巻六 1017〜1067

夏の四月に、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)賀茂神社(かものやしろ)(をろが)(まつ)る時に、すなはち逢坂山(あふさかやま)を越え、近江(あふみ)の海を望み見て、晩頭(ひのぐれ)に帰り(きた)りて作る歌一首  故地 
1017 ()綿()(たたみ) ()()けの山を 今日越えて いづれの野辺(のへ)に (いほ)りせむ我れ

十年戊寅(つちのえとら)に、元興寺(ぐわんごうじ)の僧が自ら嘆く歌一首   故地
1018 (しら)(たま)は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我れし知れらば 知らずともよし

右の一首は、或いは「元興寺の僧、(どく)(かく)にして()()なり。いまだ顕聞(けんぶん)あらねば、衆諸(もろひと)狎侮(あなづ)る。これによりて、僧この歌を作り、自ら身の(ざえ)を嘆く」といふ。

石上乙麻呂卿(いそのかみのおとまろのまへつきみ)土佐(とさ)の国に(なが)さゆる時の歌三首 并せて短歌
1019 石上(いそのかみ) ()()(みこと)は たわや()の (まと)ひによりて 馬じもの (つな)取り付け 鹿(しし)じもの 弓矢(かく)みて (おほ)(きみ)の (みこと)(かしこ)み (あま)(ざか)る (ひな)()(まか)る (ふる)(ころも) 真土(まつち)(やま)より 帰り()ぬかも   故地

1020・1021 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が()の君を かけまくも ゆゆし(かしこ)し 住吉(すみのえ)の 現人神(あらひとがみ) 船舳(ふなのへ)に うしはきたまひ ()きたまはむ 島の崎々 寄りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風にあはせず (つつ)みなく (やまひ)あらせず (すむや)けく 帰したまはね もとの国辺(くにへ)

1022 父(ちち)(ぎみ)に 我れは愛子(まなご)ぞ (はは)()()に 我れは愛子ぞ ()(のぼ)る 八十(やそ)(うぢ)(ひと)の ()()けする (かしこ)の坂に (ぬさ)(まつ)り 我れはぞ追へる 遠き土佐(とさ)()を   故地

反歌一首
1023 大崎(おほさき)の 神の小浜(をばま)は (せば)けども (もも)(ふな)(びと)も 過ぐと言はなくに   故地

秋の八月二十日に、右大臣橘家にして(うたげ)する歌四首
1024 長門(ながと)なる (おき)(かり)(しま) (おく)まへて 我が思ふ君は 千年(ちとせ)にもがも
右の一首は長門守(ながとのかみ)巨曾倍対馬朝臣(こそべのつしまあそみ)
1025 (おく)まへて 我れを思へる 我が()()は ()(とせ)五百(いほ)(とせ) ありこせぬかも

右の一首は右大臣が(こた)ふる歌。
1026 ももしきの 大宮(おほみや)人は 今日(けふ)もかも (いとま)をなみと 里に()でずあらむ
右の一首は、右大臣伝へて「故豊島采女(うねめ)が歌」といふ。
1027 (たちばな)の (もと)に道踏む 八衢(やちまた)に 物をぞ思ふ 人に知らえず   

右の一首は、右大弁(うだいべん)高橋安麻呂卿(たかはしのやすまろのまへつきみ)語りて「故豊島采女が作なり」といふ。ただし、或本には「三方沙弥(みかたのさみ)、妻園臣(そののおみ)に恋ひて作る歌なり」といふ。しからばすなはち、豊島采女は当時(そのとき)当所(そのところ)にしてこの歌を口吟(うた)へるか。

十一年己卯(つちのとう)に、天皇(すめらみこと)(たか)(まと)の野に遊猟(みかり)したまふ時に、小さき(けもの)都里(みやこ)の中に泄走(せつそう)す。ここにたまさかに勇士に逢ひ、生きながらにして()らえぬ。すなはちこの獣をもちて御在所(いましところ)献上(たてまつ)るに()ふる歌一首 獣の名は、俗には「むざさび」といふ   故地
1028 ますらをの 高円山(たかまとやま)に ()めたれば 里に()()る むざさびぞこれ

右の一首は、大伴坂上郎女作る。ただし、いまだ(そう)()ずして小さき獣死斃()ぬ。これによりて歌を(たてまつ)ること()む。

十二年庚辰(かのえたつ)の冬の十月に、大宰少弐(だざいのせうに)藤原朝臣広嗣(ふぢはらのあそみひろつぐ)謀反(みかどかたぶ)けむとして(いくさ)(おこ)によりて、伊勢(いせ)の国に(いでま)す時に、河口(かはぐち)行宮(かりみや)にして、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持が作る歌一首
1029 河口(かはぐち)の 野辺(のへ)(いほ)りて ()()れば (いも)()(もと)し 思ほゆるかも

天皇の御製歌一首
1030 妹に恋ひ (あが)の松原 見わたせば (しほ)()(かた)に (たづ)鳴き渡る

右の一首は、今(かむが)ふるに、吾の松原は三重(みへ)(こほり)にあり。河口(かはぐち)行宮(かりみや)を相去ること遠し。けだし朝明(あさけ)の行宮に御在(いま)す時に(つく)らす御歌なるを、伝ふる者(あやま)れるか。

