて 我が思ふ君は 千年にもがも 右の一首は長門守巨曾倍対馬朝臣。 1025 奥まへて 我れを思へる 我が背子は 千年五百年 ありこせぬかも 右の一首は右大臣が和ふる歌。 1026 ももしきの 大宮人は 今日もかも 暇をなみと 里に出でずあらむ 右の一首は、右大臣伝へて「故豊島采女が歌」といふ。 1027 橘の 本に道踏む 八衢に 物をぞ思ふ 人に知らえず ☆花
右の一首は、右大弁高橋安麻呂卿語りて「故豊島采女が作なり」といふ。ただし、或本には「三方沙弥、妻園臣に恋ひて作る歌なり」といふ。しからばすなはち、豊島采女は当時当所にしてこの歌を口吟へるか。
十一年己卯に、天皇、高円の野に遊猟したまふ時に、小さき獣都里の中に泄走す。ここにたまさかに勇士に逢ひ、生きながらにして獲らえぬ。すなはちこの獣をもちて御在所に献上るに副ふる歌一首 獣の名は、俗には「むざさび」といふ ☆故地 1028 ますらをの 高円山に 迫めたれば 里に下り来る むざさびぞこれ 右の一首は、大伴坂上郎女作る。ただし、いまだ奏を経ずして小さき獣死斃ぬ。これによりて歌を献ること停む。
十二年庚辰の冬の十月に、大宰少弐藤原朝臣広嗣、謀反けむとして軍を発すによりて、伊勢の国に幸す時に、河口の行宮にして、内舎人大伴宿禰家持が作る歌一首 1029 河口の 野辺に廬りて 夜の経れば 妹が手本し 思ほゆるかも 天皇の御製歌一首 1030 妹に恋ひ 吾の松原 見わたせば 潮干の潟に 鶴鳴き渡る
右の一首は、今案ふるに、吾の松原は三重の郡にあり。河口の行宮を相去ること遠し。けだし朝明の行宮に御在す時に製らす御歌なるを、伝ふる者誤れるか。
丹比屋主真人が歌一首 1031 後れにし 人を思はく 思泥の崎 木綿取り垂でて 幸くとぞ思ふ
右は、案ふるに、この歌はこの行の作にあらじか。しか言ふ故は、大夫に勅して河口の行宮より京に還し、従駕せしむることなし。いかにしてか思泥の崎にして作る歌を詠むことあらむ。 狭残の行宮にして、大伴宿禰家持が作る歌二首 1032 大君の 行幸のまにま 我妹子が 手枕まかず 月ぞ経にける 1033 御食つ国 志摩の海人ならし ま熊野の 小舟に乗りて 沖辺漕ぐみゆ 美濃の国の多芸の行宮にして、大伴宿禰東人が作る歌一首 ☆故地 1034 いにしへゆ 人の言ひ来る 老人の をつといふ水ぞ 名に負ふ滝の瀬 大伴宿禰家持が作る歌一首 1035 田跡川の 滝を清みか いにしへゆ 宮仕へけむ 多芸の野の上に 不破の行宮にして、大伴宿禰家持が作る歌一首 1036 関なくは 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕 まきて寝ましを 十五年癸未の秋の八月の十六日に、内舎人大伴宿禰家持、久邇の京を讃めて作る歌一首 ☆故地 1037 今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし 高丘河内連が歌二首 1038 故郷は 遠くもあらず 一重山 越ゆるがからに 思ひぞ我がせし 1039 我が背子と ふたりし居れば 山高み 里には月は 照らずともよし 安積親王、左少弁藤原八束朝臣が家にして宴する日に、内舎人大伴宿禰家持が作る歌一首 ☆故地 1040 ひさかたの 雨は降りしけ 思ふ子が やどに今夜は 明かして行かむ 十六年甲申の春の正月の五日に、諸卿大夫、安倍虫麻呂朝臣が家に集ひて宴する歌一首 作者審らかにあらず 1041 我がやどの 君松の木に 降る雪の 行きには行かじ 待ちにし待たむ 同じき月の十一日に、活道の岡に登り、一株の松の下に集ひて飲む歌二首 1042 一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 音の清きは 年深みかも 右の一首は市原王が作。 1043 たまきはる 命は知らず 松が枝を 結ぶ心は 長くとぞ思ふ 右の一首は大伴宿禰家持が作。
寧楽の京の荒墟を傷惜みて作る歌三首 作者審らかにあらず 1044 紅に 深く染みにし 心かも 奈良の都に 年の経ぬべき 1045 世間を 常なきものと 今ぞ知る 奈良の都の うつろふ見れば 1046 石つなの またをちかへり あをによし 奈良の都を またも見むかも ☆花 寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首 并せて短歌 1047 やすみしし 我が大君の 高敷かす 大和の国は すめろきの 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生れまさむ 御子も継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百万 千年を兼ねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 御笠の野辺に 桜花 木の暗隠り 貌鳥は 間なくしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 生駒山 飛火が岳に 萩の枝を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響む 