丹比屋主真人(たぢひのやぬしのまひと)が歌一首
1031 (おく)れにし 人を思はく ()()の崎 ()綿()取り()でて (さき)くとぞ思ふ

右は、(かむが)ふるに、この歌はこの(たび)の作にあらじか。しか言ふ(ゆゑ)は、大夫(まへつきみ)(みことのり)して河口(かはぐち)行宮(かりみや)より京に(かへ)し、従駕(おほみとも)せしむることなし。いかにしてか()()の崎にして作る歌を()むことあらむ。

()()(かり)(みや)にして、大伴宿禰家持が作る歌二首
1032 大君(おほきみ)の 行幸(みゆき)のまにま 我妹子(わぎもこ)が ()(まくら)まかず 月ぞ()にける
1033 ()()つ国 志摩(しま)()()ならし ま熊野(くまの)の 小舟(をぶね)に乗りて (おき)()()ぐみゆ

美濃(みの)の国の多芸(たぎ)行宮(かりみや)にして、大伴宿禰東人(おほとものすくねあづまひと)が作る歌一首   故地
1034 いにしへゆ 人の言ひ()る 老人(おいひと)の をつといふ水ぞ ()()ふ滝の瀬

大伴宿禰家持(おほとものすくねやかもち)が作る歌一首
1035 ()()(がは)の 滝を清みか いにしへゆ (みや)(つか)へけむ ()()の野の(うへ)

不破(ふは)(かり)(みや)にして、大伴宿禰家持が作る歌一首
1036 関なくは 帰りにだにも うち行きて (いも)()(まくら) まきて寝ましを

十五年癸未(みづのとひつじ)の秋の八月の十六日に、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持、久邇(くに)の京()めて作る歌一首   故地
1037 今造る ()()の都は 山川(やまかは)の さやけき見れば うべ知らすらし

高丘河内連(たかをかのかふちのむらじ)が歌二首
1038 故郷(ふるさと)は 遠くもあらず (ひと)()(やま) 越ゆるがからに 思ひぞ我がせし
1039 我が()()と ふたりし()れば 山高み 里には月は 照らずともよし

安積親王(あさかのみこ)左少弁(させうべん)藤原八束朝臣(ふぢはらのやつかのあそみ)が家にして(うたげ)する日に、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持が作る歌一首   故地
1040 ひさかたの 雨は降りしけ 思ふ子が やどに今夜(こよひ) 明かして行かむ

十六年甲申(きのえさる)の春の正月の五日に、諸卿大夫(まへつきみたち)安倍虫麻呂朝臣(あへのむしまろのあそみ)が家に(つど)ひて(うたげ)する歌一首 作者(つばひ)らかにあらず
1041 我がやどの 君(まつ)の木に 降る雪の 行きには行かじ 待ちにし待たむ

同じき月の十一日に、(いく)()(をか)に登り、一株(ひともと)(まつ)(した)に集ひて飲む歌二首
1042 一つ松 幾代(いくよ)()ぬる 吹く風の (おと)の清きは 年深みかも
右の一首は市原王(いちはらのおほきみ)が作。
1043 たまきはる (いのち)は知らず (まつ)()を 結ぶ心は 長くとぞ思ふ

右の一首は大伴宿禰家持が作。

()()の京の荒墟(くわうきよ)傷惜(いた)みて作る歌三首 作者(つばひ)らかにあらず
1044 (くれなゐ)に 深く()みにし 心かも 奈良の都に 年の()ぬべき
1045 世間(よのなか)を (つね)なきものと 今ぞ知る 奈良の都の うつろふ見れば
1046 (いは)つなの またをちかへり あをによし 奈良(なら)の都を またも見むかも   

()()の故郷を悲しびて作る歌一首 (あは)せて短歌
1047 やすみしし 我が大君の (たか)()かす 大和(やまと)の国は すめろきの 神の()()より 敷きませる 国にしあれば ()れまさむ 御子(みこ)()ぎ継ぎ (あめ)(した) 知らしまさむと 八百(やほ)(よろづ) 千年(ちとせ)を兼ねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日(かすが)(やま) ()(かさ)野辺(のへ)に (さくらばな)花 ()(くれがく)隠り (かほ)(どり)は ()なくしば鳴く (つゆ)(しも)の 秋さり()れば 生駒(いこま)(やま) (とぶ)()(たけ)に (はぎ)()を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び(とよ)む 山見れば 山も見が()し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十(やそ)(とも)()の うちはへて 思へりしくは 天地(あめつち)の 寄り合ひの(きは)み 万代(よろづよ)に 栄えゆかむと 思へりし 大宮すらにを 頼めりし 奈良の都を (あらたよ)代の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花の うつろひ変り (むら)(とり)の (あさ)()ち行けば さす竹の 大宮人の ()(なら)し (かよ)ひし道は 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも

反歌二首
1048 たち変り 古き都と なりぬれば 道の(しば)(くさ) 長く()ひにけり   
1049 なつきにし 奈良の都の 荒れゆけば ()で立つごとに 嘆きし()さる