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴の男の うちはへて 思へりしくは 天地の 寄り合ひの極み 万代に 栄えゆかむと 思へりし 大宮すらにを 頼めりし 奈良の都を 新代の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花の うつろひ変り 群鳥の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平し 通ひし道は 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも 反歌二首 1048 たち変り 古き都と なりぬれば 道の芝草 長く生ひにけり ☆花 1049 なつきにし 奈良の都の 荒れゆけば 出で立つごとに 嘆きし増さる 久邇の新京を讃むる歌二首 并せて短歌 ☆故地 1050 現つ神 我が大君の 天の下 八島の内に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と 山背の 鹿背山の際に 宮柱 太敷きまつり 高知らす 布当の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が音響む 秋されば 山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺も繁に 巌には 花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮ところ うべしこそ 我が大君 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも 反歌二首 1051 三香の原 布当の野辺を 清みこそ 大宮ところ 定めけらしも 1052 山高く 川の瀬清し 百代まで 神しみゆかむ 大宮ところ 1053 我が大君 神の命の 高知らす 布当の宮は 百木もり 山は木高し 落ちたぎつ 瀬の音も清し うぐひすの 来鳴く春へは 巌には 山下光り 錦なす 花咲きををり さを鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧らふ しぐれをいたみ さ丹つらふ 黄葉散りつつ 八千年に 生れ付かしつつ 天の下 知らしめさむと 百代にも 変るましじき 大宮ところ 反歌五首 ☆故地 1054 泉川 行く瀬の水の 絶えばこそ 大宮ところ うつろひゆかめ 1055 布当山 山なみ見れば 百代にも 変るましじき 大宮ところ 1056 娘子らが 続麻懸くといふ 鹿背の山 時しゆければ 都となりぬ 1057 鹿背の山 木立を茂み 朝さらず 来鳴き響もす うぐひすの声 1058 狛山に 鳴くほととぎす 泉川 渡りを遠み ここに通はず 春の日に、三香の原の荒墟を悲傷しびて作る歌一首 并せて短歌 ☆故地 1059 三香の原 久邇の都は 山高み 川の瀬清み 住みよしと 人は言へども ありよしと 我れは思へど 古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか みもろつく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく 百鳥の 声なつかしく ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも 反歌二首 1060 三香の原 久邇の都は 荒れにけり 大宮人の うつろひぬれば 1061 咲く花の 色は変らず ももしきの 大宮人ぞ たち変りける 難波の宮にして作る歌一首 并せて短歌 ☆故地 1062 やすみしし 我が大君の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚取り 海片付きて 玉拾ふ 浜辺を近み 朝羽振る 波の音騒き 夕なぎに 楫の音聞こゆ 暁の 寝覚に聞けば 海石の 潮干の共 浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には 鶴が音響む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする 御食向ふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも 反歌二首 1063 あり通ふ 難波の宮は 海近み 海人娘子らが 乗れる舟見ゆ 1064 潮干れば 葦辺に騒く 白鶴の 妻呼ぶ声は 宮もとどろに ☆花 敏馬の浦を過ぐる時に作る歌一首 并せて短歌 ☆故地 1065 八千桙の 神の御代より 百舟の 泊つる泊りと 八島国 百舟人の 定めてし 敏馬の浦は 朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る 白真砂 清き浜辺は 行き帰り 見れども飽かず うべしこそ 見る人ごとに 語り継ぎ しのひけらしき 百代経て しのはえゆかむ 清き白浜 反歌二首 1066 まそ鏡 敏馬の浦は 百舟の 過ぎて行くべき 浜ならなくに 1067 浜清み 浦うるはしみ 神代より 千船の泊つる 大和田の浜 右の二十一首は、田辺福麻呂が歌集の中に出づ。 |