()()の新京()むる歌二首 (あは)せて短歌   故地
1050 (あき)つ神 我が大君(おほきみ)の (あめ)(した) ()(しま)(うち)に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と (やま)(しろ)の 鹿()()(やま)()に 宮柱 (ふと)()きまつり (たか)()らす ()(たぎ)の宮は 川近み 瀬の(おと)ぞ清き 山近み 鳥が()(とよ)む 秋されば 山もとどろに さを鹿(しか)は 妻呼び(とよ)め 春されば (をか)()(しじ)に (いはほ)には 花咲きををり あなあはれ ()(たぎ)の原 いと(たふと) 大宮(おほみや)ところ うべしこそ 我が大君(おほきみ) 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮(おほみや)ここと 定めけらしも

反歌二首
1051 ()()(はら) ()(たぎ)野辺(のへ)を 清みこそ 大宮(おほみや)ところ 定めけらしも
1052 山高く 川の瀬清し (もも)()まで (かむ)しみゆかむ 大宮(おほみや)ところ

1053 我が大君(おほきみ) 神の(みこと)の (たか)()らす ()(たぎ)の宮は (もも)()もり 山は()(だか)し 落ちたぎつ 瀬の(おと)も清し うぐひすの 来鳴く春へは (いはほ)には 山下(やました)光り (にしき)なす 花咲きををり さを鹿(しか)の 妻呼ぶ秋は (あま)()らふ しぐれをいたみ さ()つらふ 黄葉(もみち)散りつつ 八千(やち)(とせ)に ()()かしつつ (あめ)(した) 知らしめさむと (もも)()にも 変るましじき 大宮(おほみや)ところ

反歌五首   故地
1054 (いづみ)(かは) 行く瀬の水の 絶えばこそ 大宮(おほみや)ところ うつろひゆかめ
1055 ()(たぎ)(やま) 山なみ見れば (もも)()にも 変るましじき 大宮(おほみや)ところ
1056 娘子(をとめ)らが (うみ)()()くといふ 鹿()()(やま) 時しゆければ 都となりぬ
1057 鹿()()の山 ()(だち)(しげ)み 朝さらず 来鳴き(とよ)もす うぐひすの声
1058 (こま)(やま)に 鳴くほととぎす 泉川(いづみがは) 渡りを遠み ここに(かよ)はず

春の日に、()()の原の(くわう)(きょ)悲傷(かな)しびて作る歌一首 (あは)せて短歌   故地
1059 ()()の原 ()()は 山高み 川の瀬清み 住みよしと 人は言へども ありよしと 我れは思へど ()りにし 里にしあれば 国見れど 人も(かよ)はず 里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか みもろつく 鹿()()(やま)()に 咲く花の 色めづらしく (もも)(とり)の 声なつかしく ありが()し 住みよき里の 荒るらく()しも

反歌二首
1060 ()()の原 ()()の都は 荒れにけり 大宮(おほみや)(ひと)の うつろひぬれば
1061 咲く花の 色は変らず ももしきの 大宮(おほみや)(ひと)ぞ たち変りける

難波(なには)の宮にして作る歌一首 (あは)せて短歌   故地
1062 やすみしし 我が大君(おほきみ)の あり(がよ)ふ 難波(なには)の宮は 鯨魚(いさな)()り 海(かた)()きて 玉(ひり)ふ 浜辺(はまへ)を近み (あさ)()()る 波の(おと)(さわ)き 夕なぎに (かぢ)(おと)聞こゆ (あかとき)の ()(ざめ)に聞けば 海石(いくり)の (しほ)()(むた) (うら)()には 千鳥(ちどり)妻呼び (あし)()には (たづ)()(とよ)む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく()りする ()()(むか)ふ (あぢ)()の宮は 見れど()かぬかも

反歌二首
1063 あり(がよ)ふ 難波(なぬは)の宮は 海近み 海人(あま)娘子(をとめ)らが 乗れる舟見ゆ
1064 (しほ)()れば (あし)()(さわ)く (しら)(たづ)の 妻呼ぶ声は 宮もとどろに   

敏馬(みぬめ)(うら)を過ぐる時に作る歌一首 并せて短歌   故地
1065 八千(やち)(ほこ)の 神の()()より (もも)(ふね)の ()つる(とま)りと ()(しま)(くに) (もも)(ふな)(びと)の (さだ)めてし 敏馬(みぬめ)の浦は 朝風に 浦波(さわ)き 夕波に (たま)()は来寄る (しら)真砂(まなご) 清き浜辺(はまへ)は 行き帰り 見れども()かず うべしこそ 見る人ごとに 語り()ぎ しのひけらしき (もも)()()て しのはえゆかむ 清き白浜

反歌二首
1066 まそ鏡 敏馬(みぬめ)の浦は (もも)(ふね)の 過ぎて行くべき 浜ならなくに
1067
 浜清み 浦うるはしみ (かむ)()より ()(ふね)()つる 大和田(おほわだ)の浜

右の二十一首は、田辺福麻呂(たなべのさきまろ)が歌集の中に出づ。

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